初めての暗神霊。
とにかく勾玉を手に入れられてよかった。あとは作戦会議かな。ひとまず家へ。
博物館の近くからバスに乗って家へと向かったけど、そのバスから降りて路地に入ろうとした瞬間――。
《暗神霊の気配だ》
『え、まさか近くで? どの方向?』
《右前だ、影の伸びている方》
すぐに全力疾走。
頭の中の指示に従って路地を走る走る。
公園に着いた。
頭の中でアミが言う。《あれだ》
砂場やブランコの手前にある広場に人影。男と女が一人ずつ。どっちも大学生くらい? ほかにはいないな。
それにしてもぎょっとした。男の額から、なにかの角のようなものが生えているようにしか見えない。
「助けて!」
必死に逃げようとする女を、男は地面に押さえ付けて殴ろうとしてる。
「やめろ!」二人に近付いてから手に念じた。ひとまず網を出さないとな。
――男の角にでも引っ掛けられれば……。
「でやあ!」まずぶん投げた。
だけど男はすぐに盾のようなものを角の前へと生み出して、網に自分が絡まるのを防いだ。しくった。呼び掛けなきゃよかった……。
――なんだあの盾。太い木を水平にカットしたような、白いテーブル板みたいな。
《オオツノジカの壁か》
オオツノジカの? そんな力があるのか。暗神霊の力? 人に危害を与えないようにせんといかんのに、こんなん絶対苦労するやん……。
念じるのをやめると、網が消えた。
それからすぐ、男も盾を消した。だけじゃなく、こちらに駆け寄ってきた。
横に避けようとしたけど、動きに合わせて男も軌道を変えながらこっちに向かってきた。
――やばい! 首を掴まれた!
「ぐっ……!」
男は雄叫びを上げてる。そうしながら俺の首を……圧し折ろうと――。
くそっ、ふざけんな、こんなところでこんなカッコで死んでたまるか……!
必死にその手を引き剥がそうとする。けど、ダメだ! 力が弱過ぎる!
《真! 網を男の足に――!》
『なるほど――!』
《念じ続けねばすぐ消えるぞ! 気を付けろ!》
『みたいだな……気を付ける、よ……!』
締めようする男の手から左手だけ離して念じる。
と、その左手に持たれてぶら下がる形で、また網が出現。
それをその場に放って、身を引く。どんどん引こうとする。ジリジリと後ろに。
――来いよ、来い……!
こちらの首を追い掛けるように歩くと、男は、その網に足を取られ、ずっこけた。
――げはぁっ、はあ、よし、うまくいった!
思いながらも咳き込んでしまう。ンだよもう、怖過ぎだっての。
――息。息を吸わないと。しかも肝心なのはここから……!
更に網を出現させ、その網を、上から男に被せる。
『これ固定できんかいな! どっか地面に、釘を刺すみたいに!』
上から覆い被さる。自分を重石にしながら、念じ続けるしかなかったけど、そこでアミの声が。
《端にある網石が――丸い錘が――、念じれば重くなる、それで動きを封じろ》
『こういうことか! ――重くなれ、えっと、アミイシだっけ? 重くなれアミイシ!』
男はまだまだ暴れてる。
そんな中どうにか床に押さえ付けながら念じた。とにかく必死に。
《一応古い言い方かもしれんが》
『今は解説要らん! 集中させろ!』
離れながらも念じ続ける。
――網、消えるなよ、アミイシ、軽くなるなよ。
男は網の中でもがいた。もがくだけ。網を取り払えず、そこから動けないでいる。
よし。
《動かなくなったら勾玉を――》
『だな、封印せんと』
バッグから翡翠の勾玉を取り出す。網とアミイシに念じ続けながら。
『でもこれ、どうすると?』
《近付けて、この中に入れ、と念じればいい》
近付けて念じるだけか。よし。
男に勾玉を向け、近付ける。網やアミイシにもまだ念じてる。そこにいろと、アミイシはまだ重いままでいろと。消えちゃ困るからな。
『おい暗神霊、出てこい、こん中に封じられろ。……もう暴れんな』
途端に、男が動きを止めた。
しかもすぐに男の額から一対の角が消えた。音もなく。
直後、男の全身から白い靄のようなものが出てきた。
それが、ほぼ一瞬で集まって形を成した。
《やはりオオツノジカやの――》
ってのはアミの声。
あ、そういえば、熊の姿の祓神霊もいるとかなんとか。基本、動物の形なのか?
暗神霊は、元は祓神霊、そうも言ってたっけ?
そんな暗神霊であるオオツノジカが、数秒後、嫌がるような「フオォオンッ」って声を上げながら勾玉に入っていった。
ふう。
一段落。と思った時。男がぐったりと倒れた。動かない。――気を失ったのかな。
網に念じるのをやめたから、網とアミイシも消えた。
『なんか少し悲しいよな。元は祓神霊なんだろ。これ、どうにかできんと? 封じるんやなくて清めて祓神霊に戻すとか、そういうのは』
《分からん。我々は皆、勾玉に入れて封じておく方法しか知らん》
『マジかよ……。あ。今入れ物ないやん、二重の入れ物、壺と箱みたいな。この状況、やばいんじゃ』
《いや大丈夫だ、かつて封じをやり遂げたサナミも、全ての暗神霊を揃えて封じ切るまではその体に宿し、その身を封印の器にしておった。二重の入れ物は永い封印のためだ》
『ああ、そっか。で体にやればいいんだな、じゃあ早速』
この手に持った勾玉に、手を向けて――これでいいのかな。
『入れ、この体に。勾玉ごと……封じられてくれ……頼む』
って、強く念じたら、その勾玉が、淡い緑の発光体になった。もう固形物じゃなさそう。
で、その光が霊体みたいに漂って、なぜか知らないけど俺の胸元に近付いてきた。
え、これでいいの? ってちょっとだけ不安になる。
それはさておき。
その淡い緑の光が、妙な痛痒さを俺の胸に生む。でもってその発光体が、この胸元にめり込んだ! え! 本当にこれでいいん?
光が消えた。
よく見ると、胸元に、翡翠の勾玉の文様が浮かび上がってる。まるで入れ墨。
『これで封じれたの?』
《ああ》
『凄いな』
《永久的ではないぞ、その場凌ぎよ。全てを封じ切ることができずにお前が死ねば元も子もない。そうなると、ほかを頼るしかなくなる》
『さいですか……』
――本当になんで俺に引き寄せられたんだ。謎過ぎる。
ちらりと横を見た。
あ、この女の人、そこでずっと見てたんだな、なんか怖がってる。
「い、い、今のは……」
「ああ、気にせんでください。えーっと……、誰にも内緒。ね」
口の近くで人差し指を立てた。するとアミが。
《記憶は消せるぞ。混乱の元にならぬよう――これも祓いの一環よ。どれ》
『ん? それはアミができるのか』
《そうだ。よし、もう済んだぞ。ちなみに通行人が一人見ていたからそちらも消しておいた》
『マジか』
《うむ。ただこれは一日に一人二人程度にしか効かん、多用することがないといいがな》
『え、それもやばめやん』
直後、女性が聞いてきた。
「あ、あんた誰?」
「えーっと……、通りすがりです。あ、一応ここは危ないんで帰りましょう、ね」
「え? あの、彼は――」
女性は混乱しながら男に目をやった。問題の男が、ちょうどその時目を覚ました。
のそりと起き上がった男が、女性を見付けて言う。
「なんで……。なんであんなことしたんだ、俺に嘘を吐いてまで」
って、言った男の目がチラチラこっちに向く。まぁそりゃいきなり現れた変な子供なんて気になるよな。
「なにがあったんスか?」
俺から聞いた。
そしたら、男は一度女性の方を向いて、それからまた俺の方を向いた。
「俺には、妹のことを浮気相手だと勘違いして『会うな』と言っておいて、ほかの男といたんだ、はにかみ合いながら――」
「それは」
女性が遮った。思わずといった感じ。
その先を女性が言う前に、男は溜め息交じりに嘆いた。
「兄弟じゃあないだろ。あんな顔を見せるなんて。……俺はお前のなんなんだよ」
どうなるんだろコレ。ひとまず見守る。
と、女性が言う。
「私、タクちゃんにコレをあげたかったの」
女性はバッグからなにかを取り出した。――綺麗にラッピングされた袋だった。
「え?」それを見て男が固まってる。
なんだ。ただの誤解か。
じゃあ俺、もうここにいなくていいな。そっと消えてしまおう。
背を向けて静かに歩いていく中、後ろから声が。
「ありがとう」女性の声。「あなたのおかげで彼がちゃんと話をしてくれた気が……する……?」
「お、俺も、君が切っ掛けになったというか……。あれ? でもなんかあったような。なんだっけ?」
嬉しいけど、むず痒くなるんだよなぁ、こういうの。
「なんもないっスよ」
俺がそう言うと。
「……まあいいや。とりあえずあの場に君がいたおかげで話せた気もするし。ありがとう」
「うん、ありがとう」
女性に言われてから手を振り合った。
それから歩き出してからは、もう振り返らない。
ただ、ちょぉーっと気になる。
『うっすら記憶あんのか? あれ」
《いやそんなことはない。あれは脳が補完しようとしておるだけよ》
『なんだ、なら気にしなくていいんだな』
《そういうことじゃのう》