二体目の暗神霊。姉の力。被害への対策。
「ここで停めて」
車は、今は人気の少ない団地のそばまで来た。
怨念めいた声を近くに感じる。
車が停まってからすぐ、姉ちゃんが団地の方を見回しながら。
「勾玉、持ってきとる?」
「ああ持ってきとるよ」
バッグを手で軽く二度叩いてみせた。そして「ここにある」と。
そんなこちらに姉ちゃんが手を差し出して。
「貸して、忘れたから」
このタイミングでそれかい。
「はいはい。次は忘れんでよ」
「ん」
緑に輝く勾玉を姉ちゃんに一つだけ手渡してから車のドアを開ける。
歩道に出た。
そんなこちらに今度は母さんが。
「気を付けてよ、茜も、真も」
「ん、まあ大丈夫でしょ」
と姉ちゃんが言って、俺も。
「うん、大丈夫。じゃ行ってくる」
さて、どこだ暗神霊。
思いながら走る。
暗神霊の不気味な気配と音は団地側からしてる。
その気配と音を頼りに辺りを見て回る。
手前に一号棟、三号棟、五号棟……奥に二号棟、四号棟……二列にずらりと並んでるな、このどこかなのか?
三号棟と五号棟の間を急いで駆け抜けようとした時、急に男の声が聞こえた。
「来るなあ!」
ちょうど右前の方からだった。
「そっちか!」
向かって走り出す。
姉ちゃんは俺について来るように動いてる。俺が今再度走り始めてからもそう。
走り始めてから、体に合っている服の偉大さに気付いた。本当に動きやすい。姉ちゃん、母さん、作った人ありがとう!
思いながら走る。
――見付けた!
この時には、とある華奢な女が、細身の男になぜかタックルをかましていた。
――いやタックルて!
心ん中で言ってから気配の中心――女に近付く。
タックルされた男は自身の後方に吹っ飛んでる、しかも数メートルも。
それと同じくらいの距離まで別方向から女に近付いた。のはいいけど、そうだな、まずは呼び掛けてみるか。
「暴れんな! おら、こっちだ!」
そこで姉ちゃんが。「私にやらせて」言いながら俺より前に出た。
「でも」
「あんた今回復中でしょ」
ううむと唸ってから、仕方なく頷いた。「じゃあどうぞ」
姉ちゃんは、右手を前に差し出した。
その手に、鍔のないナイフのような白いモノが出現した。
それと同時に変化が起こるかと思ったけど、姉ちゃんに変化が起こる様子はない。
あ、そうか元から女だから! 姉ちゃんの祓神霊は石のナイフを持つ女だっけ? いつでも使える状態なのか……。
そうなったらすぐに女が姉ちゃんの方を見た。そして突っ込んできた。
あれ? よく見たら、この女の人の鼻が豚鼻みたいになってる。
暗神霊の力による部分的な変化かな。
姉ちゃんは姉ちゃんで、刃物を構えてギリギリまで動かない。
「あっ」
危ない――って俺が言い掛けた時、ようやく姉ちゃんが右に動いた。闘牛士みたいにヒラリとかわした。あれま、凄い動き。
直後、女の腕がだらりと垂れ下がる。
ナイフが当たったからなの? でも血は出てない。
――物理的に切る力じゃないってことか。
様子からすると、どうやら切り付けた箇所周辺の重さが増しているように見える。腕が重くて垂れ下がってるみたいに。
動きにくそうだけど、それでも突進してこようとする。――今度は俺に向かって!
「おわっ!」
とっさに網を出現させて投げた。女は絡まってほんの数メートル前を転がった。
そこへ、姉ちゃんが勾玉を向ける。その手にはもうナイフもなし。
今姉ちゃんが念じたみたいで、それからすぐ女の鼻も本人のものっぽくなった。
そうなったら、女から白い霊体みたいなものが噴出。その白い浮遊物が形を成した。
――イノシシか。
姉ちゃんの持つ勾玉にイノシシの暗神霊が吸い込まれてく。
それも終わると、その緑のすんごい綺麗な輝きが、姉ちゃんの胸元へと入り込むように動いた。
これで、姉ちゃんの胸元に一時的に刻まれたはず。
《封印完了じゃな》とアミが言った。
「うまく行ったね」
俺が言うと姉ちゃんが頷いた――そのあとで聞いてきた。
「あんた力使ったけど大丈夫?」
そうなんだよなぁ、どうなんだろう。
《あのくらいなら大丈夫じゃろう》アミの声。
「大丈夫だろうってさ。ま、なんかあった時はしょうがないっしょ」
「そう? 大丈夫ならいいけど」
あ、そうだ、力について聞いとこう。
「あのナイフ、どういう効果があると?」
「ああ、あれ? 重さを『切り落とす』ことができるし、軽さを……ってコトもできるみたいよ」
なるほどなあ。だからあんな風に『重くなって』腕がダラ~ンって。予想的中だな。
昔の時代だったら、この力で岩とかを軽くして、退かして災害から守るなんてこともできたんだろうな。
って納得する俺の視界の端で、男がアタフタしてる。
どう説明したらいいんだ? まあこれらに関する記憶だけ消すか。
『アミは……回復したいならやらない方がいいのか?』
《まあそうだな、茜の中の……ハナにやってもらうのがよかろう。記憶消去は祓神霊がするが、祓神霊の維持には宿主自身の力を使うからのう》
『なるほど、じゃ頼まないとな』
「記憶消すの、できる? 姉ちゃんの中のハナは――」
と聞かれてすぐ、頭の中からの返事を聞いたみたいだ。「できるみたい。じゃ、ハナお願いね」
数秒後、姉ちゃんが言った。「終わったって」
気絶している女の表情は変わらないけど、男の顔からは恐怖とか焦りとかの感情が消えた。
で、すぐに、「ん? あれ?」と。
男は焦りながらなにやら探してる。なんだ?
女に気付くと、それから男は俺と姉ちゃんを見た。
「あれ? どうしたんだろ。……あ、もうこんな時間だ、早く帰らないと」
男は、腕時計を確認したあとすぐにこの場を去ってしまった。
んん? どういう関係だったんだ?
そう思いながら女の方を見た。
そちらは今身を起こして。
「あれッ? ストーカーは……ッ?」
――ああ、それかぁ。
多分男には、女に迫り寄っていた時までの記憶しかないから……えっと、辺りに人が(俺と姉ちゃんが)いたために、ストーカーだとバレないように、捕まらないように、時間を気にする振りをして帰った? だな、そういうコトだきっと。
「あの。あの男の人は、あなたの知ってる人なんですか?」
俺が駆け寄って聞くと、女性は。
「いや、分かんない。知らない人」
あ、答えながら怖がってる。
こりゃあやばいな。宿ったくらいだから長いあいだ困ってそうだし。根が深そう。
思った俺よりも早く姉ちゃんが。「警察に相談してくださいね」
「あ、はい」女性はそう言って立ち上がった。
「あの……ありがとう……ございました……?」
女性は首を捻った。三時を示す短針みたいに。
それもそうだよなぁ。暗神霊が暴走した辺りから記憶がないワケだから、助けられた自覚もないはずだし。
やっぱここは念を押さんとな。
「とにかく警察にね。言っておかなきゃどうなるか分かんないし。絶対に相談に行って」
「うん、ありがとう」
女性はそう言ってこの団地の奥の方へと歩き去り始めた。
もし警察署がそっちにあるならそこに行こうとしているようにも見えるけど、別の棟へと帰ろうとしてるだけにも見えるな……。そもそもそっちにあんの? 警察署。
俺は『やっぱり駄目だ』と思った。
「待って! 送りますよ、警察に。ついて来てください」
女性は手荷物を持ってるけど、一旦帰ったりしなくてもいいみたいで、すぐにこちらに来た。
――やっぱりこのくらい言わなきゃ怖いよな。一人で警察署に行かせるっていうのもアレだし。
車に乗るまでの間に、ついでにアミに聞いてみる。
『さっきの戦い、人に見られとったかもしれんけど、それはよかったん?』
《ハナには頑張ってもらったが、ほかにも見られていたら……どうだろうなぁ。目撃者はもういないようには見えたんじゃが……。ま、話題になった時はなった時じゃて》
――そっか。まあ、できそうもなかったんなら、いいや、しょうがないことってあるよな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
母さんの運転で、警察署へと。糸島警察署が大きな署としては一番近かったので、そこへ。
女性は、降りてすぐお辞儀をした。
「本当にありがとう」
「いえいえ」って、俺がっていうよりも、母さんが言った。
とりあえず、事件の解決には近付きそうだ。
あとは署に入ってくあの女性と警察次第だな。
そこからの帰りでも、帰ってからも、暗神霊の気配を感じなかった。いいことだ。その分、体も休まる。