ツルナルールとリークロード
『彼女たち』の次の授業は、特文A だった。
純血クラスは特別文系カリキュラムのクラスでもある。
理系のレベルアップにばかり着目していた国が、ようやく重い腰をあげ高度文系用のカリキュラムを作ることになった。
新聞の内容を正しく読む子や、ニュースを読み解く子が出てくると国に不都合があったからと言われているけれど、今度は文系レベルが著しく低下し、会話の齟齬なども拍車がかかったためだ。
クローンたちの純血狩りも、読解力が落ち、感情を発散させられなくなった子どもによる低年齢化が嘆かれていた。
なので、そろそろ文系教育も若いときからどうたらと、以前に増した重要性を認め、偉い人がなんかそれらしく言わざるを得なくなったのだった。
――まだ始めの実験段階であるために紙の本を最後まで読む、だとか(意外とできない子がいる)
や、国語と変わらないものから始まり、暗号学、成分表の読み方、説明書を作る、
人別の会話の伝えかたや感情と言葉の結び付き(クローンと行き違いでいざこざを起こさないためのマナー)、主要な国の言語をマスターする、手紙を書く、書類のミスを照らし合わせて見分ける、ネットワーク内でのコミュニケーション……と、授業が多岐にわたっていた。
特文系のクラスは、クローンクラスにもあるが、彼らは選択授業なようだった。
(ただでさえ書籍など誤解が多いからと、純血クラスは強制的に組まれるのだ)
どちらのクラスにしても並みでは入るのは難しく、文系に寄せられていた不名誉(やや理数系から見下される面があったのだ)からは少し脱したという様子。
効果として、特文系クラスの卒業生の政治家が比較的わかりやすい発言をして注目されるようになってきたのも影響するのだろう。
これにより若者も多少、世間の大人と同じ場にいる認識をもった。
(撹乱のためとしか思えなかった不思議な言葉遣いが、近年で問題になっていた)
――ただ、今日の授業は、前回に引き続き
『好きな本を英訳しなさい』だった。
好きな人には好評だが、メイルのように眠くなる生徒には退屈だったので、彼女たちは、次の授業の先生がなかなか来ない予感に、わくわくしていた。
退屈は子どもたちに似合わない。
メイルたちは討伐に出るか、おとなしく待つか話し合っていた。
ガタ、ガタ、とドアが揺れたのはそのとき。
「せんせい、来たのかな」
誰かが言った。
先生ですかと誰かが聞いた。なぜなら、すぐ入ればいいのに壁の向こうには妙な間があったから。なにやら影が、ガラス越しにふわっと映る。
「まずいな、どこか、結界が破れているのかもしれない」
さっきまでいじられていたリークロードが、椅子の背に乱暴に寄りかかって座ったまま、ぼそっと呟く。
バアン!
音がして、ドアがまた揺れる。
「ドアは、なぜかまだ開けられないみたいだな」
生徒たちは各々、顔を見合わせた。
「どう、すればいいの」
メイルは、戦うと言った。リークロードや、その知り合いの5人ほども、討伐隊の誇りを見せるらしい。
横からすり抜けていくメイルを見ながら、ツルナは自席でおろおろとしていた。
(心が、機械になればいいのに……)
自分のやるべきことに下手に意思を混ぜると途端に、彼女はいつものドジっ子になってしまう。
ただ一点これをやる、という意思のみを研ぎ澄ませる人を、天才や、力のある者と呼ぶのだろうけれど……
今、友達と穏やかに話していた彼女では、戦いなどとてもできる性質でなかった。
戦いが生まれつきの環境と練習の成果でないものとの差は、心に現れる。
(このままじゃ……)
辺りを見渡すと大半の生徒が迎え撃とうという姿勢をしめしていた。
「ツルナ、ベランダから外へ出て先生を呼びに行ける?」
メイルが、ドアの前で短剣を構えたまま囁いてくる。
私に、出来ること。
出来ることをしなくちゃ。
ツルナは頷いた。
□
なにかをやることは、心を機械にすること。
ただ集中だけすること。
――私にとっては、それが全て。
会話をしたり、仲良くふれあうと、座標がすぐにずれてしまう。
普段はよくても、こういうときの足手まといが嫌になる。
運動は得意でなかったけれど、何もかも気にせず、私は走った。
すぐに息があがり、胸に冷たい空気が溜まり苦しくなる。
先生、どの先生?
誰に話せばいいの?
とりあえず職員室かな。
階段を駆け降りようとしてふと後ろを見ると、
リークロード君が追い付いていた。
ダブルショック!!
「わたし、はぁ……、はぁ、必死に、走ったのに!」
「アホか。なに一人で行ってるんだお前は」
「……あ」
「校則を無視するな」
相変わらず不機嫌だった。彼は何がそんな不満なのだ。
「討伐隊はいいんですか」
「メイルたちもなかなかやるからな。俺は外側から教室に入るやつを見たかっただけだ」
「そうですか」
き、距離感がわからない。
変な敬語になりながら二人で職員室を目指す。
今はまだ遠くに感じるが、黒い影らしいものが、あちこちに姿を表していた。
(うわ……なに、あれ)
さあな、で終わりそうな会話をしたくないので心のなかで嘆く。
私も戦う力があればいいのにな。けれど今までまともに戦ったことなど、ない……はずだ。
体育で少しやったくらいで。
ふいに、めまいを覚えた。
目の前が暗くなる。
「なに……?」
――頭がずんと重く感じた。職員室に行かなくちゃいけないのに。
リークロード君はさっさと職員室に入っていく。
廊下に立ち尽くしたまま、足が、動かない。
行かなきゃ……私も、戦わなくちゃ。
「ツルナルール!」
背後で誰かが呼んだ。だれだろ。
ふと、目をあけたら、目の前に黒い、なにかが居た。
「……!」
メイルちゃんのように短剣でもあればよかったのになぁ。でも……
「私、これくらいしか、持ってないよ!」
スカートに手を入れ、ポケットから取り出した『それ』の蓋を開けて空間に向かってかける。
シャボン玉溶液のケースみたいな見た目だが、簡易な結界を作るもので、生徒たちに配布されていた。
黒い塊は液に絡めとられてその場でもがく。 世の中、変なものだ。ツルナのようなものが、ちょっとでも怒ると批難するくせに、にこにことしていれば無垢過ぎる、気持ち悪いと批難する。 どちらを選ぼうと目をつけられ、斜めに片寄った見方をされる。
おっとりしていても、笑っていても、誰だって、虫や小さな生き物くらい殺したりしてるのに。
――悪魔だ!
――悪魔だ。
口々に声がした。
「あ……」
ここがクローンクラスの生徒たちも通る共通の通路に繋がる道でもあることを忘れていた。
けれど。
(私は、黙って死ねって……?
何もするなっていうの?抵抗さえも、批難される存在なの?)
どうして。
周りの生徒はなんだ、死ねばよかったのにという雰囲気を出していた。
写真におさめようとするものまでいたくらいだ。
――彼らが『悪魔』と呼んでいるのは純血の子たちだ。
(血は血よ。人は、人。
同じなのに……)
私も腕を切って確かめたことがあるから知っている。
周りとおんなじ。
――絵空事じゃなく実際に腕を切る画像で訴えた人もいるくらい。
それほどにクローンたちの差別は厳しく彼らからの信用など滅多に得られなかった。
純血クラス用のチャットで、これを話して聞いてみようかな。呑気に立って居ると腕をひかれた。
「ツルナルール!」
リークロード君だ。
職員室から出てきたらしい。なんか怖い顔。
ツルナは苦手だ。
「死ななかったのはいいが今はとりあえず逃げろ」
「でも! まだ黒いやつが」
それは消しきれずにもがいていた。
「誰か来るだろ、俺らは先生に任せておけばいい。今ここで、混血を怖がらせるようなことをしたら、退学かもしれないぞ」
だけど。
だけど、だけど……!
考える。考えても正しいことがわからない。
……ううん。違うわ。
「あれって、よくないものなんでしょう?」
口から出たのは、怒りを込めた言葉だった。
「あなた、それでも強いの?
討伐するのが仕事なんじゃないの。
私、嫌われたっていい」
ふいっと彼に背を向けてツルナはまず、クローンの人たちの方に向かって言った。
「ここから、はやく逃げて」
「お、おい……」
マジでやるのかと、彼は慌てた。
「当たり前だよ。それにどうせ、ここで戦おうがやめようが差別は変わらないもの。なにしたって無くならないものに媚びを売る必要はないわ」
目を背けたところで、どうせ嫌われるのは変わらない。見捨てたって偏見がある者が力をつけて全面支配に変わるだけだろう。
だから後悔しない方を選ぶ。
さて、とツルナはそれ、に向き合った。
「な、なにで倒そう……
結界が強いはずのエントランスにまで居るとは思わなかったからなぁ」
ずっこけた、リークロードが「仕方ねえな」
とどこから出したのか大剣を構えて黒いのに振るうと消えた。
クローンたちが逃げ去っていく。
「はぁ、敵は作りたくないのに」




