第5章
再会した後、それからあまり日を置かずに俺とアリスは結婚式を挙げた。結婚式といっても友人や親しい人も呼べず、アリスには本当に申し訳なく思った。
しかも身内だけといいながら、新婦側には国王夫妻や王弟であるマードック公爵家の面々が揃い、全員がまるで葬儀に参列しているかのような面持ちだったので、俺は居た堪れない思いだった。
学院を卒業後アリスは王城で女官をしていたが、結婚後も勤めを続けながら、その上ローハン伯爵家を切り盛りするというハードな生活を、下の娘を授かるまで続けていた。
それは偏にローハン家の借金を返済するために他ならなかった。
感謝と申し訳無さで、俺は彼女には本当に頭が上がらなかった。
そして結婚後の二年間は、俺が自分の屋敷に呼ばれることはなく、重要な事柄は主に執事を介してやり取りをしていた。手紙では俺が読まないと彼女は判断したのだろう。
「まだ半人前なのに子供をこれ以上持つなんてとんでもない。とにかく今はバネッサ様の産んだお子様の面倒をしっかり見るように、と奥様がおっしゃっていました」
執事を通して俺はそう言われた。
しかし結婚した俺は、バネッサのために用意した家には住まず、アリスの実家近くのアパートメントに部屋を借りて、そこからミラー家に通って貿易の仕事を学んだ。
そんな俺の一人暮らしにアリスは金の無駄遣いだといい顔をしなかった。バネッサには養育費にしては多めのお金を支払っていたからだ。
しかしとてもじゃないが、あんな嘘吐きでだらしのない女となんか、俺は一緒に生活する気にはなれなかった。
あの婚約破棄事件で、バネッサの実家である男爵家は平民に落とされた。王命である婚約者のいる男とふしだらな関係になって、しかも冤罪でその婚約者を陥れようとしたのだから、バネッサの罪は重かったのだ。
ただし彼女はまだ未成年であったことと、身重だったことで執行猶予付きの刑を受けて投獄されることはなかった。
その代わりに監督責任を問われて親が爵位を奪われて王都から追放されたのだった。
一見すると馬鹿娘のために気の毒な親だと思われがちだが、その美貌の娘を使って高位貴族の令息を捕まえるように示唆していたのは両親だったので、同情する必要などはなかった。
しかし実家がなくなったせいで、生まれてきた子供を育てるためには、結局バネッサの面倒まで見なくてはならなくなった。
俺とすれば子供だけを取り上げて誰かに育てさせたかったのだが、アリスがそれに反対したのだ。
「子供は両親二人のものです。勝手にどちらか片方が力ずくで奪っていいものではありません」
と言って。
しかし俺はどうしても彼女と生活する気にはなれなかった。
十七歳で息子ジュリアンを産んだバネッサは、母親になっても学生時代と全く変わらなかった。
ピンク色の綿菓子のようなフワフワした髪に榛色の瞳をして、全体的に淡くて儚くて、庇護欲を誘う、愛らしい少女のままだった。
そう、バネッサはまさに俺の理想の女性だったはずなのに、あの出来事以来彼女を見ると、愛情というより嫌悪感の方が先に立った。
何も考えずに行き当たりばったりで、怠け者で、いい加減で、そんな彼女の無責任な言動に心底うんざりした。
同族嫌悪かと思わず自分でも苦笑いを浮かべてしまったが、俺の方はあの卒業式以来必死に人生をやり直そうとしていたのだ。
全てが遅すぎるとわかってはいた。それでもアリスに一生をかけて償いたいと思っていた。
ところが俺のこの行為がさらにアリスを傷付け、子供達にも迷惑をかけることになるとはその頃は想定もしていなかった。
なんと、バネッサはとんでもない作り話を周りに吹聴していたのだ。
自分は伯爵の息子との真実の愛を貫くため、貴族の地位を捨てて平民になり、愛する人の子供を産んだ。
愛する人と暮らせるならば愛人でもいいと覚悟を決めたのだ。
ところが高位貴族である正妻はお飾りに過ぎないくせに、嫉妬で夫を縛りつけ、私の元に寄越さないようにしている。
しかも大事な跡取りを育てているというのに、そのお金さえ出し渋っていると。
全て嘘っぱちである。
厳しい経済状況の中でもアリスの差配で子供には一流の乳母をつけ、十分な養育費も支払っている。
あの女こそ自分は働きもしないくせに、子育てを乳母に丸投げをしているではないか!
それに俺はこまめに父親として子供の顔を見に家を訪れているではないか! ただあの女とはもう身体の関係を持っていないだけだ。
俺ははっきりとバネッサに告げていた。お前とはもう二度と男女の関係になる気はない。お前は恋人でも愛人でもない。
だから自由に恋愛や結婚してくれて構わないと。ただし未婚で子供を産んでも今度は絶対に認知しない。
というか、関係も持っていないのに俺の子だと虚偽の発言をすれば、今度こそ王家の怒りを買うことになる。そのことだけはしっかり覚えておけよと。
アリスの配慮を有り難いとは思ったが、正直なところ、バネッサが子供を置いて新しい男と結婚でもしてくれた方が子供にとって良いことだと俺には思えた。
自分の母親を鑑みても母の良し悪しは子供に大きく影響する。あの女がまともな次期侯爵を育てられるわけがない。たとえ一流の教師を雇ったとしても。俺自身がそうだったように。
俺が何を言っても、バネッサはアリスが俺に言わせているのだと解釈し、アリスのことを悪女に仕立てて行った。
そして俺とよりを戻そうと、諦めることなく言い寄ってくる。それが嫌で、ますます彼女の家へ向かう足は遠のいたのだった。
学院に通っていた者や高位貴族達ならそんなデマを信じたりはしない。
学生時代や今現在王城で働くアリスを見聞きしている者ならば、彼女がいかに優秀で真面目で思いやり溢れる女性なのか、それをわかっていたからだ。
しかし一部の常識のない下位貴族や平民達は、お話に出てくる悲恋物が好きだ。身分違いや真実の愛というやつが。
特に恋人同士の仲を裂く悪役令嬢ものは、その悪役令嬢を断罪してざまぁすることに快感を覚えるらしい。
それが本当の悪役令嬢なら、俺だってスッキリするだろうが、実際どちらが悪役令嬢なのかわかったもんじゃない。騙された経験を持つ俺はそう思う。
だから一方的に断罪する行為は、たとえ作り話だとしても恐ろしくて賛同などできない。それは犯罪者の共犯者になることとなんら変わりはないのだから。
そして一度そんな噂が出回ったら、それがたとえ事実無根だったとしても、もうそれを打ち消すことはほぼ不可能だ。
この後、俺の子供達はこの偽りの噂のせいで、ずいぶんと辛い思いをすることになったのだった。
(そしてそのせいで、俺は溺愛する娘から毛嫌いされるようになったのであった)
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そして結婚から一年が経った頃、俺はようやく義父とともに実際に営業を始めた。
すると、自分でも意外だったのだが、俺にはこの仕事が性に合っていた。語学も割と得意だった俺は、義父が他国へ買い付けに行く度に鞄持ちをするために付いて行き、色々と経験を積んだ。
俺は仕事先から珍しい物を見つける度にアリスにそれを送った。もちろん手紙と共に。
たとえその手紙が読まれることはないとわかっていても、だ。
最低でも、アリスが辛い思いをしたその数倍は俺も辛い思いをし続けなければ、とても罪滅ぼしにはならないだろう。まあ、所詮それだって自己満足に過ぎないのだが。
そうこうしているうちに二度目の結婚記念日が近づいてきたので、以前から彼女が好きだという画家の最新の絵を手に入れた。
そして花屋には彼女の好きな紅い薔薇の花束を早めに注文しておいた。結婚記念日にちゃんと彼女の元に届くようにと。
しかし結果的にその花束と絵は俺が直接彼女に届けることになった。何故なら結婚記念日の前日に突然アリスからの呼び出しがあったからだ。
俺は自分の屋敷を出てから二年を経って、ようやく本来の居るべき場所に戻れることになったのだ。そして初めて夫婦の寝室という、特別な場所へ足を踏み入れたのだった。