第三話
魔族・クラウドレインの空間転移の魔法は実に優秀だった。
魔王城からほんの一瞬で実家に着いた。ちょっと悪いと思ったが、クラウドレインには家の外で待ってもらった。異性の、それも魔族が家の中にいる状況で、着替えや支度をするのはどうにも落ち着かないと思ったのだ。
わたしの実家は人里から離れた山の近くにある一軒家だ。彼の姿が人に見とがめられることもないだろう。
3か月ぶりに戻った実家に、迎えてくれる者はいなかった。両親は既に他界している。
父はわたしの物心つく前に死んだそうだ。母は幼いわたしを連れて、天候魔導士として様々な村を巡った。そんな母も、ある村の干ばつを止めるために無理をし過ぎて身体を壊し、そのまま亡くなってしまった。3年ほど前のことだった。
父も天候魔導士として立派に働いていたという。そんな両親の背を見て育ったわたしが、天候魔導士として魔王のために黒雲とイナズマをつくることになるなんて。いったいどんな因果なのだろうか。
わずかな時間、感傷に浸ってしまった。外ではクラウドレインが待っている。それを意識すると、すぐさま下着を替えなくてはならないと思った。
魔法を使えばすぐに沸かすことはできるが、さすがにのんびり湯船に浸かる気にはなれなかった。濡らした布で身体を服にとどめた。身体を綺麗にして着替えたらさっぱりした。気持ちを切り替えて、天候魔法に必要な魔道具や数日分の着替えなどを荷物にまとめた。もともと天候魔導士は遠出の機会が多い。こうした荷物の準備は慣れたものだった。
準備を終えて家の外に出ると、クラウドレインは直立不動で待っていた。来たときから一歩も動いた様子がない。
家の庭には簡素な椅子とテーブルがある。そこで座ってくれてればいいのに。律儀な魔族だ。
「お待たせしました。準備ができました」
「かしこまりました。それでは魔王城に戻りましょう、リーポット・ウェイザー様」
クラウドレインが呪文を唱える。人間には聞き取れない独特な音階。そして足元に魔法陣が現れる。城から実家に移動させてもらった時にも見た、空間転移の魔法陣だ。
「あ、待ってください。魔王城に戻る前に、昨日までいた村に寄ってもらえますか? わたしが急にいなくなって、心配していると思うんです」
クラウドレインの動きが止まった。こちらをじっと見る。
「それは、魔王様より授かった仕事より優先すべきことですか?」
表情にも視線にも声音にえも、まるで感情がこもっていなかった。それが逆に怖い。たぶん、相当怒っている。でも、一度口にしたことを、ひっこめようとは思わなかった。
「魔王様から受けた仕事のために必要なことです。前の仕事をきちんと終わらせて、これからの仕事に集中したいのです」
わたしは言いたいことを最後まで言った。
強気にでた理由は二つある。
一つは天候魔導士の仕事は信用第一だからだ。ただでさえ期間を要し、結果がすぐにでない種類の仕事なのだ。次の仕事があるかどうかは、評判によって決まる。仕事をやりっぱなしで放置しては、後の影響が大きい。
もう一つは立場を保つためだ。いくら魔王や魔族が相手だからと言って、言われたままに従うばかりでは、必要な時にこちらの意見を通せなくなる。対等に話せなくてはいい仕事はできない。
しばらくクラウドレインと見つめ合う。先に目をそらした方が負けだ。持久戦になるだろうか、なんて思ったところでクラウドレインの方から引いてくれた。
「承知しました。あの村まであなたをお連れします。私共には時間がありません。なるべく早く終わらせてくれるようお願いします」
そして、わたしは空間転移の魔法で村まで戻った。村長に急な仕事が入ったから、すぐに旅立たねばならなくなったことを話した。合わせて、天候魔法は成功したので、しばらくは干ばつの心配はないと説明し、数か月後に経過を見るためにまた訪れることを約束した。
可能な限り手早く済ませた。そこは仕事として、新しい依頼主の意向を尊重すべきだった。
クラウドレインは時間がない、と言っていた。最近、勇者の快進撃が続いているという噂は耳にしている。ああいう噂は尾ひれがつくもので、どこまで本当の事なのかはいまいちわからない。しかし魔王の側近であるクラウドレインが時間がないと言うくらいだ。勇者と魔王の対決は、本当に近いのかもしれない。
村でのあいさつを終えた後。空間転移の魔法で、魔王城へ戻った。
着いた場所は、魔王と謁見した王座ではなかった。上品な調度品に彩られた客間だった。広々としていたいい部屋だ。だが、なにか違和感があった。
ふと、部屋にひとつだけある小さ目の扉が気になった。開けて見ると、そこはトイレだった。
他に扉はない。窓もない。通風孔ぐらいはあるけれど、とても人の入れるサイズじゃない。完全な密室だった。
「……この部屋、どうやって出入りするんですか?」
「空間転移の魔法を使用します」
「あなたがいないときはどうすればいいんですか?」
「ご用命のときは、そこある呼び鈴を鳴らしてください、リーポット・ウェイザー様」
そう言ってクラウドレインの指さす先には、テーブルがある。その上には高級そうな作りの呼び鈴が置いてあった。
「魔族と人間は争いのただなかにあります。残念ですが、城内を人間であるあなたにはお見せすることはできません。城内にいる間は、こちらの部屋で過ごしてもらうことになります。どうかご容赦ください、リーポット・ウェイザー様」
なるほど、もしわたしが城の構造を知ったら、勇者パーティーに知らせることもできるかもしれない。そうした懸念をなくすためには、まあ妥当な措置と言えるだろう。
それに、魔王城と言えば勇者に対するいくつもの罠が仕掛けられているはずだ。私自身、うろつきたいとは思わない。
極端な話、ここが魔王城である保証もない。窓で外が見られなくて、出入りもできない以上、確認もできない。まあそこまで疑いだしたらキリがない。気にしない方がいいのだろう。
そんなことを考えていると、気になることがあった。
「天候魔法は周囲の地形の把握が必須です。城内はともかく、城の周りの地形を詳細に知ってしまうことになります。そちらは大丈夫なのですか?」
「問題ありません。周辺の地形は守秘対象外です。魔王様は魔王城で正々堂々と迎え撃つつもりです。勇者パーティーがこの地までたどり着いた時、むしろまっすぐに魔王城まで来ることを望まれています。安心して仕事にとりかかってください、リーポット・ウェイザー様」
この部屋は問題ない。そうなると、ひとつ、気にかかる事があった。
「あの、クラウドレインさん」
「なんでしょう、リーポット・ウェイザー様?」
「わたしのこと、いちいちフルネームで呼ぶのはやめてくれませんか?」
「ではどうお呼びすれば?」
「ファーストネームでいいですよ。リーポットと呼んでください」
「いえ、それでは失礼が過ぎます。『ウェイザー様』と呼ばせてください」
クラウドレインは譲る気はない様子だった。
まあ、いいか。それほど親しくなろうとは思わない。
「わかりました。それでお願いします。これからよろしくお願いします、クラウドレインさん」
「承知しました。こちらこそよろしくお願いいたします、ウェイザー様」
こうして、魔王城での仕事が始まった。