第四話
魔王城での宿泊場所は決まった。
いよいよ仕事の開始となった。まず必要となったのは、辺りが見渡せる高い場所だ。高い場所の方が精霊の動きを感知しやすい。天気の変化も目視できる。先日の村では、村の端にある物見やぐらを使わせてもらった。天候魔法の使用はより空に近い場所が望ましいのだ。
黒雲とイナズマを呼び出すのは魔王城だ。本来は魔王城内部の、例えば見張り塔でも使えればよかった。だが魔族にとって、魔王城の内部は軍事機密だ。ただでさえ移動が客室だけに制限されているのに、そんな場所は使わせてもらえるわけはなかった。
そこで選ばれたのが、魔王城の東に0.5マイル(約800メートル)ほどのところにある監視塔だった。
本来は魔王城へ接近する敵をいち早く発見するために作られた施設だそうだ。今はあまり使われていないらしい。
「魔王城を目指す勇者が、この監視塔にわざわざ来ることはないでしょうし、仮に占拠されたとしても問題はありません。守秘対象外です。この監視塔は自由にご使用ください、ウェイザー様」
クラウドレインはそう説明してくれた。
仕事場所が確保できたなら、次に必要となるのは地形の把握だ。周辺の地形を精密に知り、精霊の配置と流れを把握できなければ、精霊誘導は成功しない。
そのため、まずは付近の地図を用意してもらった。
「こちらが、魔王様の領地の地図となります」
クラウドレインが用意してくれたのは、古ぼけた地図だった。精密なものではなく、特徴のある地形を絵のように描いたものだ。世間一般に流通している地図と大差ない感じだ。大まかな位置関係を知るのには役立つが、精度は足りない。
でも、ひとまずはこれで十分だ。
「この地図は、書きこんでも大丈夫ですか?」
「ええ、かまいません」
念のために確認した後、わたしはペンを手に取ると、地図に点を打っていった。地形をつぶさに読み取り、その要所となる個所に点を打っていく。点の数は100くらいとなった。この規模の地域ならだいたいこんなものだ
「ずいぶんたくさんの点を打たれたようですが、この地点に何かするのでしょうか?」
「この魔導針を打ち込みます」
クラウドレインの問いに答えて取り出したのは、天候魔法の魔道具の一つ。魔導針だ。外見はおよそ半フィート(約15センチ)の金属製の針だ。表面の一部に、細かな文字が刻まれている。
この針には予め術式が施してある。周囲の精霊の動きを感知し、記録する機能が付与されているのだ。
「地図の点を打った箇所に、魔導針を打ち込んでいきます」
「この広範囲、これだけの数を打ち込むのですか……時間がかかるのではありませんか?」
「そうですね。この規模だと、だいたい一週間くらいはかかります」
クラウドレインは時間を気にしているようだった。だが、この作業ばかりは時間を要するのは仕方ない。魔導針の打ち込みは天候魔導士にとって、もっとも大事な作業なのだ。
通常は村の人たちに手伝ってもらったりする。今回はちょっと状況が特殊だ。なにしろ場所は魔王の領地だ。魔王の配下の手を借りられたりするのだろうか。空間転移の魔法を使えるクラウドレインに手伝ってもらえば、相当捗りそうにも思える。
「一人でやるとだいぶ時間がかかります。可能であれば、手伝える人……いえ、魔物を募ってほしいのですが……」
「手伝いを頼むということは……この魔導針の打ち込みに、特別な技術や魔法は必要ないということでしょうか?」
「ええ、術式はすでに施してあります。魔導針の半分くらいまで、地面に刺し込むだけで大丈夫です」
「なるほど……」
クラウドレインはすこし考え込んでいるようだった。なにか頭数を確保する当てでもあるのだろうか。
「では、魔導針を全て私に預けてください」
「え? 全部?」
「地図を見た限り、私一人で十分対応可能です。お任せください」
本当に一人でやるつもりなのだろうか。クラウドレインは魔王直属の高位の魔族であり、魔力だけでなく、体力の高さも常人の比ではないのだろう。
それでも、魔導針の打ち込みは大変な仕事だ。その作業量と過酷さを何度も味わっているわたしとしては、大丈夫かと不安になってしまう。
それでも、やると言ったからには、一度はやってもらおう。無理だったとしても、それで仕事の大変さをわかってもらえるなら有益なことだ。
「わかりました。よろしくお願いします」
「承知しました」
地図と魔導針の入った袋を受け取ると、クラウドレインは空間転移の魔法で行ってしまった。
待っている間、わたしは他の作業を進めた。やることはたくさんある。まずは監視塔から周囲を見回し、気がついたことを手帳に書きこんでいく。地形や精霊の配置については魔導針で知ることができる。それでも実地で目視した情報も重要だ。
空は薄曇りといった天候だ。晴れる気配はない。もともと雲が集まりやすい地勢なのかもしれない。
そうしておよそ一時間ほど過ぎたころ、クラウドレインは帰ってきた。
「お待たせしました。魔導針を全て、打ち込み終えました」
そう言って、魔導針の入った袋と地図を返してきた。
袋は渡したときは大きく膨らんでいたのに、今は小さくしぼんでいた。中を見て見ると、たしかに100本は減っていそうだった。
思わずクラウドレインを見た。汗すらかいていない。実は魔導針をどっかに捨ててきたのではないだろうか。そんな可能性が脳裏をよぎった。
「念のため、ちょっと確認します」
魔力探知を使った。魔導針ひとつひとつに込められた魔力は弱い。通常、魔力探知にはなかなかひっかからない。だが、自分で作った上に、使い慣れた魔道具だ。その位置を探知するのはそう難しいことではない。村の人たちに手伝ってもらった時も、いつもこうやって確認している。
今回もすぐに探知できた。数が多過ぎるまで、個々の細かな位置までは把握できない。でも、広範囲にきちんと配置されているらしいことはわかった。この仕事は魔王から受けたものだ。忠実な腹心であるクラウドレインが、手を抜くはずがなかった。でも、それを考慮しても信じがたいことだったのだ。
「……ご納得いただけましたか?」
「は、はい。ありがとうございます。まさかこんなに早くできるとは思いませんでした。失礼しました」
「いいえ。確認するのは当たり前のことです。お気になさらず」
「ええ……」
答えながら、わたしは震えていた。
魔王と対峙した時は、どうにか震えを抑えることができていたのに、今はできなかった。
自分が一週間はかかると見込んでいた作業を、一時間で片付けられてしまう。
それがこんなに恐ろしいことだなんて知らなかった。
魔王の執事でこの実力。勇者はこんな化け物たちと戦うのか。最近、快進撃を続けているという噂は聞いているけれど、大丈夫なのかと心配になってしまう。
「次は何をすればいいでしょうか、ウェインザー様?」
「次は、ええと……一日待ちます」
「待つ?」
「ええ。魔導針が精霊の情報を収集するのには、最低一日はかかるのです」
「そうですか……」
心なしか、クラウドレインは落ち込んだように見えた。仕事の早い彼にとっては受け入れがたいことなのかもしれない。
恐ろしい存在だが、時間は平等だ。そんな風に思うと、少しだけ恐怖が和らぐのを感じた。
翌日、監視塔最上階。
わたしはそこに置かれた大きなテーブルの上に、4フィート(約1.2メートル)四方の白い大きな布を広げだ。これは術式を施した糸で編み上げた精霊地図だ。地図と言ってもまだ何も書きこまれていない真っ白な状態だ。
続いて魔導ペンを持つ。わたしの魔力に反応して、魔導ペンのペン先はほのかな光を放った。正常に動作している。これで準備完了だ。
準備を進めるわたしを、クラウドレインはじっと見ていた。
「その魔道具で地図を書かれるのですか?」
「ええ、この魔導ペンで、精霊地図を書き上げるのです」
「失礼ながら、天候魔導士と言うものは、地道な作業が多いものですね」
「いいえ、今からやる作業はそうでもありません」
わたしはニッコリ微笑んで、クラウドレインに宣言した。
「これからちょっと、天候魔導士のすごいところを見せてあげます」
言ってから、ちょっぴり後悔した。普段の仕事で使っている決め台詞をつい使ってしまった。
精霊地図の描画は、天候魔導士の秘術だ。村の人とかはすごく驚いてくれる。一流どころの魔法使いでも、目の当たりにすればかなり感心する。でも、人間よりはるかに高い魔力を持つ魔族が同じ反応をしてくれるかはちょっと未知数だ。
今さら後悔しても遅い。とにかく今は、全力で仕事をしよう。これから使う魔法は、集中が大事なのだ。
深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
いける。やれる。できる!
そう確信した瞬間、わたしは魔法を発動した。
「広域魔力放出」
まず、魔力を周囲に向けて解き放った。
イメージするのは波。薄く広く遠くまで波を送る。地図で確認した範囲、魔導針のすべてに届くよう、解き放つ。
「自動描画体勢」
続いて、予め用意していた術式に身体をゆだねる。このとき、わたしの意識は身体を離れる。少し離れた場所から他人の身体を眺めるように、自分の身体を俯瞰的にとらえ、術式によって制御する。
「魔力受信開始」
100に及ぶ魔導針が一斉に返してくる情報を、わたしの身体が受け取る。その情報を一つずつ処理するわけにはいかない。複数の情報を同時に処理しなければ、精霊の流れは見えてこない。しかし、その膨大な情報量は、とても人の頭にとどめて置けるものではない。
ではどうするかと言えば、そのまま書くのだ。
魔導ペンを持った腕が、精霊地図に線を描いていく。
その動作に意思はない。術式で定めた通り、予め定まったように動くだけだ。今のわたしの身体は、魔導針からの情報に反応して自動的に機能する機械だった。
魔導ペンはインクを使わない。先端に魔力を宿して精霊地図に触れる。すると、術式により様々な色の線が描かれるのだ。インクのようにはねたりにじんだりすることはない。正確に精密に、情報が形となり記されていく。
平地のひろがりが、突き出た岩が、そびえる山が、生い茂る森が、流れゆく川が、次々に描かれていく。様々な地形の中で、四大精霊がどこにいて、どんな流れができているか、色とりどりに描かれていく。
わたしの意識は、処理した情報を書き記していく身体を制御するだけだ。何を描かれているのか理解する余裕はない。わずかな制御の乱れが情報の欠損を生じさせる。気を抜くことはできなかった。
何時間にも感じられる極限の集中作業。だが、実際は30分にも満たない時間だった。最初に放出した魔力が力を失い、魔導針からの計測結果が届かなくなった。術式は終了し、わたしの意識は身体に戻る。
身体が重い。限界ぎりぎりの速度で動かし続けた腕はすっかり痺れてしまい、ペンを取り落としてしまいそうになる。今日はもう、まともに動かせないだろう。
ふらつきながら、それでもわたしは精霊地図を見る。
地形は大丈夫。事前に見た地図より詳細に描かれている。精度も十分だ。
精霊の配置と流れを見る。監視塔から目視で確認した範囲は正確に描かれている。他の場所は実地で確認するしかないが、描画の乱れのなさからして、魔導針からの情報に誤りはなさそうだ。
魔王城の周辺だけ黒塗りになっていた。これはなぜだろう。何か防御魔法でもしかけてあるのだろうか。
いや、考えてみれば当たり前だ。瘴気だ。精霊地図の描画前に放出した魔力は、精霊の情報を伝えることに特化した薄いものだ。これは瘴気には阻まれてしまうのだ。
それは当然のことであり、魔法の異常ではない。
精霊地図は完成した。
安心したら力が抜けた。倒れそうになる。精霊地図が出来上がったときはいつもこうだ。そして、大抵の場合、そのまま床に倒れこんでしまう。
今回は、倒れることはなかった。誰かが肩を抱いて支えてくれたのだ。
「驚きました。見事な魔法です」
声の方に目を向けると、クラウドレインの端正な顔が驚くほど近くにあった。、
近くで見ても整った顔だった。銀縁のメガネの下に切れ長の瞳が見えた。思ったよりまつげが長い。
倒れそうになる自分を支えてくれた上に、仕事を褒めてくれるイケメン。魔族でなければ好きになってしまいそうだ。やばい。
わたしは慌てて、足に力を入れて体勢と立て直すと、クラウドレインの手から離れた。
「あ、あなたが魔導針を正確に打ち込んでくれたおかげです。ありがとうございます」
なにか気恥ずかしくなってしまい、そう言ってごまかした。
まあとにかく。準備は整った。
これで地形の加工を始められる。