第十四話〈不安と藍の眼を持つ少年の匣〉
和親は今、ボーっと真っ白な天井を眺めている。
目覚めたのはほんの数分前だった。
最初は頭の中がもやもやとしているだけで状況把握が上手くできていなかったが、そのうちに此処が病室であることを思い出し急いで重たい身体を起こして周りを見渡すが部屋には和親以外の人の気配は無く、何処か空虚な感じがあった。
一気に気が抜けたように再びベッドに倒れこむと布団を頭まで被って蹲った。
時間を確認したかったが正装服と共に時計もなくなっていた事も思い出し、布団の中から首だけを動かして周りを見る。
すると、ベッドのすぐ左にある小さな棚の上に和親の物であろう白の正装服が丁寧にたたまれて置かれていた。見る限りでは血の染み込んだ跡のようなものは無かった。更にその上にちょこんと銀時計が置かれていた。
ほっと安心すると同時に布団の中から銀時計に手を伸ばし蓋を開けると、時間は朝の七時を少し回ったところだった。
時計を自分の布団の上にひょいっと投げる。
小さな窓から差す眩し過ぎるぐらいの日光は、起きた和親の目には酷く痛かった。
和親はまだだるさが残る身体をゆっくりと起こして布団から出て脚を外に投げ出すと、丁度その下に和親の履いていた黒い靴が綺麗に揃えられている。
少し乱れた髪を軽くかきあげながら無造作に靴に足を突っ込んでベッドから立ち上がり、棚の上に置いてあった正装服を手に取り着替えにかかった。
適当に身支度を整え、自分の姿を一通り見遣って確認する。
最後に先程放り投げた銀時計をとって内ポケットにしまおうとすると、既に自分の名前がプリントされたあの白いカードが入っていた。
和親は半分ほど忘れてしまっていたカードの存在を改めて確認し、時計をポケットへと落とした。
服の下に潜ってしまった匣についている鎖を手繰り寄せて、和親は美しい装飾の匣に今一度見入る。
「俺もいつか、この小さな黒い匣に呑まれるのだろうか」
ふと心の隅にあった不安がボソリと言葉になって出ていた。考えただけで背筋がゾッとし体から血の気が引いていくのが分かる。
そんな不安を振り落とすように和親は思い切り首を左右に振り、匣を服の下へと潜り込ませた。
とにかく、和親は何故かこの病室から出たかった。
出て自分の知っている人に会いたくなった。自分が独りになると、色んな不安や困惑ばかりが頭をよぎるのだから。
何よりも蓮のことが本当に心配だった。
だが探そうとすると何かに邪魔されるように、事件に巻き込まれてそれど頃では無くなる。
そんな己のことで精一杯の自分に和親は苛立つばかりであった。
和親は足早に今まで眠っていた病室を後にした。
何処と無く辺りを見回すと相変わらず白い壁、そこに羅列する沢山のドアは、中央時計塔の和親の部屋のある階を思い出させた。
廊下の突き当たりに階段があるのが見えるが、何処へ続いているのかは分からない。
「此処、何処だっけ・・・・・・」
そういえば、と和親は思わず顔を引きつらせながら微かに呟く。
和親は勿論、目覚めたときは既に病室だったためこの場所が一体閻魔匣の何処に位置していてどういう所なのかさえ全く分からなかった。
白いレンガの壁が語るのは、此処がエリアXOであることだけ。
足早に部屋を出てきたはいいものの、場所が分からなくては中央時計塔の自室に辿り着こうにも無理な話だ。
一瞬中央時計塔かと淡い期待を抱いたが、見る限り建物の造りや間取りが全く違うためその期待は無残に消え去った。
物音一つしない病室前の廊下で途方に暮れていた和親の耳に、遠くで微かに誰かの声が聞こえたような気がした。
間も無く突き当たりにある階段の方から、誰かが此方に駆けて来るのが見える。
「和親さーん! 駄目ですよ、勝手に出歩いちゃ」
そう言っている割には特に慌てた様子も無く、軽く小走りで駆けて来たのは和親より少し年下に見える綺麗な藍色の眼を持つ少年だった。
何を考えているのか分からないような、そんな不思議な雰囲気を醸し出しているような気がした。
身長は和親よりもやや低く、明るい栗色のくせっ毛の短髪は犬を思わせる。
黒と赤のチェックのキャスケットを被り、大きめの漆黒のケープをはおっていてその下からは赤の正装服が時折見える。見た目とは裏腹に丁寧な敬語を使っているのが少し奇妙に思えた。
和親の前で立ち止まると、その少年は珍しそうに和親を見詰めて何かの拍子にニコリと微笑んだ。
「・・・お前、誰だ」
和親はこう少年に問う前に自分なりにちゃんと記憶を探ってはみたのだが、当たり前にも面識が無い人物だった。
しかしこの少年が自分の名を知っているとなると、中央時計塔関係の人物であることは間違いないと考えた。
分かっていても不信感は隠せないのか、和親は明らかに顔をしかめながら相手を見遣る。
「そっか、和親さんは僕のこと知らないんだっけ。僕は八雲烈。どうぞ宜しく、如月和親さん」
少年は思い出したような口ぶりで名を名乗った。宜しくと言っているにしては、どうも口調がだるそうに聞こえるのは気のせいでは無いだろう。
烈と名乗ったその少年の「知らないんだっけ」というその言葉は少し和親の癇に障ったようで眉間の皺が更に濃くなる。
自分の知らない間に全て事が終わってしまっているような、何も知らないのは自分だけのような、そんな気がしてしまったからだ。
「何故俺の名を知っている? 詳しく話せ」
そんな心情からか、烈の言葉に続いた和親の言葉は少々荒っぽくなっている。
「えー。 嫌ですよ、面倒臭い。そういうのは隊長に聞いてください。僕は貴方を迎えに行くように頼まれただけなんですから。 飴玉一つでね」
和親の様子の変化をはたして感じたのか否か、烈は先程と同じく心底面倒臭そうな口ぶりでそう言葉を紡ぐと、胸ポケットから青い包み紙に包まれた大きめの飴玉を取り出して和親に見せにっこりと笑ってみせた。
烈の面倒臭い、という言葉ですませるまさかの返答に和親は久しぶりに紛れもない苛立ちを覚え、色々と吐き出したくなる気持ちをゴクリと飲み込みながら必死に頭から血が引くのを待った。
隊長とは透夜のことで間違いなさそうだった。しかしこの少年は、頼み一つで褒美を要求してくるような奴なのであろうか。
それが飴玉という点では容姿に負けず子供じみているが。
「とにかく、こんな所で無駄話も何ですから、早く中央時計塔に戻りましょうよ。僕、此処あまり好きじゃないんですよね」
烈は周りをちらりと横目で確認してからそれだけ言うと、和親の返事も待たずにいきなり手首をガシッと掴んで見た目からは想像もつかないような力で、和親を無理矢理引っ張って元来た階段の方へとやや早足で歩き出した。
「うわっ! おい、待てよ。中央時計塔に戻る・・・ってことは、此処はやはり時計塔じゃないんだな? 此処は一体何処なんだ」
いきなり引っ張られたので、和親は危うく派手にこけそうになる。が、どうにか体制を整えながらそれなりの力で抵抗するが、何故だか全く敵わなかった。こんな子供に力で負けるとは、自分はそんなに力がないのかと和親は少々自分に呆れた。
烈の言葉は色々なところで和親の癇に障ったが、イラつきを必死に押さえ込み相手に歩調を合わせながらまた問いかけた。
「貴方は黙ってついて来るって事が出来ないんですか? さっきからしきりに質問ばかり、仕方ないなぁ」
烈は少し声を張って呆れたというような口調で和親の方に少し振り向きながらそう言った。
「貴方、能力の制御不能に陥ったんでしょ? よく助かりましたよね。本当に運が良いとしか言い様がないです。普通だったら飲み込まれて消滅してますよ。葛城さんが貴方を時計塔の救護室に連れ帰ったん下さったんですが、何せ急だったもので救護室の設備では駄目だったみたいです。ってことで、時計塔から少し離れた所にあるこの専門の特別医療施設に搬送された、ってところでしょうか。本当は葛城さんが迎えに来て下されば手っ取り早かったんですが、忙しいみたいだったし少々体調が悪そうだったので変わりに丁度その場にいた僕が。これで満足ですか?」
烈はずいずいと和親を引っ張って歩を進めながら、淡々と大雑把にこれまでの経緯を説明し始める。
「ああ、此処から階段ですよ。気をつけてくださいね」
最後に思い出したかのように烈は馬鹿にするような口調で和親に忠告した。
話に気を取られていた和親は勿論下り階段の一段目で体制を崩し、柄にも無く変な声を上げる。
「お前、俺のことなめてないか?」
これには冷静な和親も限界だったらしく、後ろから頭を一発思いっきり殴ってやりたいという衝動を抑えながら少し声を張った。転ばないように必死に段を確認しながら階段をおりる。
足元に注意を払っていなかった和親自身にも幾らか非はあるだろうに、それは棚にあげておいてついカッとなってしまった。
「いるんですよね、そういう常に冷静を装って澄ましてる人。僕の一番嫌いなタイプです。僕、これからどうやってこの人と付き合っていけばいいんでしょう」
和親のそんな言葉は聞きもせず、振り向きもせず、何処か他人事のように烈は嘆いた。
「それは俺の台詞だ! 可愛気の欠片も無いガキが」
ここまで来るともう後はどうにでもなれの世界だろうか。
烈の言葉に完全に頭にきた和親は、声を荒げて後ろから言葉を乱暴に投げた。
「結構! 別に貴方に好かれたいとか思ってませんしね。ああもう、もう少し早く歩けないんですか?」
流石の烈もこれには少しムッとして仕返しとばかりに引っ張るために掴んでいた和親の手首をギュッと力を込めてきつく握り、更に無理に引っ張る。
「痛っ。おい、本当にいい加減にしておけよ、烈」
つい名前を呼び捨ててしまった和親だったが、そんなことは今は全く気に止まっていない。
「生意気だ!」
「そう言う貴方も大概ですが!」
こんな小学生がするような会話を繰り返しながら医療施設を出て、二人は中央時計塔へと歩を進めるのだった。すれ違う人達は、口喧嘩しながらも二人一緒に歩いていく様子に首を傾げていた。