第2章
俺達が最終学年になった年、一学年下に一人の女生徒が転入してきた。彼女の名前はバネッサ=ネロウ。男爵家の令嬢だった。
ピンク色の綿菓子のようなフワフワした髪に榛色の瞳の、全体的に淡くて愛らしい少女だった。
ただでさえ転入生は目立つものなのに、その愛らしい姿はすぐに男子生徒の注目の的になった。そして彼女の周りにはいつも男子生徒が取り囲んでいた。
そしてそんな男達の多くが婚約者持ちだったために、バネッサは女性徒達から睨まれるようになった。
ある日のこと、俺はたまたま裏庭で、バネッサが数人の女生徒に囲まれて苛めに遭っているところに遭遇した。
足元にはビリビリに破られた教科書やノートが散らばっていて、彼女は前から後ろから肩を突かれて、不安定に揺れていた。いくらなんでもやり過ぎだろう。
俺は別に正義感が強いわけではなかったが、思わず彼女達に近づいて注意をした。
すると、さすがにまずいところを見られたとばかりに、虐めていた連中は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
そしてそれ以降、バネッサは一人になることを恐れ、俺の側に纏わりつくようになった。
最初のうちは面倒なことになったと戸惑った。俺じゃなくて取り巻きに頼ればいいじゃないかと。しかし、友人達から羨ましがられると悪い気はしなかった。
それにバネッサは愛らしい顔立ちに反して既に成熟した肉体をしていた。豊満なバストにくびれたウエスト、そして小さく引き締まったヒップ。
彼女は惜しげもなく、その身体を俺の身体に押し付けてきた。
いくら理性を保とうとしても、所詮俺だって思春期の男だ。ついにある日、自分の欲情を抑えきれずにバネッサと関係を持ってしまった。
バネッサも初めてだったらしく、手順も何もわからずにただがむしゃらな俺の行為に泣いて痛がった。
しかし抵抗はされなかった。やはりバネッサは俺のことが相当好きなんだな。まあ、彼女の方が積極的に迫ってきたのだから当たり前か……そう思った。
一度経験をすると俺はタガが外れてしまい、やがて誘われるままに複数の女生徒と身体の関係を持つようになった。そのほとんどが婚約者持ちの経験者だったので、俺も彼女達に罪悪感を持たずに済んだ。
その頃の俺はアリスのことなど全く頭になかった。
しかしそのうちに俺は、身体には相性があるということに気が付いた。同じ行為をしていても、気持ち良さが全然違うのだ。
そして俺は俺にとって一番身体の相性がいいのが、あの初体験の相手であるバネッサだった。
それからはどんなに誘われても他の女性とは関係を持たず、バネッサだけを抱いた。しかしそれが大きな間違いだったことに、その時の俺は気付かなかった。
俺は避妊の仕方について何にも知らなかったのだ。
婚約者持ちの女性は政略結婚を義務付けされていたから、婚約破棄されるようなヘマはしないで上手に遊んでいた。だから当然きっちり避妊をしていた。
しかし婚約者もおらず、家庭教育もきちんとされていなかったバネッサはそんな知識を持っていなかった。
その結果……
卒業まであと二月というところで俺はバネッサから妊娠を告げられた。ただしその時驚きはしたが、正直俺はそれほど困りはしなかった。
俺と婚約者のアリスとの関係は相変わらず何の進展もなく、正直とても夫婦としてやっていけるとは思えなかった。
可愛げもなくツンと冷たくすましているあいつを、俺はとても抱けるとは思えなかったのだ。
だからたとえ結婚しても仮面夫婦になって、子供を作ることはないだろう。それならバネッサの産んだ子供を養子、あるいはアリスが産んだことにすればいい。
そんな馬鹿げた愚かなことを考えていた俺は、結局アリスだけではなく、バネッサのことだって所詮愛してなどいなかったのだろう。そして結婚というものを真剣に考えていなかったのだ。
そもそもバネッサの妊娠がなくても学院を卒業したら、俺はアリスとは婚約を解消したいと思っていた。
まあいくら美人だとはいえ婚約解消となれば、もう俺のような良縁とは縁がなくなるかもしれないが、誰かとは結婚できるだろう。
それに俺と違って優秀で女官試験にも合格していたアリスは、俺と破談になっても暮らしに困ることはないだろうと。
最初のうち俺はそんなことを考えていたのだ。
しかしそのうちに俺は、アリスには婚約解消だなんて、そんな甘い対処をしてやる必要がないことを知った。
なんと、バネッサがアリスに虐められているというのだ。
どこからか俺とバネッサを噂を聞いて腹を立てたアリスが、ことあるごとにバネッサを罵倒し、持ち物を壊し、手荒い行為をしてくるようになったというのだ。
俺よりアリスのやっていることの方が外道だと思った。自分の行いは棚に上げて。
(あの頃の俺は本当にゲスだった)
以前目にした、バネッサを取り囲んで虐めていた醜い女達の姿を思い出して、俺は怒りが抑え切れなくなった。
いくら知らないとはいえ、バネッサは妊娠しているのだぞ。もし流産でもしたらどうしてくれるんだ。ローハン伯爵家の大切な跡取りなんだぞ。
そんな血も涙もない残酷な女にもう同情などは必要ない。平和的な婚約解消なんて冗談ではない。あいつの有責で婚約破棄をしてやる、と俺はそう決心した。
そして卒業パーティーの場で俺は、みんなの前でアリスことアリスティアに婚約破棄を言い渡したのだった。
アリスは瞠目したあと、婚約破棄される理由は何ですかと問うてきた。それを聞いて俺は再び激昂した。あんな酷い虐めをしていたというのに全くに反省していないのかと。
だから俺はバネッサから聞いた虐めの数々を公表してやった。素直に謝れば世間に公表したりしなかったものを。
しかしアリスは澄んだ瞳で俺を見つめ返しながら、落ち着いた声で私はそんなことはしていないと言った。
「確かに、半年ほど前に何度か彼女には注意をしました。婚約者に無闇に近づかないで欲しい。そして、節度ある付き合い方をして下さいと。もちろん貴方にもお手紙でそうお願いしましたよね?
私は注意をしただけです。それにそれが無駄だと知ってからは一切彼女には近付いてはいないし、お話をしたこともありません」
確かに半年くらい前にアリスから手紙が届いたような気がしたが、そんなものは読んでいなかった。
そしてそういえば、その後彼女からの手紙は一通も届いていなかったかもしれない。
婚約してからこの六年もの間、俺の方からは一度も返事を返してはいなかったのに、週に一度は必ず届いていた彼女からの手紙が。