第十二話〈制御不能な力の匣〉
「この胸が押し潰されそうな馬鹿でかい力を感じたのは久しぶりだ・・・。だが、あいつはついさっきここに来たばかりで、それが一気に開花するなんて、有り得ねぇ」
透夜は和親から放たれる只ならぬ力をただ重く感じていた。実際、透夜が和親を此処に連れてきたのは今の時点でどれだけ能力が目覚め、扱えているのかを知るためだったのだが、和親は何も出来ないし武器の使い方すらも知らないと言い張っていたため、特に何も起こらないと思っていた。
能力を得て間もないと、能力は主の力量を見定めて制御にかかる。なので普通最初のうちは少量の力しか目覚めず、使うごとに開花し完全に覚醒するまでにはある程度時間を要する。先程までの和親の話では和親もそれは例外ではないと透夜は考えていた。
一気に力が完全解放する、ということは多分前例はないだろう。
だが、今目の当たりにしているここまで大規模な開放になると主の身体への負担が少しでは済まされないのでは無いかと、透夜は色んな疑問よりもそちらの方が心配だった。
「何だこれ・・・。俺何したんだ」
しかしこの状況を一番把握できていないのが当本人であることを忘れてはいけない。
ハッと気づいたときには既にこの状態で和親は混乱しすぎて目が回りそうだった。
容赦無く堕落者達へと弓矢を構えている自分の体制を見て、和親は驚きを隠せない。それに、片方の手には漆黒の弽をはめ、燃え盛る炎の矢は一体自分がどうやって一瞬にしてやったのか把握できていないのだ。
何にしろ、一旦この物騒な体制をどうにかしなければと、弓矢を下ろそうと腕の力を抜く。
だが、何故か弓矢から手を離すことが出来ない。ましてや弓矢は主に反するが如く勝手に宙に浮いたまま下ろすことすら出来ない。頭では命令しているのに、言うことを聞いてくれない。
「下ろせない、弓が・・・透夜・・・!」
どれだけ下ろそうと力を入れて抗っても、弓も体も全く意志に反する。すると、矢を持つ手がゆっくり、ゆっくりと手前に引かれ更に弦が張っていく。矢の先には次第に焔が渦巻き、引くごとに段々と大きく荒々しくなっていく。
このままではこの炎の矢を放ってしまう。和親は自分自身ではどうにも出来ないと判断するほか無かった。咄嗟にすがる思いで透夜の名を呼ぶ。
「どうした和親! 何してる、早く弓を下ろせ!」
少し離れた場所で堕落者と共に呆然と和親を見ていた透夜だったが、弓を徐々に引いていく和親の様子を見て不意に強張った声で弓を下ろすように促す。
どうにも様子がおかしいのは見て分かるのだが和親が今どういう状況なのかは把握仕切れておらず、弓を引く体制をとりつつある和親に必死に呼びかけた。
「あれ、何かヤバくねぇか?」
「あ、あんなガキにあたし達が射れると思う? それこそ有り得ないわよ」
動揺しているのを隠すかのように強がりな発言を見せる堕落者達であったが、明らかに腰は引けている。
どうやってこの場から脱出しようかとこそこそ話しているのが透夜には聞こえていたが何も言わなかった。
『和親君』
またあの声だ。若い男の声。
今度はあのときのように優しく包むようなものでは無く、まるで別人が話しかけているかのように頭にがんがん響いてくるような感じだった。
和親は耐え切れずにその声を振り払おうと頭を振る。
『何故躊躇うのです? あれは敵だ。消滅するべきモノなんですよ?』
「知っている、分かっている。だが、俺は誰も殺したくなんか無い!」
和親は必死になって首を横に振りながら拒否する。今の和親の心には矢を射てしまい、他の人を傷つけてしまうという恐怖心だけがあった。
『緩い考えです。ならば、君は戦闘専門の部に配属された意味が無くなります。君がそうでも、やらなければいけないコトなのです』
「嫌だ! 俺は、誰も殺さない!」
声が枯れそうになるぐらい精一杯和親は叫んだ。目には少し涙が溜まって潤んでいる。
「誰と話している? しっかりしろ、和親!!」
透夜が自分を呼ぶ声で一気に現実へと引き戻された気がした。和親はハッと目を見開いて変わりもしていない周りの状況を今一度確認する。
透夜はもう堕落者等の相手をしている場合では無いと、刀を一先ず鞘へ収め匣へと収納し此方へと駆け寄ってきているところだった。どうやら透夜にはこの声が聞こえていないらしい。
和親は意識が何処かへ飛んでいきそうな状態に陥っていた。自分の手を見るとまだ矢を構えたままではあったが、射られてはいないようだった。少しだけ安堵の表情が浮かぶ。
透夜ならこの状況をどうにかしてくれるのではないかと、和親は淡い期待を抱く。
しかし突如、和親の視界に入っていた走ってくる透夜の姿が何かによって遮られ真っ暗になった。何者かの手の平に目をふさがれたのだと、直後に分かった。
一体今度は何が起こったのかと混乱している和親は、その手の指の間から光と共に見えた黒く長い髪を確認したと同時に意識を失った。
「葛城! お前、何で此処に・・・和親に何をした!」
和親の首の後ろをトンと軽く叩き、和親の気を失わせたのは葛城だった。
和親が気絶した途端、弓はその場に乾いた音を立てながら無残に落ち、その後すぐに和親の胸元にある匣へと戻って、焔の矢は何事も無かったかのように消滅した。傷口からは体を無理に動かされたせいであろうか、先程よりも流れている血の量が増えている。
葛城は意識を失くして倒れかかる和親をしっかりと支え、優しく抱き上げる。
透夜は何処からとも無く現れた葛城の姿を確認して足を止め、和親が力なく葛城に支えられているのを見て驚く。
「戒! 君も分かっているでしょう! いくら影踏に配属されたとはいえ、和親君はまだここに来たばかりの未熟者です。これは巨大すぎる力の暴走、和親君には当に扱えない域に達していました。私がもう少し来るのが遅ければ危なかった。現状把握できなかった君にも責任があります。自分の無力さを恥じ、反省なさい! ・・・やはり私は目を離すべきでは無かった」
葛城は少し荒い口調で透夜に言い放った。最後に小さく聞こえないような声量で寂しそうに呟くと、辛そうな顔をしながら怪我をし気絶している和親を見て心配そうに見つめた。
透夜は何も言い返すことが出来ずに、何も出来なかった自分がもどかしいのだろう、ただ神妙な表情でチッと舌打ちをしただけだった。
「そこの堕ちた者達よ、此処であったことは今は他言無用です。命が惜しかったら今すぐ私の視界から消えなさい」
今度は引けをとっている堕落者達に向かって葛城は冷酷にピシャリと言い放った。いつもの葛城とは全く無縁の冷たく怒りのこもった言葉だった。
堕落者達はそれぞれ狂ったように悲鳴や奇声を発しながら街の中へと消えていった。葛城はほっと一息つく。
「・・・葛城、和親は無事か?」
透夜が少し間があいてからやっと口を開いた。葛城に歩み寄りつつ和親の様子を窺う。
「ええ。能力はその持ち主のおかげで発動するようなもの。その主を気絶させれば自然と発動も止まります。少々ダメージはあるでしょうが、大丈夫なはずです。・・・しかし驚きました。指令部でこのあたりに膨大なエネルギーの発生を確認したものですから、詳しく調べるとその場に君と和親君の反応があったんですから。通信機も繋がらないですし、結局付添い人の私が現場まで行かなければならないという事態に」
葛城の言葉を聞いて安心し気が抜けたのか、透夜は大きな溜息をつきながら和親を見て微笑んだ。が、話を聞いているうちに段々と皮肉になっていくのを感じて苛々してくる。
「あぁもう、わぁったって、すまなかった。たまたまコイツと出逢って色々と話してたんだが、まさかコイツにこれだけ力があるなんて思ってなかったんだ。ちょっと小手調べに、って思っただけなんだよ!」
透夜が言い訳がましく説明していると、葛城はふとあることに気がついた。
「和親君についてはちゃんとそちらに詳しいデータを送ったはずです。――――・・・君が書類に目を通していないことがよく分かりましたよ。それにしても戒、君は何故こんなところにいるのです? 今頃書類整理にとりかかっているはずじゃ・・・」
「き、急に堕落者の反応があってな! 定期警備で殆ど出払ってて、仕方無しに俺が出たんだよ」
あながち嘘では無いが、色々と痛いところをついてくる葛城に少し顔を強張らせながら透夜はそう言った。葛城は疑いの眼で、ほう、と一言言っただけだった。
「・・・話を戻そう。あの堕落者の奴等、逃がして良かったのか? ここで潰しといたほうが良いと思ったんだが・・・今更か。奴等、かなり頭が回るし組んでやがった。今までにあんな堕落者は見たことねぇ。普通ならもっと理性がふっとんで荒々しく、馬鹿なんだがな。堕落者は基本独自で行動するのに、はめられた。おかげで和親に傷を負わせてしまった。それに、奴等の話からやはり組織ができている可能性も窺えた。例の事件の方のと関係があるかは知らねぇが、探ってみる価値はありそうだ」
透夜は上手く話を逸らし、先程の堕落者との接触に関して大まかにまとめて説明した。葛城は和親の腹の深く痛々しい傷を見て顔をしかめる。
「泳がせます。どうせまた近いうちに会うでしょうし、同じことですよ。・・・大体は分かりました。詳しくは指令部にて報告を。私は和親君を一足先に救護室へ連れて行きますので、君も一度時計塔へ帰還して下さい」
葛城は和親の身体を軽く浮かせて持ち直すと、暖かい微笑みを浮かべて透夜の説明を聞いて軽く頷いた。
「連れて行くってお前、お前と和親両方をお前の力で運ぶのか?! やめとけ、ぶっ倒れるぞ!」
透夜は、葛城の移動能力の限界を知っているようだった。本人は勿論分かって言っているだろうが、急いで止めに入る。
「この能力、今使わなくて何時使うのです!」
葛城は何時に無く気持ちが急いていた。一刻も早く和親にちゃんとした治療を施さないと、幾ら匣が無事で消失することは無いと言えど能力を解放したダメージとこの深い傷とでは非常に危険な状態だった。
「・・・了解。俺も後から行く。和親を頼んだ。後、本当に無理するなよ」
葛城の意志が揺らぐことは無いと思ったのか、仕方ない、と軽く手を挙げて透夜は了解の合図を出し葛城にも心配の言葉を送った。それを確認すると、葛城は険しい表情で和親を抱えたまま一瞬で煙のようにその場から消えた。その場には誰もいなかったような空気だけが流れる。
透夜は誰もいなくなったその場をぐるりと見回した。特に何か壊れてしまったわけでも無いのに、妙にその場だけが痛々しく感じられた。
透夜は表情を曇らせると同時にポケットからしまっていた眼鏡を取り出しかける。左手に埋め込んである白の匣は光に反射してキラキラと輝くだけだ。
その光を閉じ込めるかのように黒い手袋をはめ、裾が切られ短くなってしまったコートを手に駆け出し透夜は時計塔へと向かうのであった。
「和親・・・お前のその力、一体何なんだ・・・・・・?」
気持ちばかり急いで走るスピードが段々上がっていくのが理解できた。
透夜はそう呟きながら、今は時計塔を目指すだけだった。