第6章
一部加筆しました。
そして、その一年後、俺は二人の男の子の父親になっていた。それは嬉しいと同時に悔しいというか、残念でたまらなかった。
アリスに子供ができるのがもっと遅かったら良かったのにと、そんな不謹慎なことまで思ってしまった。
というのも、そう。妻との夫婦生活が思いがけずに幸せというか素晴らしいものだったからだ。
過去の女性達を態々引き合いに出すなんて、本当にクズ野郎だと自分でも思うのだが、過去のただ快楽を求めてした行為と、妻アリスとの行為は全く別モノだった。
昔は自分の欲を吐き出すことしか考えていなかったのに、妻とは違った。
もちろん初夜の時はそれはそれは優しく事を進めた。妻は全て初めてのことだったから。彼女はキスどころか異性と手を握り合うことさえしたことがなかったのだ。
俺は二年半以上誰とも行為に及んではいなかったから、乱暴にしてこれ以上嫌われたくないと、必死に理性を働かせようとした。
しかし、そんなことを頭で考えずとも、妻を大切にしたいという想いが心身から溢れてきて、とにかく優しく優しく彼女に接した。
恋とは落ちるものだと物の本に書いてあったが、その通りだった。理想とか好みだと頭で考えているうちはそれは本物じゃなかったんだ。
余計なものなんかに振り回されず、真剣に相手を見つめていたら、そして相手の心の声を聞いていたら、こんな失敗はしなくて済んだ。こんなにも長い間妻を苦しめなくて済んだのだ……
息子カールスを身籠った後、俺は妻からは夫婦の寝室に入ることを拒まれた。
しかし、ローハン家には親戚もいないのだから、もう一人子供が欲しいと必死に頼み込み、出産後に再び夫婦の寝室に入ることを許可してもらうことができた。
学生時代の失敗があったので、あの後俺は避妊するやり方は学んでいた。もちろんやらかしの後で、妻アリス以外の女性と関係を持ったことはないし、今後も持つ気などさらさらなかった。
ただ、妻と触れ合う時間をできるだけ持ちたくて、俺はすぐには子供は作らなかった。
しかし二年経っても次の子ができず、アリスからバネッサかあるいは他の女性とでもいいから、自分以外との子をもうけて欲しいと言われて、慌てて避妊をやめた。
そしてそれから間もなくアリスは妊娠し、妻にそっくりの娘を産んだ。
俺に似た二人の息子のジュリアンとカールスももちろんかわいいと思ってはいたが、妻に似た娘はもう目に入れても痛くないほどかわいかった。俺はすっかり娘のクリスティーナに夢中になった。
俺が昔毛嫌いしていた妻似だということで、妻も使用人達も初めのうちは心配していたようだが、蓋を開けてみると俺のあまりの溺愛ぶりに驚いていたようだった。
娘の妊娠がわかってからは、俺は夫婦の寝室には入れてはもらえなくなった。それは結婚前のアリスの宣言通りだった。
ただ、娘が生まれてから間もなくして、俺は屋敷に戻ることになった。何故そうなったのかというと、それまで別に暮らしていた長男のジュリアンを、ローハン邸に引き取ることになったからだ。
なんとあのバネッサが、ジュリアンを置いて旅商人の男といなくなったのだ。しかも大金とともに。
彼女は養育費をほとんど息子には使わずに金を貯め込んでいたらしい。
息子を捨てて、息子の金を持ち逃げするなんてと俺は怒りを顕にしたが、アリスは平然とこう言った。
「彼女を捨てた貴方に文句は言えないでしょう? まだ若い彼女に母親の役目だけを押し付けるのは酷というものだわ」
バネッサが気の毒だと?
そもそも妊娠していなければ、投獄されて前科者だったのだぞ。その上、君の嘘のデマをばら撒いた奴だぞ!
大体それじゃ君はどうなるんだ。何故君ばかりがそんな辛い思いをしなくてはいけないんだ。その元凶が何をぬかしているんだって話なんだが。
「これ以上無理をしなくてもいい。もう我慢しなくてもいい」
ジュリアンはどこか子のいない家に養子に出すか、寄宿舎に入れるようになるまで、しっかりした者に預けようと俺は言った。
しかしアリスは慈愛溢れる笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「無理などするつもりは端からありませんわ。
私、貴方の裏切りを知ってから、貴方のためにはもう二度と我慢しないと決めたのですもの。そして頑張ることも。
だって恋って落ちるものなんでしょう? 相手がどんな人間なのか全く知らなくても。
見た目? 声? 雰囲気? インスピレーション(神の啓示)? で人を好きになってしまうものなんでしょう?
それならその特別な人以外の人間がどんなに努力したって、相手に好かれるわけがないじゃないの。
でも、そのことを知らなかった私は、六年間も無駄な努力をしてしまったわ。
だからね、あれから私は貴方のために何かをするのはもうやめたの。頑張ることも。
今私がしていることは全て義務ですわね。この家を再興させるための。
まあ、何故私がそんな義務を全うしなければいけないのか甚だ疑問ではあるけれど、貴族として生まれてきた以上、王命には逆らえないのだから仕方のないことだわ。
それにジュリアンが生まれた時に、私にはそれこそ神からの啓示がありましたのよ。
それはカールスやクリスティーナが生まれた時と全く同じ感覚で、この子は私が守るべきかわいい子だと思いましたの。
それはあの子も同じだったようで、彼はすぐに私に懐いてくれましたわ」
アリスは俺には内緒で以前からジュリアンの様子を見に行ってくれていたようで、既にすっかり仲良くなっていたのだ。
恋は落ちるものだから、そんな二人にはどんなに頑張っても敵わない。それなのにそれに気付かずにした努力は無駄だった、そうアリスは言った。
しかし、俺のバネッサへの思いは恋なんかじゃなかった。
そう。俺が本気で愛したのは、恋に落ちたのはアリスだけだったんだ。真面目でいつも一生懸命に努力しているそんなアリスだ。
だが、今更俺がそれを口にすることはできなかった。
俺を嫌いになっても義務感から必死に頑張っているアリスに、努力している君が好きだなんて言えるわけがない。
アリスは子供が三人になったことで女官の仕事を惜しまれつつ退職し、育児と領地経営に専念してくれた。その上役に立たない俺の分も社交をして、ローハン家の管理も全て担ってくれたのだ。
何度でも言うが、俺は感謝と申し訳なさで彼女には頭が上がらなかった。
そして俺は父親としての役目をするためだけに、自分の屋敷に戻ることができたのだ。
その後俺は、妻に全てを丸投げしている駄目当主だと陰口を叩かれながらも、自分に課せられた義務を果たすため、がむしゃらに己の仕事に励んで借金を返済し続けた。
それがアリスとの約束であり、俺にできる精一杯のことだったから。
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アリスの葬儀が終わると、娘のクリスティーナは長らく休んでいた学院に復学するために寮へ戻って行った。
後継者となる予定の次男カールスは今は王城勤めのために王都のタウンハウスへ帰った。ただその前に、俺は彼から妻の日記を手渡された。
「自分が死んだら処分して欲しいと母上から頼まれたんだけど、僕も忙しいから父上に任せるよ。どうせもう貿易の仕事はしないんだろう?
後さ、このまま領地に残るなら、ちゃんと母上の代わりに仕事をしてくれよ。父上が当主なんだからさ」
という言葉と共に。
妻の日記……
俺への恨み辛みが記されていると思うと、とてもじゃないが恐ろしくて読む気にはなれなかった。いや、切なくて読める気がしない。
またあの時の思いを繰り返さねばならないなんて……
あの婚約破棄事件で自宅謹慎になっている時、俺は執事から手紙の束を渡された。それは俺が開封せずに放置したアリスからのものだった。
「今更ですが、アリスティア様がこれまでどのようなお気持ちで坊ちゃまを思い、頑張っていらっしゃったのかを、貴方はきちんと知るべきです」
彼はそう言った。
そしてその手紙を全て読んだ俺は泣いた。そして取り返しのつかない過ちをしたことに改めて思い知ったのだった。