第一話
「では、始めます!」
村の一角。そこに建てられた、ひときわ高い物見やぐらの上。わたしは下に集まっている村の人たちに呼びかけた。
目の前の机に広げられたのは、4フィート(約1.2メートル)四方の大きな地図だ。そこには詳細な地形と四大精霊の配置と流れが精緻に書き込まれている。
準備はすべてそろっている。
母からもらったお守りをぎゅっと握りしめる。黒く、凝った装飾のお守り。一族に伝わるこのお守りを握りしめると、なんだか普段より力が出せるような気持ちになる。
そして、意を決すると、魔法を解き放つ。
「精霊誘導、天候操作・雨!」
四大精霊を感じ、その流れを誘導する。
精霊が動き、流れが生じる、確かな手ごたえを感じた。
やがて空には雲が集まってくる。
そして、ぽつぽつと雨が降り出した。一度振り出した雨は勢いを増し、やがて大雨になる。
そこまで来て、わたしは魔法を解いた。ここまで安定した雨雲が出来上がれば、もう魔法による制御は必要ない。あとは自然に任せればいい。
魔法への集中がとぎれたところで、物見やぐらの下からの声が聞こえるようになった。
「ありがとうございます! 魔導士様!」
「ありがとう! ありがとう!」
「これでまた、作物を育てられるぞーっ!」
みんな雨に濡れるのも気にせず、喜びの声を上げている。
当たり前だ。なにしろこの土地では半年ぶりの降雨だ。
降りしきる雨。咲き乱れる笑顔。仕事がうまくいったと実感できるこの瞬間は、いつだって最高だ。
わたしは天候魔導士のリーポット・ウェイザー。四大精霊を誘導して天気を変える、天候魔導士だ。
日照りが続いたとき。人たちはどのように対処するだろう。
多くの村では雨乞いの儀式を行う。土地をつかさどる大精霊に、祈りを捧げるのだ。
それは実際、効果がある。力のある祈祷師が正しい手順を踏めば、雨は降る。祈祷師がいなくても、大精霊が願いを聞き入れてくることもある。
だが、問題がある。
雨乞いの儀式は、生贄を必要とするのだ。
生贄が牛や馬などの動物だけで済めばいい。だが、多くの場合、人間の命を捧げなくてはならない。それも一人では済まない。何人もの命をささげてようやく雨がもたらされることがほとんどだ。しかもそれは一過性のもので、天候が回復するのはせいぜい半年。翌年には、再び日照りとなる事も少なくない。
だが天候魔導士は違う。四大精霊に働きかけることで気象を変化させるのだ。
この世界で雨が降る仕組みは、精霊が形作っている。火の精霊が水の精霊を空に巻き上げ、風の精霊が雲を形作らせ、大地に戻ろうとする水の精霊を土の精霊が受け止める。それが雨と呼ばれる現象だ。日照りが続くというのは、この流れのどこかに異常や偏りがあるということだ。
天候魔導士は魔法を使って、その異常や偏りを修正し、精霊の流れを正す。
時には森を切り開いたり、谷を削ったり、河に支流を作ったり、山腹に小さな穴を通したりする。そうすることで、精霊が正しく流れる環境を整えるのだ。
そういった地形の加工は、人力なら数年がかりの大事業となる。だが、天候魔法士の地形加工魔法があれば、比較的短期間で実現できる。
地形の加工をきちんと行えば、日照りは解消され雨が降るようになる。少なくとも数年は持つ。定期的に調整すれば、もっと持たせることができる。
それほど有用な天候魔導士だが、いくつか欠点がある。
まず、雨乞いの儀式に比べて、効果が表れるのに時間がかかることだ。
雨乞いの儀式は早ければ即日、遅くても一か月以内には結果の成否が分かる。だが天候魔導士の精霊誘導は、最低3か月程度を要する。それだけ時間がかかると、間に合わない場合も少なくない。精霊誘導の作業中、待ちきれなくなった村の人たちが、別口で祈祷師を雇ってしまった、なんてこともある。
もうひとつは、精霊誘導にも限界があるということだ。
あくまで精霊の配置や流れを調整するだけで、その土地自体を作り替えるわけじゃない。砂漠を農地に変えたり、荒れ地を肥沃な農地に変えるようなことはできないのだ。
色々と苦労もあるが、工夫を凝らし力を尽くし天候を変えるのは、やりがいがある。
干ばつで苦しむ土地を、雨を降らせて潤す。
長雨にさらされ冷え切った土地を、太陽で照らし暖める。
天候魔導士は、困っている人を助け、笑顔にさせる仕事なのだ。
わたしはこの仕事が好きだ。
雨は数日降る見込みだった。
今夜は降雨を祝して、簡単な宴が開かれることとなった。村の人たちも日照りが続いていろいろと苦しいはずだが、今日ばかりは精一杯の大盤振る舞いだった。
料理をいただいていると、上機嫌で村長さんが話しかけてきた。
「いやあ、大したものですな、天候魔導士と言うやつは! 最初はお若い娘さんが来たのですこし心配になりましたが、いやいや、私も見る目がなかった!」
「あはは」
わたしは笑って受け流す。
外見のせいで、初見は軽く見られることも少なくない。
天候魔導士としての経験は積んでいても、わたしはまだ17歳の女の子だ。髪はショートで、少年と間違われることもある。年齢より幼く見られ、初めて訪れた村で信頼関係を築くのに苦労させられることもままある。
それに天候魔導士の仕事着はあまり、魔術師っぽくはない。上は厚手のシャツの上にポケットのたくさんついたジャケットに、手は厚手の手袋をはめている。下は厚手のズボンに頑丈なブーツ。そしてマント。魔法使いと言えばゆったりとしたローブが普通だ。天候魔導士はその性質上、屋外での作業が多い。実用を突き詰めると、どうしてもそういう動きやすい服装になるのだ。
唯一魔法使いらしいのは、いつも被っているつば広の帽子だろう。これはその鍔の部分に術式が施されており、被っていると精霊の動きをつかみやすくなるという優れモノだ。
総じて、あまり立派な魔法使いには見えない。魔術帽子を被っただけの、一般冒険者みたいな外見だ。
天候魔導士は直接的な攻撃魔法はあまり扱えないが、魔力だけなら一線級の冒険者にも劣らないくらいある。なにしろ天候と言う大規模な魔法を扱うのだ。魔力が高くなくては話にならない。
魔法使いかどうか疑われることがあっても、魔法のひとつかふたつも見せれば、たいてい力を認めてくれる。
そうやって一般の人にも魔法使いだと納得してもらうことが重要だ。第一印象は大事だ。報酬の金額交渉の際にとっても重要になるのだ。
「それにしても、天候魔導士と言うものは大変なものですなあ。村の者が言うには、準備のためにずっと野山を駆け巡ってたとか」
「ええ。天候を操作するには、その土地を少しずつ変えて、精霊の流れをよくする必要がありますからね。やりがいがあります!」
「でも危なくないのかねえ? 魔法が使えると言っても、山には魔物も出ることもあるでしょう?」
「大丈夫です、これがありますから」
いつも首から下げているお守りを、村長さんに見せた。
その外観は、掌に収まるほどの大きさの、黒っぽい金属製の板だ。その表面の上の方には魔物の顔をモチーフにした模様が彫刻されている。その下にはも複雑に絡み合う曲がりくねった線が彫られている。味方によっては文字に見える不思議な線だ。
きちんとした作りで、製作者の技術の高さがうかがえる。でも全体的にどこか歪で、ちょっと怪しげな感じもある。
「これは……なんと言いますか、お守りにしてはなんとも不気味な感じがしますな」
「効き目は抜群なんですよ! これをつけていると魔物に襲われない! こんな見た目だから、盗まれることもないのです!」
「あはは、それはいいですな!」
冗談めかして言ったけれど、これは我がウェイザー家に代々伝わる由緒正しいお守りだ。
天候魔導士はその仕事の性質上、一人で野外で活動する機会が多い。狼や熊といった獣と遭遇することもある。それらはだいたい、精霊魔法で対処できる。だが魔物となると、種類によっては対応が難しくなる。
このお守りをつけている間、魔物に襲われたことはなかった。お守りから魔力はほとんど感じられないので、効果のほどは定かではない。ただ運が良かっただけな気もする。でも縁起のいいものとして、大事にしている。
そうして、降雨を祝う宴は和やかに過ぎていった。
ころあいを見て、わたしは退席させてもらった。この3か月の疲れが重くのしかかっていた。
三日ほどこの村に逗留して、精霊の動きが安定したのを確認したら一旦実家に戻る予定だ。
今日のところは早く眠るつもりだった。
今夜はいい夢を見られることだろう。
翌朝、目を覚ました。
いや、まだ夢の中なのかもしれない。期待していたいい夢ではないようだけど。
精霊誘導の作業期間中、空き家を貸してもらっていた。昨晩はそのベッドで眠ったはずだった。質素ながらも寝心地は悪くないベッドだった。
今、下から伝わる感触は、やわらかいベッドのそれではなかった。固い。わたしはどうやら床の上にうつぶせに横たわっているようだった。
起き上がろうとすると、なんだか身体が重い。これはこの3か月までに蓄積した疲労だけではないようだ。
起き上がるにつれて視界が広がる。
あたりを見回すと、ここが広間であることがわかった。一般的な村の家なら収まってしまいそうな広さだ。こんな広間があるのは、大きな城くらいではないだろうか。でも、村の近辺に城なんてなかったはずだ。
周囲の印象は、一言でいえば黒い。床は一面の黒。数メートル先にある柱も黒。黒ばかりだ。
私の10メートルほど先には、10段ほどの階段があるが、その色も黒い。そしてその上には奇妙なオブジェがあった。禍々しく装飾が施された、縦長の長方形の彫刻だった。
そこに誰かが座っているのが見えた。それでようやく、彫刻と思ったものが、玉座らしいと分かった。
そこまで認識したところで、わたしはようやく、これが夢ではないとわかった。
身体の感覚も、体内でめぐる魔力も、しっかりとわかる。夢の中のあいまいさはない。
「貴様が当代の天候魔導士か」
玉座に座った誰かから声をかけられた。高い、子供の声だ。
その姿を視界の真ん中にとらえると、背筋が凍った。動けなくなった。
魔法使いだからこそわかる。
明らかに異質な魔力。これは知っている。魔族のものだ。
しかしその質と量は、わたしの知っている魔族のそれではなかった。過去、見かけたことのある下位魔族とは比べ物にならなかった。あまりに圧倒的で、禍々しい魔力だった。
私は天候魔導士だ。多くの精霊を導くために、並の魔法使いよりずっと上の魔力を持っている。
だが、目の前にいる子供はそんなレベルではなかった。次元の違う存在だ。目覚めたときに身体が重く感じるはずだ。
外見は一点を除いては普通の子供だ。王侯貴族の着るような立派な服を身にまとった、10歳ほどの凛とした少年。普通と異なる一点というのは、その瞳だ。白い部分が無い。真っ黒な眼球の中央に、線のように細い、紅色の瞳孔が開いていた。
人間ではない。あれはおそらく、魔族の瞳だ。
「我は魔王パスカーヘクト! 古の縁のもと、貴様に我の要求を果たしてもらう!」
魔王が、天候魔導士に何かを要求する? 古の約定? わたしのご先祖様がなんかやったのか?
あまりにも予想を超えたな事態に、まったく考えがまとまらない。
目の前の自称魔王は、混乱する私にかまわず、わけのわからない言葉を続ける。
「勇者との決戦のために、我が魔王城に黒雲とイナズマを呼び寄せて欲しい!」
本当に意味がわからない。いったい何を言っているのだろう。
わたしが呆けていると、自称魔王は言葉を続けた。
「魔王と勇者が戦う場所と言えば、魔王城! 魔王城と言えば、黒雲とイナズマ! だが今は、黒雲とイナズマが足りておらぬ! 貴様には、それを用意してもらいたい!」
確かに言われてみれば。子供の頃に読んだどの絵本でそうだった。魔王が住まう魔王城の上空には、真っ黒な雲とイナズマが描かれていたような気がする。
「つまり貴方は、勇者との決戦の雰囲気づくりのために、天候魔導士である私をさらってきたということですか?」
「うむ、その通りだ!」
「アホですかーっ!」
わたしは思わず、そう全力でツッコんでいた。