夜更け
深夜2時。1人部屋で音楽に耽る。
曲は10年も前に聴いていた曲。
曲名は『心勿』
深夜1人の時間は、思考が流れ巡る。
メロディーにあわせ、まるで器に注がれた水の奔流の如く、思考が順転し、反転する。
思い出したのは、学生の時に読んだ吉野弘の『I was Born』
記憶は朧げで、すべてを思い起こせるわけではない。
覚えているのは、人の生はまさしく受け身であるということ。
タイトルの『I was Born』通り、人は『生まれる』のではなく、『生まれさせられる』ということ。
自分の意思をもって生まれるわけではない。
自然界のマクロな視点において、自身の存在は希薄である。
当時、思春期の私がそれをどのように受け止めていたか、もはや思い起こすことはできない。
その時の感情は、生に対する憎悪だったか。それとも、超然的に生き死にを繰り返す自然の無情さへの虚無感だったのか。
もはや、あの時感じた記憶を蘇らせることはできない。
そして、大人となると、そこへ思考を巡らせることへの価値が著しく損なわれる。
もっぱら価値があるのは、金や権力といった社会的ステータスに、社会をひととき忘れさせる酒だ。
眠れない深夜の思考は、飛躍する。
―――思えば、サン=テグジュペリの『星の王子さま』の主人公である王子が出会った大人たちに、いつの間にか私もなっているーーー
深夜の乾いた風が窓を叩く。
まるで、心にざわつきが呼応して窓を揺らしているよう。
部屋で流していた音楽をとめる。
とめどなく流れる思考を強制的に遮断する。
―――寝よう。
眠れない夜に耽る思考は、必ずしも良い終着点へと帰結しない。
また夜が明けたら思考に耽ればよい。