第五話
精霊地図が完成して、精霊の配置と流れが分かった。
一日の休憩を間に挟み、次の作業に移ることにした。精霊地図をもとにして、次は地形を加工して精霊の流れを整えるのだ。
まずは風の精霊の通りをよくするため、森を切り開くことにした。
現地にはクラウドレインの空間転移の魔法で直行した。
普段は移動ルートを考えて日程を組んだりするのだけれど、その手間を大幅に省略できた。あんまり頼りすぎると今後の仕事に支障が出るかもしれない。
「森を切り開くと伺いましたが、どんな魔法を使うのですか?」
「木を地面に沈めます」
「沈める、ですか」
「まあ見ていてください。
クラウドレインの問いかけに答えながら、準備を進める。
精霊地図を確認しながら森をすすみ、要所となる地面に魔法陣を描いていく。その作業に半日ほど費やした。
そして、いよいよ魔法を発動させる。
「地形加工魔法・森林消失」
準備しておいた魔法陣が発動し、地面を液状化させていく。水のようになった地面が、次々と木を呑み込んでいく。木が十分に沈んだところで魔法は解いた。地面は再び、もとの固さを取り戻した。
うっそうと茂っていた森の中に、一本の太い道ができた。これが風の精霊の通り道となるのだ。
「準備に時間がかかりましたが、広範囲でなかなかの精度の魔法ですね」
クラウドレインがそんな感想を漏らした。
「ええ。天候魔導士の地形加工魔法は、準備に手間がかかる代わりに、規模の大きい地形加工ができることができるのです」
「ですが、森を切り開くだけなら攻撃魔法でいいのではないですか?」
確かに、通常の攻撃魔法を使っても森を切り開くことができるだろう。クラウドレインの魔力なら一発でいけそうな気がする。
だが、それではダメなのだ。
わざわざ木を地面深くに埋めたのには理由がある。
生木を地面の下に埋めると、地の精霊はその分解に力を集中させる。その間、地上への干渉は弱まる。その隙に風の精霊が通り道を確保するのだ。
そうすると、地の精霊が地表に力を戻しても、確保された風の精霊の通り道をふさぐことはできなくなる。
そうした理屈を説明すると、クラウドレインは納得したようにうなずいた。
「しかし、何度も申し上げたように、私共にはあまり時間の余裕はないのです。私もお手伝いします。作業の短縮を図れないでしょうか」
「そうですねえ……」
精霊地図を確認する。クラウドレインの魔力なら、相当に強力な攻撃魔法を放てるのだろう。今回のような精霊間の調整を必要としない、単純な地形加工なら手伝ってもらえるかもしれない。
そうすると、近場にぴったりな場所があった。
「あそこの丘のてっぺんを、5メートルほど低くしたいのです。あれなら削るだけなので、協力してもらえるかもしれませんね」
指さして説明していると、いきなりクラウドレインの魔力が高まった。
そして、閃光が走った。凄まじい魔力の奔流が丘の頂上付近を通り過ぎた。
閃光が消えた後。丘のてっぺんがごっそり削れていた。
「地形計測魔法!」
あわてて丘に向けて地形を計測する。精霊地図と見比べる。
そして、驚いた。
丘の頭頂部は正確に5メートル削れていた。誤差があったとしても、それは数インチ未満に収まるだろう。凄まじい精度だった。
「これでよろしかったでしょうか?」
「はい……文句のない仕上がりです」
あの丘は、地形加工魔法で土砂崩れを起こさせて削るつもりだった。準備を含めると、2時間程度はかかったはずだ。
丘までは100メートルくらい離れている。たった一発の魔法で一瞬にして頭頂部を削る威力も、数インチ以下の誤差にとどめる精度も、凄まじいとしか言いようがない。
改めて、魔王直属の魔族・クラウドレインはやばかった。
昨日はその力の差におびえもした。でももう、わたしはもう割り切ることにした。
もともと今回は、魔王の領地という特殊な場所での仕事なのだ。
この土地固有の便利な特殊ギミックと考えることにしよう。なら活用するのみだ。
そこから先は早かった。
クラウドレインの空間転移の魔法で移動は一瞬。地形加工も、一部を除いてはクラウドレインの攻撃魔法ですぐに終わった。
所要日数は一週間。今までの仕事とは比較にならないほどの短期間で終えてしまった。
地形加工後、確認のために、精霊地図を作成しなおした。精霊の流れは完ぺきだった。今なら、どんな天気でも作り出せそうだった。
そして、いよいよ。魔王城の上に黒雲とイナズマを呼び出すこととなった。
結論から言えば、天候操作自体はあっさりうまくいった。
精霊地図で完璧に精霊の配置を把握していていたのだ。地形加工も完璧で、精霊の流れも良好。
普段の仕事だと地形加工の疲れが残ってることも少なくないが、今回はだいぶ楽をできたので、体調も万全だ。
ここまでいい状態で天候操作できるのは珍しい。
そんな万全の状態で使った天候魔法は、当たり前のように雷雨をもたらした。
黒々とした雲から雨がごうごうと降り注ぎ、イナズマがいくつも閃いた。
そうして、仕事の報告をするべく謁見の間にやってきた。
「この短期間でよくぞ黒雲とイナズマを呼び出した!」
「はっ!」
魔王様から直々に、お褒めの言葉をいただいた。
わたしは跪き、頭を下げてその言葉に耳を傾けていた。
ふつふつと達成感が沸き上がる。
最初はおかしな依頼だと思ったたけど、仕事そのものはスムーズにできた。
魔王の領地と言うことで変わったこともあるかとおもったけど、精霊誘導の手順自体はあまり変わらなかった。代わりに、上位魔族のすごさというものを痛感させられた。
そんなこんなも、あとから振り返ればいい経験と思える。
早く終わったことだし、報酬に上乗せしてもらってもいいかもしれない。
いや、それはクラウドレインの助けがあったから、逆に報酬を減らされる可能性もあるかもしれない
そんな皮算用まではじめたわたしの意識を、魔王の言葉が現実に引き戻した。
「だが、これでは足りぬ」
「え?」
「雲の黒さが足りぬ。イナズマも少ない。そもそも、雨が不要だ。黒雲とカミナリだけでいいのだ! この短期間でここまで仕上げた手腕は認める! その能力を生かし、より一層磨き上げよ!」
何を言っているんだろう、この魔王様は。
わたしは頭を下げたまま、湧きあがる衝動に耐えるしかなかった。
「なんなのそれはーっ!」
魔王との謁見の後。客室まで戻してもらったわたしは、抑えていた衝動を解放した。
わたしは仕事をした。ちゃんと結果を出した。
それなのによくわからないふわっとした感想でダメ出しされた。
「もっと黒い雲ってなに!? 雷雲ってああいう色でしょ! 変えられるわけないでしょ! もっとたくさんのカミナリって、攻撃魔法でもあるまいし、なんの意味があるのよーっ!」
意味が分からない。
天候魔導士は精霊を誘導し、人々の生活のために雨を降らせる職業だ。生活密着型の魔導士であり、空をキャンバスに見立てる浮世離れした芸術家ではないのだ。
「荒れていますね。これでも飲んで落ち着いてください」
クラウドレインがコーヒーをそっと出してくれた。
いい香りが鼻腔をくすぐり、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「やはり、雲の色を変えたり雷を増やすと言ったことは難しいのでしょうか?」
クラウドレインの問いに、改めて実現性を考えてみる。
まず雲の色。これは制御できない。気にしたことすらない。天候魔法は原則として干ばつに対して雨を降らすか、長雨を止めて太陽を見せるか、だ。つまり、オンかオフだ。雲の色を変えるなんて微調整はやったことがない。
また、雨を降らすな、というのも難しい。雷雲は水の精霊と風の精霊がぶつかりあって生じる。つまり不安定な状態だ。制御は難しい。雨だけ降らせず雷だけを発生させる方法なんて、想像もつかない。
そうしたことを、クラウドレインに説明した。
話すうちに考えが整理され、ふと、疑問が湧きあがった。
「魔王様は黒雲とイナズマについて、具体的なイメージがあるみたいですね。まるで、見たことがあるみたいに……」
わたしのの課にも、魔王城上空の黒雲とイナズマというイメージがある。それは子供の頃に読んだ絵本からのものだった。確かに真っ黒な雲と大きなイナズマが描かれていたけど、雨は描かれていなかった。でもそれは想像の産物に過ぎない。
魔王はそんな曖昧なものを私に依頼したのだろうか。
違う、と思う。魔王の外見は子供っぽいけれど、仕事について交渉した時は、理性的な対応だった。曖昧なイメージをもとに、無茶な仕事を投げてくるようには思えなかった。
「先代の魔王様の頃は、魔王城の上空には常に黒雲とイナズマがあったと聞きます。そして魔王様は、先代から一部の記憶を受け継いでいるのです。おそらく、黒雲とイナズマについても、ご覧になった記憶があるのでしょう」
クラウドレインはそんなことを言った。
なにかいきなり重要情報を聞かされてしまった。
魔王は先代の記憶を引き継ぐのか。つまり、魔王は現れるたびに過去の記憶を引き継いで強くなってしまうということなのではないだろうか。これはわたしが知ってしまっていい種類の情報なのだろうか。ちょっと不安になってしまう。
でも、そうか。実際に見た、という記憶があるのなら、あの無茶な要求も、根拠のない荒唐無稽なものではないのかもしれない。
「本当に黒雲がもっと黒くて、イナズマがもっと派手に出ていたのなら……なにか別の要因があったのかもしれませんね。わたしがそれを直に見ることができたら、何かわかるかもしれませんが……」
「承知しました。すぐにご用意します」
わたしのぼやきに、クラウドレインはすぐに答えた。
こちらが何か言うよりも早く、空間転移の魔法で行ってしまった。
なんだろう。当時の様子を描いた絵画でもあるのだろうか。
しばらく待つと、クラウドレインは戻ってきた。
その隣には一匹の魔物がいた。
人間の頭ほどの大きさの目玉を、何本ものぬらぬらとした触手が支える異形。
「あ、アイ・インフォーマー!?」
わたしは思わずその魔物の名前を叫んでいた。
アイ・インフォーマー。戦闘能力は皆無ながら、冒険者ギルドで高い懸賞金がかけられていることで有名な魔物だ。冒険者ではないわたしでも知っているくらいだ。
その巨大な眼で見たものは、全て魔王軍に伝わると言われている。魔王軍の偵察兵という感じのモンスターだ。
「こちらは、魔王軍でも古株のアイ・インフォーマー様です。アイ・インフォーマー様。先代の魔王城の様子を映していただけますでしょうか?」
クラウドレインが妙に丁寧に接している。魔王軍内部の序列はわからないけど、先代から仕えている古株と言うことは、けっこう地位が高いのだろうか。
アイ・インフォーマーは、きらりと目を光らせた。すると、客室の壁の一角に、映像が映し出された。
並の絵画よりずっと精緻で鮮明な映像だった。自分の目で見たものと変わらない感じだった。なるほど、魔王軍はこうやってアイ・インフォーマーから情報を得ているのか。
周囲の地形が若干異なっている。今あるはずの森が無かったり、今ないはずの丘がある。魔王城の形にもいくつか差異が認められた。どうやら本当に過去の記録らしい。
魔王城の上空を覆うように真っ黒な雲が広がっている。黒雲はその範囲にとどまっている。雷雲にしては規模が小さい。
そして、雲の中にいくつものイナズマが認められた。わたしが作った雷雲のものより太いイナズマが見える。
その下にある魔王城は、黒いオーラみたいなものがゆらめき、とても不気味に見えた。
「確かに闇のような黒雲と、いくつものイナズマが見えます。わたしのつくった雷雲とはまったく違う。自然現象にしては不自然です。まるで雷撃魔法で呼び出された雷雲のよう。でもあれは、長時間の維持はできないはずなんですけどね……」
見た印象を言葉にしていく。
この映像は先代の魔王のものだという。
そして、私の先祖は、その更に前、二代前の魔王のもとで仕事をしたという。
そのとき、これと同じものを作り出せていたのだろうか。当時の魔王が満足して魔王許可証を出してくれたのなら、天候魔法で再現可能なはずだ。
映像をつぶさに見えているうちに、ふと、気がつくものがあった。
「何かお気づきになりましたか?」
「ええ、ここです」
わたしが指さした絵の中には、黒々と煙を吹きだす火山があった。
現在、あまり煙を吐き出していないが、この時代は活発に活動していたらしい。
「おそらく、この火山がカギとなります」
確信はなかった。でも、可能性は考えられた。
魔王領で黒雲とイナズマを出すなんて言う変わった仕事をしているのだ。せっかくだから、とことんやってみようと、わたしは決めたのだった。