第五話〈判定と壷の匣〉
葛城に連れられ、扉をくぐったらまた異空間にでも飛ばされるのかと色んな心構えをしていた和親だったが、待っていたのは先程の部屋となんら変わらない窓の無い部屋だった。
安心感からか小さく溜息をつく。
本当に小さな部屋だった。畳六畳分ぐらいだろうか、匣店の店内と似通った部屋だ。天井には小さなシャンデリアが吊るされ、薄暗い部屋を暖かい光と共にキラキラと輝き照らした。
部屋の中央には小さく洒落た樹のテーブルが一つ置いてあり、その上には何とも古めかしい金属か何かで出来ているであろう、大きめの銀色の壷のようなものがのせてあった。
「これは何だ・・・?」
和親は今までの経験から、仙人のような人物が待ち構えているとでも思っていたのだろう。
物音の何一つしない部屋にチョコンと置かれている壷を見て呆気にとられていた。
「判定の壷、ですよ。さぁ、和親君、前へ出て」
葛城はぽかんと佇んでいる和親を見て、クスクスと笑いを堪えながらそう言って急かした。
「前へ?」
和親は言われるがままに部屋の入り口辺りから壷の前までゆっくりと歩を進めた。
何が入っているのかと好奇心から壷を覗き込んでみると、透き通った綺麗な水がこぼれそうなくらいたっぷりと入っていた。壷の底まで良く見える。
途端、壷の底の方から澄み切った水を掻き分けるように、黒いインクのような靄が水面へと浮き出てきた。
そのまま水に溶けていくのかと思ったが、それどころか黒い靄はより輪郭が明確になっていく。
それをじっと和親は見つめていた。まばたきもせずに。
水面上でどんどん黒い靄は形を変え、最後には少し癖のある書体の文字へと変貌した。
『名は、何と言う』
和親は驚きのあまり言葉を失った。
が、もう一度文字を読み直したときに、はっとして急いで答えた。
「き、如月和親」
少し焦ってしまったか、どもって最初の文字を二回言ってしまう和親。
すると、水面に黒い靄で「キ、キサラギ カズチカ」と和親の言った通りに、一つ一つ文字が描かれていく。それを見て和親は少々イラッとする。
そのままそれは先程浮かんできた文字と共に壷の底へと消え、壷の中は澄み切った水だけになった。
「面白いでしょう?」
後ろから葛城が微笑みながら和親に声をかけた。
「面白いが、少し腹が立つ」
和親は振り返って引きつった笑顔を浮かべながら葛城に言ったが、すぐに向き直って壷の底をじっと見つめる。
葛城は興味津々で壷を覗く和親にゆっくりと歩み寄って一緒に横から壷を覗く。
『判定』
少し間があいて、先程と同じようにまた黒い靄が文字となって浮かび上がってきた。その文字はすぐに底へと吸い込まれ、また浮かんできた文字にこう続く。
『キサラギ カズチカ。魂番付、A+。よって、エリアXOへの配属を決定する』
「ランクA+ですって?!」
どういうことなのかと、葛城に聞こうとした和親より先に、葛城が大きな声を張って言った。
そんな葛城を尻目に、黒い靄の文字は更にこう続けた。
『階級O2。特殊戦闘部への配属も同時に決定する』
『以上』
最後にそれだけ言葉を浮かべて、黒い靄は全て壷の底へと消えた。
葛城の様子がさっきからおかしい。和親は一体何がどうなったのかよく分からなかった。
「・・・これは大変なことになりました」
葛城がやっと口を開いたかと思ったら、深刻そうな表情を浮かべて何か考えていた。
「エリアXOって言ったら、俺と葛城が歩いてきたところだろう? 俺はそこに配属になったのか?」
和親は葛城の様子を伺いながら、壷から浮かんできた言葉について話す。
「そうです。選りすぐりの高等な魂しか立ち入ることが出来ないエリアXOに、君は配属されたんですよ。和親君」
「そう、選りすぐりの高等な魂・・・って、俺が?!」
和親は葛城の言葉を追って復唱していくうちに、葛城の言う大変なこと、というのが明らかになっていくのに驚きを隠せず、途中で言葉を中断して声を張り上げた。
「まさか! 何かの間違いじゃないのか、葛城」
「私もそう思いたいのは山々ですが、判定の壷に誤り等あるはずがありません。多分この判定結果は向こうにも届いているでしょうが、私は少々指令部へ戻り、報告せねばなりません」
葛城は壷の底を見つめながら深刻な表情を変えずにそう言った。
「ちょっと待て、ちゃんと詳しく説明しろ!」
「和親君、事の重大さちゃんと分かってないでしょう。魂ランクA+とは閻魔匣創設者を除いたランクで一番高いランクのこと。その下にはAからZまでアルファベット順に段階があるんです。君はそのトップランク、閻魔匣でもいるのはごく僅かですよ。階級は、その者の所属エリアと位を表すものです。OとはエリアXOのことを表し、その後の数字が階級です。ランクは魂そのものにつくものなので永遠に変わることはありませんが、階級はその者の働きに応じて上げ下げされます。段階は1から5まで。最初はどんな人でも一番下の階級からのはずなのですが・・・どうも君は特別らしい。判定の壷がわざわざ階級や部を指定してくるなんて、前代未聞ですよ。・・・閻魔様も私を直接向かわせるわけだ」
この前代未聞の状況をどうやって和親に理解してもらおうかと、葛城は必死になって説明した。最後にぼそりと呟いた言葉は和親には聞こえまい。
「ともかく、まずは君の配属されたエリアXOに戻りましょう。・・・しかし、その服装では些か目立ちますね」
和親が何か言いたげだが、喋らせる隙も無く次の会話を繰り出す葛城。和親の制服姿をまじまじと見ながら、どうしようかと考えた。
「それでなくても君は今話題になっています。少々早いですが、エリアXOの正装服を渡しておきましょう。エリアXO所属の正装服の色は純白、XR所属は真紅、XS所属は漆黒です。覚えておくと後々役に立ちますよ」
そう言って葛城は、パチンと指を鳴らす。すると何処からともなく葛城が着ている服と全く同じデザインの服が、和親の目の前に現れて足元へと落ちた。
少し大きめだが、和親には丁度よい大きさと見える。振袖の着物のような長い袖がよく目立つ。和親は仕方無しに着替えを始めた。
「葛城、俺がこの色の服ってことはお前もエリアXO所属なんだろう? 何で言わなかった」
和親は前から感づいていたような口ぶりで葛城に問いただした。
「ええ、その通りです。さっきまでの君だったら言ったって理解できなかったでしょう。あと、匣は必ず隠しといて下さいね。その様にして首からぶら下げてたら狙って下さいと言ってるようなものですから」
ここまでくれば隠す必要も無いと葛城はあっさり頷いた。急いで何とか着替えを済ました和親だったが、葛城の言葉に何を言い返すこともできず少々ふてくされている様子だ。
続いた言葉にはっとして、急いで匣を服の間へと潜り込ませた。葛城は少し悪戯気に微笑みながら、もう一度パチンと指を鳴らす。
今度はこの部屋に来たときと同じように、和親の正面の壁に扉がまた現れる。
「一つ聞いていいか?」
和親は気づいたように言葉を付け加えた。葛城は何でしょうか、と言うように首を傾げる。
「何で服が中国風のデザインなんだ?」
葛城はその素朴な問いに思わず声を上げて笑った。そして単純明快にこう言う。
「創設者の趣味ですよ」
その後に和親が軽くふきだしたのは言うまでも無い。
「では、参りましょう」
気を取り直して、葛城は現れた扉をゆっくりと開く。
「ようこそ、閻魔匣へ」
和親は目を見開いた。
まずはこの扉がエリアXOへと繋がっていたことに驚いたが、和親が驚いたのはそのことではなかった。
先程和親が歩いてきたエリアXOは、扉の向こうでこれでもかというくらい賑やかな街へと変貌を遂げていたのだ。
街道を行き交う数え切れない人。
至る所で店が看板を掲げ、店員が客寄せの為に声を張り上げている。
和親達はエリアXOで一番賑やかな街道へと出てきたしたらしい。
扉は何処かのと繋げでもしたのか、左右を見るとちゃんと建物の壁に張り付いている。
「あの時は全然人なんて見当たらなかったのに・・・」
和親はただただ唖然と立ち尽くしていた。
「先程君が原因で発令されていた特別警戒令が解除されましたからね。そりゃあ人も出てくるでしょう。では和親君、私は一旦指令部に戻りますが、くれぐれもこれ以上騒ぎを起こさないようにして下さい。それと、頭上に気をつけて。」
「別に好きで騒ぎを起こしてる訳じゃ・・・頭上?」
和親が口論しようと振り返ると、すでに葛城の姿は何処にも無かった。
何処かの人混みに紛れたんじゃないかと、辺りを見回してみるがそれもなさそうだ。
葛城の最後の言葉は一体何だったのか。
和親がふと空を見ようと上を向いた瞬間、何処からとも無く降ってきた何かと顔面でぶつかり下手にしりもちをつく。鈍い音がした。
「いってぇ」
少々赤いであろう額をさすりながら、何が落ちてきたのか確認しようと腹の上辺りに乗っている重たい物体に視線を落とす。
背丈ほどあるであろう、まるで和親の匣と対になっているような漆黒の身に銀の装飾が施された美しい大きな弓と、黒い小さな紙包みが一つ。
しかし、さっきから周りの人の目線が痛い。
よく見れば確かに葛城が言ったように色こそそれぞれだが、皆和親と同じデザインの服を着ている。
何故か改めてこの世界の不思議さを理解したような気がした。
周囲の人が何やらコソコソと話している。和親は聞き耳を立ててみた。
「やだ、あの子新人かしら」
「俺も昔此処に来たらああだったよ。懐かしいぜ」
通りすがった人はこんな会話をしながら和親を見る。が、そこまで酷い言われようではないようだ。
「あいつ、これ降って来るのが分かってて・・・。そう言えば、武器と能力がどうとか言っていたな」
いつまでもしりもちをついている訳にもいかないので、和親は弓と紙包みを持って急いで立ち上がる。
包みは中身も見ずに適当にあった服のポケットへとしまい、和親は銀の装飾が太陽の光でキラキラ煌く大きな弓を興味津々に見つめた。
しかし、よく考えてみれば弓はあっても矢が何処にも見当たらない。これではどんなに弓が大きく立派でも使い物にならない。
和親は考えるのが面倒くさくなって溜息をつく。
色々あって忘れかけていたが、葛城がいない今、和親は見知らぬ世界へと放り出されたも同然だった。
これからどうしようかと考えるよりも先に、和親の足は行く宛も無いのに自然と歩を進めだしていた。
考えるよりも行動。
これは誰かさんの受け売りだ。
しかしその誰かさんの行方も未だ分からぬままなのは変わり無い。
とにかく、これから此処に居座るのは事実なのだから、和親は散策に繰り出してみることにした。