第三話〈魂の器の匣〉
「・・・今、何と?」
二人の目の前にある古びた樹の扉。
看板が目に入ると同時に和親が文字を読み上げたのには葛城は耳を疑った。和親の言葉が頭に響くような感じがした。
難なく文字を読んだ和親の言葉に葛城は思わず目を見開き、聞き間違いかもしれないともう一度和親に問いただした。
「言っただろう? 一度来たことあるんだ、此処」
和親は断定した。
自分が何故そう言ったのかは分からなかったのだが、絶対来たことがあると思ったのだ。
たかが夢を毎度見るからといって、和親の頭がおかしくなったわけではない。
これを直感というのであろうか。此処に来たことがあると頭の何処かで確信している。
「そんなはずありません。先ほども私が説明したでしょう? 此処は死後の世界です。まぁ、きっちり言うなら、この場所は向こうの世界と閻魔匣との境目ではありますが・・・」
冗談にもほどがあると葛城は思っていたが、和親の様子からして到底嘘をついているとも思えなかった。
しかし、つい先ほどまで生きていた者が何故この場所に来たことがあると断言できるのか。
〈生きているモノは死後の世界には決して流れてはこれない〉
これは絶対に覆すことの出来ない理だ。
「今はそんな戯言を言っている場合ではありません」
葛城は何か心に引っかかるものがありつつも、まるで子供を叱るときのような口調で和親に言った。和親にもうそれ以上は言葉を紡がせないような雰囲気を漂わせながら。
そして、黙り込んだ和親の目を見て何処か悲しそうな表情でまた、急ぎましょう、とだけ小声で言う。
葛城は手の甲を扉に向け、少し間をあけてコンコン、と二回軽く叩いた。
途端、古びた樹の扉は今にも外れそうな鈍い音を立ててゆっくりと開きだした。
扉の内側についている錆びたベルがカランカランと乾いた金属の音を奏でた。
「イラッシャイ」
扉が開ききったと同時に狭く薄暗い店の奥で声がした。
葛城が遠慮なく入っていくのを追って和親もゆっくりと店へと入る。
樹の扉は和親が店へ入ったのを確認したかのように独りでに閉まった。
「こりゃあ、珍しい人が来るもんだ。こんな場所に何の御用かね、葛城さんよぉ」
店の半ばまで入っていくと、低めの薄汚れた樹のカウンターに小さなランプが置かれ、かなり背中の曲がった老人が一人寂しげに座っている。
店と書かれていたものだから、色々な物が置いてあるのかと思いきやカウンターの一角以外全く何も無い。窓すらも。
声からすると男だろう、しゃがれた声で言葉を聞き取るのがやっとだ。
薄暗くて分かりにくいが、こげ茶色のローブを纏い、フードを深く被っていて目が見えないい。
顎に白い髭を蓄え、唯一表情が伺えるのは深い皺のある口元だけだ。
その口元はにんまりと弧を描いているのがとてもよく分かった。
「久しぶりですね、マスター。いつ以来でしょうか・・・・」
葛城が笑顔で老人に軽く一礼する。この老人と葛城は随分親しいのだろうか。
葛城とマスターと呼ばれたその老人との会話は、とても古い旧友と再会したときのような、そんな風に聞こえる。
「ざっと三十年くらいかのぉ」
「三十年だと?」
その数字を聞いて和親は思わず口を挟んでしまった。
今更ながら考えてみたが、此処にいる者が全員死んでいるとするなら勿論葛城も死んでいるということになる。
葛城が仮に幼い頃に命を落としたと仮定しても、どう見ても葛城は30代や40代には見えない。ということは一体どういうことだろうか。
色んなことを考えだしてみるときりがない。和親の頭の中は今や大きな台風が渦巻き、ぐちゃぐちゃに掻き乱しているような状態だ。
そんな和親を見て察した葛城は苦笑いしながら説明を入れた。
「和親君。この世界では向こうの世界で言う歳は全くとらないのです。要するに、永遠に死んだ歳のまま姿は変わらないんですよ。ですので、此処にいる人の歳等、見かけで判断しても無意味ということです。私はここに来てから随分と長くなりますから。まぁ、時が過ぎるのは向こうの世界と全く変わらないので、こういう会話が成り立つわけなのですが」
もう既に、葛城は和親の案内役兼説明係か何かにでもなっているのであろう。葛城の丁寧な説明はすうっと和親の頭の中へと入り、台風を沈めてくれた。
「それよりマスター。例の子、連れてきましたよ。でも時間が無い。急いで準備を・・・」
「ほぉおお。この子があの、エリアXOにいとも簡単に侵入してきたっていう」
葛城の話を途中で遮って、マスターと呼ばれているその老人は一際大きな声を上げて大層関心した口ぶりで葛城の後ろにいる和親をカウンターから乗り出し、まるでフードに目がついているかのようなまじまじと見つめる素振りをした。
「こ、こんにちは。如月和親・・・です」
マスターの急な反応に驚いた和親はどういう訳か畏まって自己紹介をし始めた。
「しかしお前さん、もうじき消えちまうじゃないか。どうしてもっと早く此処へ来なかったんだい? ほら、自分の身体見てみりゃ分かる」
マスターが一体何を言い出しているのか、和親には検討もつかなかった。
言われるがまま、自分の両手に目線を落とすと和親は絶句した。
手だけではない。和親の身体全体が薄い灰色へと変色している。それも現在進行形でだ。
試しに軽く手の甲と手の甲をあわせて擦ってみた。
軽くでも擦った部分は砂のように削れ、サラサラと灰のように散って店の床へと落ちた。
どうして今まで自分の身体の異変に気づかなかったのか。葛城が時間が無い、としきりにいっていたのはきっとこのことだったに違いない。
言わなかったのは葛城なりの配慮なのは分かる。だが、どうして和親は変わりつつある自分の姿に気づかなかったのだろうか。
「異常な事態でしたのでね、指令部の対応が色々と遅れていまいまして、この子を迎えにいくのが大分おそくなってしまいました。能力を使うにも二人一度には無理ですし・・・結局歩いて龍路まで行きましたよ」
マスターの言葉に対して、葛城が此処までの経緯を説明したようだ。能力、という言葉に和親は首を傾げたが、そんなことどころではない。
「現在お前さんのいた向こうの世界でいうと、午後六時二十五分。この閻魔匣に来た魂は何もしなけりゃ四時間で消滅しちまうんだよ。要は、お前さんは後十分もしないうちに消えちまうって事さ」
緊急事態のはずなのに、マスターはゆっくりとそれも何処か愉しげに和親を見ながら説明しだした。
「そう、何もしなければね」
マスターののんびりとした説明を急かすかのように葛城はマスターに変わって話し出した。
「通常、身体という器をなくした魂はとても脆く、儚い。しかしこの閻魔匣に入る際、その魂が消してしまわぬよう〈匣〉という仮の器を提供し、魂を補強します。そうすることによって魂は消滅せず、永久的に存在し続けることが出来るのです。匣に魂を入れた時点で身体は元通りに再生され、元の姿となんら変わり無い状態になります。まぁ、詳しいことは後から説明しましょう」
「匣?」
その二文字に和親は迷わず看板にあった文字をあてる。
「そう。見かけは普通の小さな箱のようなものですが、魂に合わせて様々。そして、その匣を提供する場がこの匣店なのです」
ここまで説明し終えて葛城はふうと溜息を一つ溢した。
未だに頭の中を整理し終えていないであろう、呆然と立ち尽くしている和親を横目で見ると、そのままマスターへと視線を移して軽く頷く。
マスターも葛城と視線を合わせてアイコンタクトを取りゆっくりと頷くと、突然和親の辺りは真っ暗な闇に包まれた。
「うわっ!」
考え込んでいた和親に突如深い闇と、足をついていた床が無くなる感覚とが襲った。そのまま落ちるかと思いきや、身体はふわふわと宙に浮いていて些か気持ち悪い。
つい先ほどまで店の中だったはずなのに、いつの間にか和親は四方八方真っ暗闇の異次元空間へと放り出されていたのだ。
「・・・命ノ灯シ火何処ヘ行ク。何ヲ背負ッテ何処ヘ行ク。捕マエヨウカ、ソノ命。閉ジ込メヨウカ、ソノ命」
ふと何処からか聞こえてきたしゃがれたマスターの声。だが姿はどこにも見当たらない。
和親は辺りを必死に見回すが、何処を見ても暗闇が広がるだけだ。
すると、周りにいきなり小さな箱のような物が一つ、また一つと和親を囲むように現れだす。
「サァ、選ビナサイ。ドノ匣モ君ノ様ナ、気高イ魂ニピッタリノ物バカリヲ揃エタ。選ビナサイ。」
またマスターの声が聞こえた。
和親を囲む無数の匣達は、ふよふよと浮かんでいるだけ。
色も形状も様々見ているだけでも数は計り知れない。選べと言われても、何を基準にどう選べば良いのか等、和親には分かるはずも無い。
自身に危機が迫りつつも途方に暮れていた和親に、何か黒い闇の遠く彼方で何か光の反射のようなものが見えた。
何故か分からないが、和親は直感的にその方面に向かって思いっきり両手を伸ばした。
途端、どうだろう。
和親の片方の手の中にすっぽりと何かが納まった。逃がすものかと慌てて手に納まった硬い物体をぎゅっと両手で握り締める。
一体何なのだろう。自分の手に吸い込まれるように飛んでいたそれを、一瞬確認しようか迷う。
恐る恐る手を開いてみると、3cm程の大きさ、菱形の漆黒の物体だった。何かの石だろうか、ツルツルとした黒光りしている表面に植物の蔓のような銀の装飾が複雑に施されていた。
和親は直感でこれだと思った。
「ホォ、ソレカネ?・・・デハ、匣入!」
マスターの声が一段と大きくなって和親の耳を貫いた。
その瞬間、握り締めていた手の中にあった漆黒の物体がいきなり眩い光を放つ。
眩し過ぎて和親は思わず眼を瞑った。一瞬、心が何かに吸い込まれていくような不思議な感覚があった。
「間に合うて良かったのぅ。ほっほっほ!」
マスターの陽気な笑い声と同時に和親は目をあけた。
和親は、いつの間にか元通り店の床に足をついて立ってた。が、ふっと身体の力が抜けて眩暈に襲われる。
その場に倒れるかと思ったが、その前に葛城がしっかりと和親を支えていた。
「一時はどうなるかと思いましたよ、マスター。冷や汗をかきました」
葛城がもう呆れて言葉も無いという様子でそれだけ言うと溜息をついた。
「葛城・・・俺、一体・・・」
「よく出来ました。無事に魂は匣におさまり、身体も元通りに」
和親が喋ろうとするのを早めに食い止め、柔らかく微笑みながら褒めるかのような口ぶりで葛城はそう言った。
葛城の微笑みは和親を安心へと誘った。和親の視界は段々とぼやけていき、そのまま死んだように深い眠りについた。