第十三話〈眠りと内なる願いの匣〉
和親の目がゆっくりと開いた。
一番最初に目に入ったのは真っ白な天井だった。少々の間ボーっとしていたが自分に起こったことの記憶がどんどんと沸いてくるのと同時に、かけられていた布団をバッと前へと退けて慌てて飛び起きた。が、いきなり動いたせいで腹部の傷から鈍い痛みが体を駆け、傷を片手でおさえた。傷は丁寧に処置され、包帯が巻かれているようだ。透夜のその場の処置が良かったのか、それともまた匣が何かしでかしたのか、痛みは大分ましだ。
一体何が起こったのか、此処が何処なのか、と落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回してみると、どうやら病室のようだった。
とにかく布団から抜け出そうとしたとき、異様に太ももの辺りが重かったので視線を向ければなにやら大きな黒い物体が目に入る。よく見ると黒ずくめの人間が一人椅子に座ったまま和親のベッドへと顔を伏せて、布団ごしに足の上へと乗っかっていた。どう見ても透夜に間違いなかった。
顔が見えないので分からないが、和親が起きたことに気づかないと言うことは多分眠ってしまっているのだろう。すぐ傍にはふちの細い眼鏡が放ってあった。透夜が傍にいてくれたのかと思うと、和親は心が暖かくなった。
ふと時間が気になったので時計を取り出そうとするが、肝心の内ポケットが無い。よく見てみれば、和親はよくある病人の着る白いパジャマのようなものを着ていた。誰かが着替えさせでもしてくれたのだろうか。匣だけは首からかかっていたので些か安心した。
しかし、上に乗っかっている透夜を起こさずに布団から出るのは不可能のようだ。
「透夜、おい、起きろ」
結局考えた末に軽く肩をゆすりながら透夜を起こしにかかる和親。
「・・・和親?」
気づいたのか、小さく唸りながらも頭を重たそうに上げて和親を見る透夜は最初の方は頭が回っていないようで見つめ続けていたのだが、ハッとしたように目を丸くすると折れていた腰を起こして和親の名を呼ぶ。
「おはよう、透夜。よく眠れたか?」
和親は少し悪戯気のある言葉を投げかけながら微笑んだ。
「それはこっちの台詞だ! 心配させやがって、お前何時間眠ってると思ってるんだ! ―――・・・見ろ、もう真夜中だ。っ言っても外は明るいがな」
透夜は心外だとでも言うように和親の表情を見るなり顔をしかめそう言うと、手元の和親の足を布団の上から軽く叩いた。何かの反射で和親は「痛っ」と声をあげてしまう。透夜は和親の様子を見ながら安心するように小さく溜息をつくと正装服の胸のポケットから、和親が以前葛城から貰った銀時計と同じものを取り出して蓋を開き、時計の短い針が深夜の一時をさしているのを和親に見せた。
「俺が起きるの、待っててくれたんだろう? ありがとうな」
そんな事を言っているが、自分の仕事もあるだろうにこんな時間になるまでこの場にいてくれた透夜の優しさに和親は素直に礼を言った。
「馬鹿か、お前は。俺の大事な部下だ、当たり前だろ!」
あっさりと礼を言った和親に透夜は一瞬きょとんとしたが、そのうちに恥ずかしくなったのかフンとそっぽを向くもそんな言葉を投げた。その後すぐに、まるで話をそらすかのようにこう続けた。
「それより、お前もう大丈夫なのか? 葛城に気絶させられたお陰でエネルギーの放出は止まったが、かなりの力を使ってしまった筈だ。体力的にも精神的にも相当キてると思うぞ。それに刺された傷もまだ塞がってねぇし、あんまり動くなよ」
「そうか、やっぱり葛城が・・・。確かに体がだるいかもしれない。・・・透夜、俺に一体何が起こったのか説明してくれ」
和親は意識を失う前に見た漆黒の長い髪のことを思い出す。後に軽く腕をあげて肩から回してみようと試みたが、あがるにはあがるものの思うように動かすことが出来なかった。体に沢山の鉛がくっついているような感じだ。
和親は街であったことを回想しながら透夜に説明を乞う。
「簡単に言えば、能力の暴走。主の許容範囲を能力が上回ってしまい、制御不能になるんだ。和親は一定の間能力に身体自体を奪われてしまっていたと推測できる。お前が弓矢を下ろせなかったのはその所為だろうな。更に急激な覚醒だったもんだから、力を常に全開放出する状態が続いた。・・・これが今説明できる指令部と技術開発部が出した結論だ」
透夜は眉間に皺を寄せながら椅子から立ち上がり、近くの壁へともたれ掛かると腕を組んでそう説明した。
「分かっているだろうが、匣と能力は必ず関連している。お前の匣とその大きすぎる能力、どれもこれも未知数で各部は頭を抱えてるぞ。――――・・・それにしても、力の発動及び解放には言葉が必要不可欠なんだ。その言葉は各々で取得方法は異なるが、殆どは技術開発部で匣を解析して割り出す。例外はあるにはあるが少ない。確認取ってみりゃあ、お前匣を解析にまだ出してなかったらしいじゃねぇか。一体どうやってその言葉を手に入れたんだ?」
透夜は一番気になっていたであろうことを和親に尋ねた。何も和親が眠っている間、ずっと傍に付きっ切りだったわけではない。指令部や技術開発部に起こったことを明細に説明し、色々と情報収集を行っていたのだ。
一瞬和親は戸惑って言いかけた言葉を飲み込んだ。自分にだけ聞こえてきたあの言葉について、何故か透夜に話してはいけないような気がしたからだ。
だが、これ以上透夜に迷惑と心配をかけたくは無いという気持ちのほうが遥かに勝って、飲み込んだ言葉を無理矢理吐き出した。
「・・・声が、聞こえた」
「声?」
いきなり何を言い出すのかとでも言いた気な顔で、透夜は和親を見た。
「ああ。何ていうか、体全体に響くようなそんな声だった。だが、透夜達には聞こえていないようで、何処から聞こえているのか分からないのにまるで俺の身体自身が声と共鳴しているような感じだった。それで、俺に話しかけてきた」
和親は自然と手に力が入り両手で布団をクシャッと握った。こんな事を言っても信じてもらえるか定かではないが、事実には違いないのだからと自分に言い聞かせていた。
案の定、透夜は和親の言葉を聞いて何も言わなくなってしまった。真剣な表情で色々と考えている様子で、どんどんと眉間の皺が濃くなるのが分かる。
「混乱で気がおかしくなった訳じゃない。本当のことだ」
和親はこの後に言われるようなことを勝手に想像して真剣な眼差しを透夜へと向けて釘をさした。
「分かってるさ。誰も和親の気が狂ったなんて考えやしねぇよ」
あまりにも和親が真面目な顔で此方を見ているので、透夜は思わず声を上げて笑った。一気に表情が柔らかくなると、もたれていた壁から離れて和親の傍へと寄り、大きな手で和親の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
透夜には和親が小動物か何かにでも見えているのだろうか。その行動が気に入らないらしく、乱れた髪を手で整えながら和親は顔をしかめる。
「まぁ、これ以上考えても埒が明かねぇな。そのまま各部に伝えといてやるから、お前はもうちょっと寝てろ。明後日になったら戦闘の基礎からビシバシ鍛えてやるから覚悟しとけよ! あぁ、日が変わってるから明日だっけか? その腹の傷、思ったより大分治りが早いらしく、担当医がビビッてたぞ。明日には塞がってるだろうってさ」
軽く笑いながら透夜は安心しろとばかりにそう言った。和親はその後の「戦闘」という言葉に少し表情を曇らせる。自分は今回の出来事で明らかに向かないということが分かってしまったからだ。今回のようなことが日常茶飯事なら、無理矢理にでも部を変えてもらうべきだと思っていた。
だが、今は透夜に悟られてはいけないと無理にほんのりとした笑顔を作り直した。
透夜はそんな和親に気づく様子も無く、布団の上に放ってある眼鏡を手にとってかけた。
「透夜、眼鏡かけなくても見えるのか?」
そういえば戦闘に入るときには眼鏡を外していたなと和親は不思議に思って聞いた。
「これ、伊達眼鏡」
ニタリと笑って透夜は和親に背を向けた。予想外の言葉が返ってきたので和親は半分呆れたような口ぶりで更に聞く。
「何で?」
「俺、眼鏡似合うから」
背を向けたまま振り向きもせずに病室の出口へと向かっていく透夜。
「自意識過剰だ」
しょうも無い理由に和親は一発透夜の背に向かって突っ込んだ。
「言っとけ」
それだけ言葉を言い残すと、振り返らずにじゃあなとでも言うように軽く手を上げた。自動ドアはスムーズに開き透夜が出たのを確認するとすぐに閉まった。
一気に空気が冷たくなったような気がした。
だが、少し間が空いてからドアの向こうで何やら会話する声が聞こえる。一方は透夜で、強く声を張っているようだったが、内容までは聞き取れなかった。数分もしないうちにまた自動ドアが静かに開いたので、和親は驚いた。
入ってきたのは漆黒の長い髪の男、葛城だった。いつもの様に暖かい微笑みを浮かべていて、ゆっくりと和親に近づいてくる。
「葛城! ついさっきまで透夜がいたのに」
「ええ、今そこで会いましたよ。和親君、目が覚めたのですね。気分はどうですか?」
外の会話は透夜と葛城のものだったのか、と和親は納得した。だが、和親の繰り出した会話は話に触れさせないかのように簡単に断ち切られ、葛城は和親の容態を気にして問いかけた。
「大丈夫だ。ちょっと身体が重いし、傷も痛むが問題無い。起きて自分でも驚いた。あんなに酷い傷だったのに明日には塞がるだなんて・・・。葛城が俺を止めてくれたんだろう? 迷惑をかけてすまない」
和親は何故かいつもの葛城じゃないように感じた。仕草も微笑みもいつもとは変わらないのに何かが和親にそう感じさせた。
心に引っかかりつつも、和親は葛城の問いに答え、後に謝罪を加えた。
「私の方こそすみませんでした。付添い人として、君を傍についておかなかったことが悪いのです。すみませんでした」
葛城は先程まで透夜が座っていた椅子にゆっくりの腰掛けて和親を真紅の眼に移すなり、申し訳なさそうな表情を浮かべて謝罪した。
「ただでさえ葛城は忙しいんだろう? お前は何も悪く無い。謝らないでくれ」
和親は軽く首を左右に振って謝罪を断る。
「和親君は優しすぎるんですよ、何事にも。それではいつか何もかもに縛られて、身動きが取れなくなってしまいますよ」
和親は葛城が一体何を言っているのかが全く理解できなかった。葛城の言葉の意味が分からなくて首をかしげていると、葛城は暖かく微笑んで見せ、後にこう言って和親の就寝を急かす。
「さぁ、もう夜も遅い。また眠ったほうがいいですね。私も仕事に戻らないといけませんし」
「待て、葛城。一つ頼みがあるんだ。聞いてくれるか?」
和親は早々とその場を去るような雰囲気を出した葛城を引き止めるように言った。
「何でしょう?」
「俺の所属する部、変更することが可能なら何処でもいい、変えてくれ。思ったんだ。俺は戦いなんかしたくは無い・・・いや、出来ないんだ」
葛城ならどうにかしてくれるのではないかという期待と共に和親は心の隅にあった願いを打ち明けた。
「・・・いけません。判定の壷が決めたことは絶対です。いくら私でもそんなことは出来ないのです。それに和親君はその自分の中にある大きすぎる力を制御することを学ばねばなりません。それについては透夜に全てを頼んでありますから、予定通り影踏に所属し、力を磨いて下さい」
葛城は有無を言わせないような気を漂わせながら顔を少し歪ませて首を横に振った。それだけ言うと、椅子から立ち上がり和親の肩を軽く押して起きている身体をベッドへと押し返した。
和親は何も言うことが出来ずにそのままベッドへと倒れこむ。
「さぁ、眠りなさい」
葛城が和親の耳元でそう囁いたと同時に、まるで何か暗示をかけられたかのように急に激しい眠気が和親を襲った。
葛城にまだ言いたいことがあるのに、体が必死に眠気を訴えてくる。瞼がどんどん重たく落ちてくる。
和親は瞬く間に深い眠りについてしまった。
「ごめんなさい、和親君」
寝入った和親に布団を丁寧にかけると、葛城はまた小さく謝った。
「全て君のためなのです。戦い等したくないことも、幾ら一度死んでいる魂とは言えども、人を殺めたくないのも知っています。でも、今はこれが最善の道なのです。・・・お休みなさい」
返事が無いことは分かっているのに、眠った和親に葛城はそう言葉を続けた。
静かに寝息を立てる和親を見て何処か安心したように微笑むと、葛城は物音を立てずに足早にその部屋を後にした。
病室から出た葛城は、今までまるで息をするのを我慢していたかのように一気に息を吐き出して呼吸を乱し始めた。激しい吐き気と眩暈に襲われつつも自室へと自分の足で戻るのだった。