ラエルとハンドガード
2019.1.23.1:46
私……ずっと、このままなの?
少女は、誰にともなく投げ掛ける。
身体が動かせない。
干からびもしない、生きてるか死んでるかもわからない。
外に、出たいな。
広い空が見たい。
街の雑踏の中を、歩き、照る日差しや曇った気温を、肌に感じたい。
私、こうしているしか、できないの?
ずっとずっと、古い教室の中に居る。
少女はそこに存在したまま、動けなかった。
(こうしてる間も……誰かがばらまく呪いのおかげで、体力は否応無く削られている……)
どうしたら、外に出ることが出来るだろう?
結界も張り直されてしまっている。
もう一度破ることは、難しい。
(せめて、契約者の名を書き換えられたら……体力だけでも、戻るわ)
浅はかな希望。
「あれは、私、が所有しなくちゃだめなのに」
怖いよ。
寂しいよ。
外に出たい。
大声で泣き出したかった。けれど声も枯れている。
一番怖いのは、この身が滅びることではない。
「私が……私が、やらなきゃ、いけないの! 私が。私の、約束なの……」
結界に、両手を強く叩きつける。
このままでは間違った術が呪いとなり、此処を滅ぼしてしまうだろう。
タカナにも、マイにも出来ない。
『血』が違うのだ。
所有者が気を遣い続けてきた、日々唱え続けてきた全ての祈りを『無』に変えてしまう。
――お姉ちゃんや、私の『願い』が消えてしまう。
全ての努力を、思い出を、全ての時間を潰されたら。
その世界で生きていたって意味がない。
何をしたって、他のものでは取り戻せない。
だって、あれは――――
「お願い。これだけは……私が、やらなくちゃ、いけないの! マイやタカナや、他の人ではいけないのよ!
代わりなんかないの!」
どうか、叶えて。
ぎゅっと目を閉じる。
少女は強く願った。
闇のなかから、優しい幻聴が聞こえる。
「好きだよ」
誰かが優しい声で私に言い頭を撫で―――
やっと独りではない。
そう、光に手を伸ばそうとして……
振り払われる。
『そんな人いるわけないじゃない!』
あれ?
優しい声は、瞬時にすりかえたように誰かの叫びに変わっていた。
誰かの鋭い視線が降り注ぐ。
「どうしてそんなこと、言うの?」
嘘つきな人だと思って面白がっていたから、私を、そんな、目で……
――――パリン!
ガラスが叩き割れたような音。
2019年1月27日1:36
割れたガラスの向こうから暗い暗い教室のなかに光が差し込んでくる。(眩しい……)
私は思わず目を瞑った。
「助けに来たわよ!」
誰かの声がした。
はっとして、意識を戻すと結界の一部に薄くヒビが入っている。
「……、ぇ……と」
桃色の長い髪をした少女が手に持っているのは『本』だった。
私と、おなじ。
ちがうけど、おんなじだ。
『……管理者』
理解が追い付かない。
なんで?
どうしてここに?
私、この場所から出てもいいの?
「聞いて。
私はフィルローグ。
あなたと同じ、『管理者』」
異界の言葉みたいなそれが、私の脳髄に刻まれていく。
「フィル……」
つっ、と涙が頬に伝った。
2019年1月27日1:46
結界の管理者のひとつフィルローグは校内の結界を把握し、管理している。生徒であれど普通それを壊す権限は持ち得ない。
「時間がかかってしまってごめんなさい。これ、父がやったのでしょう?」
フィルローグ家のお父様は、教頭だ。
彼女がやっていることを理解して青ざめた。
「わからない……来たのは、マイとタカナ」
「この強さの結界は、それだけの管理者がやったと見ても間違いはない。刻印があるわ。父の」
彼女には、刻印が見えるらしい。どうもそれは外側からしか見えないしくみのようだった。
冷静に考えてみたら、確かにマイやタカナだけでは成し得ない。
「不思議ね。あれは、生徒に配布される簡易結界の域じゃない。
改造版をマイやタカナに渡したのだわ」
「壊して、いいの?
そんなこと、したら、あなたは……」
「別に、父が生徒に手を下すなら。私見捨てる」
「父親を殺せるの!」
「やるしかないなら、やるわよ」
強い覚悟があるようだった。そうだ、私も勇気を出さなくては。
いつも、傍観者であり続けた、保守さえも望まない、流れのままに居続けた。
崩壊も破滅も、閉じ込められた状態に置いては別に他人事、どうだって良いことだったからだ。
早く消えたかった。
いつだって死ぬ方が、何もかもめちゃくちゃになる方がずっと、望んでいた。
だけど、もし、殻が壊せるなら――――?
ここから出てもよいのなら。
私は、傍観者ではなく『一人』として歩きだせる。
「私、も……」
ゆっくり、足に力を入れて踏みしめる。
「やるしかないことがあるんです、ついて行っても良いですか?」
「来るなら来なさい」
もし変わるなら、破壊も崩壊も要らない。
私は割れたガラスの外の世界は、思っていたよりずっと広いということを、身を持って知りたいから。
2019年2月27日23:14
2019年2月28日22:15
部屋に出てしばらく廊下を付いていった。
途中黒い魔物に襲われかけたが、私たちはどうにか倒し難を逃れた。
その道でルチアノが私に告げたのは、驚くべき事だった。
私が持つ本。
いつも肌身離さず手にしていた古い百科事典。
「『管理者』が持つ禁忌の原本と言われるもののひとつ、それを間近で見られたわ」
それ、を見ながら、ルチアノは言う。
「禁忌?」
クローンと純血の人間が今のように分かれていなかった頃に描かれたもの。
「例えば古い東国にある『桃の男のはなし』……知らない?」
「いいえ」
「世界をかけた大戦争が起きたときに、主人公は軍のモデルにされたの。そしてあちこちで原作の手を離れ、戦いの物語へと変わっていった」
2019年2月28日22:32
同じような原本は世界各地に存在し、戦争の忌まわしい記憶とともに多くは鍵をかけ封印されてしまうらしい。
物語は、古くから戦争の道具だった。
どんなに、作者が幸せを願おうと。平和を祈ろうと、それのいくらかは忌まわしい本として歴史から葬られるのだという。
「生き残った本にも、上層部が強い呪いを封じて強引に開けないようにしている……
けれど、管理者との結び付きがある本だけは例外」
「どうして、その、話、あなたは、いったい」
「フィルローグ家が『管理者』だから!」
あんな半ば奇襲があったので、てっきり自分を排除したいのだと考えていたけれど、ルチアノは何か考えているようだった。
「あなたにしか、あの結界を破壊することができない」
彼女は古い校舎に、フィルローグ家の術が施されていると話した。なぜ、そんなことを知っているのだ。
犬死したくないのと、どう関係するのだろう。
「おおよそが今の社会が築かれる以前に描かれた本で、学園は、その管理も任されているけど……今、あちこちの結界が弱まっているの」
確かに、夜に侵入者を見た気がする。メイルも不安なことを言っていた。
「同時に、何かに吸い寄せられて黒いものが、本から出て来ようとする」
「この本の、せい?」
「いいえ。ただ、これもまた『ストック』というだけでね」
ルチアノの言葉は、フィルローグにはよくわからなかった。遠くで教員の声がした。
どうやら学園内で二名が殺害されたのだという。
今から点呼があるらしい。
「早く、見つかる前に降りるわよ」
なにを封じているのだろうか。どうしてルチアノはそれを知って……まさか、卒業生なのか。
2019年3月1日17:02
しばらく階下に降りた後、ルチアノは踊り場の辺りでキッ、とフィルローグを見た。
「区画は」
フィルは本を抱えたまま首をかしげた。
「じれったい! あなたの家が任されている結界」
「あぁ、ラエル01-E-aaからラエル12-E-jjは確実だと思うけど」
ラエルとはlayerのこと。
討伐一家にならなかったフィルローグ家は、結界などの管理をしていた。学園もそうだったけれどまだ学生で資格を持たない彼女自体が、それへ直接関与したことはなかった。
「私も詳しくない、あなたは、旧校舎のナンバーを見つけたとして、破壊して、それを、どうするの?」
「その結界の中に管理者が封じられている……」
ルチアノはやけに歯切れが悪そうに呟いた。
廊下は長く、そしてあちこちから嫌な気配を醸している。
立ち止まったまま居ると、見えない圧につぶされてしまいそうだったので、フィルには沈黙はやけにつらく思えた。
「ここの生徒よ」
「校舎内で、その誰かを隔離するための防壁に使ったというの。だけど、生徒でもクローンたちなら許可証か、ごまかしの薬品があれば……」
「管理者自身に、ハンドガードを使ったの。自力では開かない」
「ハンドガード?」
「管理者の存在そのものを、跳ね返す禁じ手。
『枝分かれした存在』
あれの技術の、おまけで生まれた最悪な結界。『自分以外の管理者』が触れなければ壊すことが出来ない。
なぜなら……その破壊は管理者自身を破壊するから」
フィルは何を返せばいいかわからなかった。ルチアノの表情には暗い影が見えた。
つまり、その結界は管理者と強い繋がりを持つ生きた結界。
他の管理者が干渉しなければ、出られないのだという。
「あ、あの……どうして、その人を、貴方は」
また校内放送が鳴った。
2名を探している。
立ち止まって居てはいけない。