悪役令嬢に似たポジションに転生したけれど、私には無理な展開です
君となシリーズ5作目。
ある日突然前世を思い出した。
日本の東京の片隅で暮らしていた前世の私はネット小説や漫画を読んでアニメを観て、毎日を趣味に費やし不健康ながらも幸せに日々を生きる短大生だった。
けれどそんな日々が終わるのは突然で、そして酷くあっけないものだった。
ある日の夕方、私は駅前の大きな本屋に寄って2年も待った新刊を買って、今すぐ読みたい衝動を一生懸命堪えながら家に帰ろうとしていた。
1時間に1本しかないバスを逃してなるものかとロータリーへ繋がる横断歩道でじりじりと信号待ちをしていたら、突然背中に重い衝撃を受け、次いで焼けるような熱を右脇腹に感じた。
「な、に?」
「お前が俺の人生をめちゃくちゃにしたんだ!!」
何が起きたのか理解できない私の耳に聞こえてきたのはそう叫ぶ知らない男の人の声。
その声が響き渡った後に訪れた一瞬の間の後には阿鼻叫喚。
「きゃあああ!!」
「おい、あいつナイフ持ってるぞ!」
「血が、血がついてる!!」
「あそこの女の子だ!誰か、救急車を!!俺は警察を呼ぶ!」
顔を青褪めさせて叫ぶ女の人。
叫んでいた男の人を指差して慌てる男の人。
震えてへたり込みながらこちらの方を見る女の子とそれを無言で支える彼氏らしき男の子。
そして私を見ながらスマホを耳に当てている比較的冷静な男の人。
自分を取り巻く人たちの中で、自分だけが輪の外にいるような不思議な感覚を覚える。
だけど実際、私は誰よりも当事者だったらしい。
電話をしていた冷静な男の人が駆け寄って来て「君、大丈夫か!?」と私の肩を掴んだと同時に激痛が全身を巡り、右脇腹から流れ出ていた熱のせいで身体が冷えていっていることに気がついた。
それから周りの人が何故自分の方を見ていたのかも。
ああ、そうか、刺された女の子って、私なんだ。
皆が慌てるのも無理ないか。
この出血量なら、もうすぐ死ぬかもしれないもんね。
…でも、なんで?
今まで聞こえてきていた言葉たちを整理すれば、きっとあの男の人は私に人生をめちゃくちゃにされたのを恨んで刺したってことだと思うんだけど、でも私はあの人の声に聞き覚えはない。
…顔を見れば思い出すかな?
私は痛む体を必死に動かして自分を刺した男を探した。
すると彼は思いの外私のすぐ近くにいて、こちらに向けてナイフを構えていた。
「……え?」
なのに振り向いた私と目が合った瞬間、そのナイフを取り落し自分の頭を抱える。
やはりその顔には見覚えがないと訝しんでいると、
「え、誰?どういう、…え?人違い…?」
呆然としたように呟く男の声が聞こえてきた。
「…は?」
……なにそれ。
つまり私はこいつの勘違いで刺されて、今、死にそうになってるってこと?
冗談じゃない。
「ふ、ざけ、ん、なよ。ひと、さしといて、かん、ちがい、とか、そんなん、とおるかよ…」
こちとら待ちに待った新刊抱えて、家で読むのを楽しみにしてたのに。
そんな細やかな幸せを、見ず知らずの男の勘違いで台無しにされるなんて。
私は血が流れるのも「お、おい!?君、動いちゃダメだ」という男の人の声にも構わず立ち上がり、頭を抱えてへたり込んでいる男に近づく。
そして男の前に落ちていた、私の脇腹を刺したナイフを拾って、
「これ、致命傷っぽいんだけど?もう助からないよね?…なら、お前も道連れ、だ」
最後の力を振り絞って、譫言を呟き続ける男の首にナイフを突き立てた。
そこで私の前世の記憶は途切れている。
きっと刺したのとほぼ同時にショック死したか出血多量で死んだのだろう。
「うわー、ないわー…」
楽しみを台無しにされてぶち切れていたとはいえ、人を刺して死ぬとは。
我が前世ながら恐ろしいことをする女がいたもんだ。
「んで、私は異世界転生した、と」
15年分の自分の記憶を浚わずともわかる。
周りの景色を確かめるまでもなく、ここは東京でもなければ日本でも地球でもない。
ここはスペーディアという国で、ついで街の名前は王都ラスペード。
私はかつて自分が読んでいた小説や漫画の主人公のように、異世界転生を果たしたのだ。
異世界転生ものの小説や漫画では、転生者には大抵その世界の神のようなものからなにかしらの恩恵が与えられる。
多くの場合はチート能力が、時たまハズレスキルなどと書かれている場合でも使い方によってチート能力と同等の、つまり物語の主人公に相応しい能力が与えられるのだ。
しかしそれが現実になってみるとどうだろう。
「事実は小説より奇なり、とか言うけど、そんなことはないか」
ここは中世ヨーロッパのような世界で、あんな死に方をしたのに私は運よく侯爵令嬢という地位に生まれた。
勘違いで殺されたことを神が憐れんでくれたのだろうか。
だったらそもそも殺されないようにしてほしかったと思ってしまう。
さておき、そんな恵まれた環境ではあるが、私にはチート能力もハズレスキルもない。
というかこの世界にはほとんど魔法がない。
極稀に特別な力を持った人が生まれるらしいが、私は至って普通の侯爵令嬢だ。
何の力もなく、特別優秀なわけでもなく、飛び抜けて美しいわけでもない。
平凡な、46人中21番目くらいの頭脳の、21人中9番目くらいの容姿の、46人中2番目くらいの地位にいるただの女の子。
それが今世の私、アナスタシア・グライド・モードレイアである。
ちなみにこの46人という数字は王立学園のクラスメイトの数であり、21人はそのうちの女子生徒の数だ。
数字があればより具体的に私の凡庸さがおわかりいただけるのではないだろうか。
そして本当に地位くらいしか誇れるものがないことも。
なお、私より高い地位にいる1人はこの国の王子で、私の婚約者だったりする。
するのだが、正直好みでもない上に私のことを何とも思っていなさそうな様子を見せられれば興味など全く持てない。
かと言って私の意志で婚約を解消することは限りなく不可能だということは15年の人生で悟っていた。
つまり好みでなかろうと相手が何とも思っていなかろうと、余程のことがない限りこの婚約は履行されるということだ。
やはりこの世界は私に優しくない。
チートもなく、望まぬ政略結婚のためだけに生きる転生人生に、一体何の意味があるというのか。
異世界に転生していたらしいと気がついてから3ヶ月。
先月16歳になった私は、今月から前の世界で言う高校2年生になった。
そして1年生にリーネという名の平民の女の子が入学してきたとの噂を聞いた。
彼女は入学早々、何故か私の婚約者であるガイラス殿下と仲良くなり、今年から彼が会長を務める生徒会のメンバーとも打ち解け、今は庶務として平民ながら特別に生徒会入りを果たしたそうだ。
今まで平民が生徒会員になったことはなく、方々から様々な声が上がったらしいが「庶務のような雑用を貴族にやらせるわけにはいかなかったんですよ」というリーネと同じクラスの生徒会会計の発言でその声は聞こえなくなった。
体よく言ってはいるが、実際は彼女を生徒会に留めるための方便だと私は思っている。
そうして彼女はどんどん彼らとの仲を深めていっているようだった。
まるで乙女ゲームの主人公だな、と思うのは私に前世の記憶があるからだろうか。
どちらかと言うと少年漫画系を好んだ私は女性向けコンテンツについて詳しくないから、たまたま見た乙女ゲーム転生の漫画の知識しかないが、今の状況も彼女の境遇もそれによく似ていると思った。
これで彼女が殿下と想い合い、私がそれを引き裂こうと動けば卒業の日に断罪されるお約束の展開になるのに。
残念ながらそうなっても微塵も嫉妬心が湧かない私ではそんな展開は期待できない。
でもどうせなら婚約破棄にはなってほしいな。
そう思いながら私は1年半、何もせず粛々と学園生活を営んだ。
「アナスタシア様、流石にあれを放置するのは如何なものかと思いますわ」
あと半年で卒業というその時期、学業もほぼ終わり特にすることもない3年生は卒業後の人脈作りや強化のために至る所でお茶会を開いている。
その内の1つに参加し、のんびりと紅茶を嗜む私に主催者であるグレース・リスターナという名の伯爵令嬢は開口一番に苦言を呈した。
「殿下が婚約者である侯爵令嬢を蔑ろにして平民を傍に侍らせている。それは同時に私達貴族令嬢そのものを蔑ろにしているに等しい状況ですわ」
手にした扇をパチンと手に打ちつけ、21人中1番と言われる美貌を顰める。
不機嫌な美人は得てして迫力があるものだが、その怒りの矛先が自分に向いていない限り『美人は怒っていても美人だな』という感想しか出てこないので、私はその美貌を肴にまた一口紅茶を飲んだ。
「そもそも、何故誰もあの女を咎めないのでしょう。生徒会役員の方々は皆様婚約者がいらっしゃるのに、人目も憚らず親し気にして!婚約者の皆様がお気の毒ですわ」
自分の婚約者は生徒会役員ではないのに、グレースは我が事のようにリーネや生徒会役員に怒りを向ける。
よく見ればこの場には私以外にも生徒会役員の婚約者がいた。
「仕方ないですわ。私たちの方が家格が下ですもの…」
一人は悲し気にそう言った副会長の婚約者であるミレーヌ・ジャルダン伯爵令嬢。
「今だけのものに目くじらを立てて、この後針の筵で一生過ごすなんて御免ですしね」
もう一人はため息を吐きながらどこか突き放すようにそう言った書記の婚約者であるダイアナ・ルグリア子爵令嬢だ。
私とは考え方も状況も違うようだが、2人も彼らを止めようとは思っていないらしい。
それは婚約破棄を望んでいる私にとって『殿下からリーネを離そうという動きがない』という幸と『リーネを狙うライバルが減らない』という不幸の両方を孕んだ、なんとも微妙で、けれど有難い状況で。
少なくとも今はその状況を維持することが最善だと私には思えた。
「…グレースさんの仰ることも尤もでしょうが」
だから私も2人に乗ることにした。
「私が彼女や殿下に何かするということは、殿下が平民に熱を上げているという現状を認識し、且つ問題視していると公言するようなものです」
手に持っていた紅茶のカップをソーサーに戻し、持っていた扇を広げて口元に当てる。
「侯爵令嬢としては『やはり平民に負けたのだ』とでも言われかねないそんな状況になることの方が問題と私は考えます。それよりならばこのまま動かず彼らを見逃し、殿下のお遊びを許す度量の広さを見せつけることで貴族の矜持と威厳を守りたい」
そしてミレーヌとダイアナを見て、
「お2人も下手に騒いで問題になるのは避けたいご様子ですしね。であるならばやはり私が動くことはありませんわ」
最後にグレースに視線を戻してにっこり笑ってこの話を打ち切ることに成功した。
そうして迎えた卒業式後のパーティー。
「話がある」と殿下から人目につかぬバルコニーに呼び出された私は、
「アナスタシア、私は君との婚約を破棄したい」
念願叶って殿下から待ち望んだ言葉をいただくことができた。
「はい殿下。喜んで同意いたしますわ」
「……え?」
悩む様子もなく笑顔で同意を返した私の言葉が予想外だったのか、殿下はポカンとした顔を見せる。
次いできょろきょろと辺りを見回すが、私はそれに構わず話を続けた。
「王族である殿下と平民のリーネさんでは今後一緒にいることが難しいかもしれませんが、愛してもいない女を娶るより、愛した女性を想って一人過ごされる人生の方が有意義であると私も思いますし」
「いや、あの、アナス」
「こうして大事になさらず人目につかないところでこっそりと穏便に破棄を申し出てくださったお陰で、私も世間の目を気にせずに済みそうですし。王都で嫁ぎ先を見つけるのは難しいかもしれませんが、地方辺境や隣国などであればまだ希望もありますわ」
「え、隣国って…」
「だからどうぞ私のことはお気になさらず、殿下は殿下の愛を貫いてくださいませね」
自分の計画が順調に進んだことに安堵して殿下の言葉も聞かぬまま「それでは」と簡単に挨拶を済ませた私はその足でパーティー会場を飛び出した。
「やった!自由になった!これからが私の本当の転生人生よね!」
すでに日が傾いている空に手を伸ばし、私は快哉を叫んだ。
冒険者というお約束職業もないこの世界で何ができるのかはわからないが、それでも私はようやく手にした自由で、これからの人生をめいっぱい楽しもうと心に決めたのだった。
読了ありがとうございました。
伏線などは後続作品にて明らかになる予定です。




