3日目後編:ゴブリン
日帰りの探索では何も見つからなかった。食糧を確保するためにもなんとしても遠出をしなくては……
ようやく図書館に戻りほっとする間もなく、狼煙が上がっている箇所が一か所だけでなく別方向からも上がっていることに気づいた。明らかに何かが起こっていることは間違いがない。しかし、午後も遅くなった今から行動を起こすのは愚策であろう。当然、狼煙がある以上なんらかの緊急事態であり、危険があることも十分考えられる。明日さらに遠出をするのをためらう意見すら出てきた。
「てか、もし万が一戦争とかだとすると近づきたくないですよね」
「ただ、そもそも食糧もまともなものはあと一週間持つか持たないかですよ?何か行動は起こさないと」
木下君の当然の懸念に、瀧本さんがこれまた当然の懸念をぶつける。どの程度の危険がありそうか、など話しては見るものの議論は先に進まない
「いっそのこと、狩猟採集民族にでもなったりして?」
確かに小谷君なら狩猟採集民族になれそうであり、冗談としてはありだが、どう考えても現実的ではなさそうだ。そんなことを考えると笑える冗談ではなかった。
「……というのは、まぁ無理っすね。」
冗談があまり通じず、即座に前言を撤回した。決まりが悪そうに小谷君は縮こまっている。ただ、確かに何の知識もない現代人が狩猟採集なんかで暮らしていけるわけもなく、何か行動を起こさないといけないのは間違いない。
「冗談はさておき、確かに知識なしでは食糧確保もままならないね。ここで自活できそうもない以上危険を冒してでも行かないといけなそうだね」
辻野さんが小谷君をフォローしているのかしてないのか分からない言い方をした。ただ、現実を突きつけられ、全員行動を起こすしかないと腹をくくったようである。どうやって遠出するかの議論になっていった。
「あの狼煙に近づくとしても、あれどう見ても尾根の向こう側ですよね?もしかしたら尾根がいくつも連なっていて本格的な登山が必要、ってことも考えられますよね……」
高部君の話を聞きながら、今日下って行った尾根の左右の勾配を思い出し頭を振った。もしあれをいくつも越えなければいけないとしたら、それはごめんこうむりたいところである。皆がそう感じているであろう中、おもむろに後藤さんが立ち上がりホワイトボードに近づいて行った。
「確証があるわけではないんですけどね……」
ホワイトボードに何かを書きながら、話し始める。
「この辺の地形はいわゆる丘陵地帯だと思うんですよね。丘陵地帯というのは川の浸食で谷を作るんですが、全体的な傾斜はたいてい一定方向なので、平行にこう……」
ホワイトボードに平行に川と尾根とを色分けして書き込んでいく。
「で、この平行な川が比較的大きな川のある平地にいったら合流して……」
出来上がった図は櫛状で、まるで大きな川に小川がぶら下がっているような形になった。
「今日歩いた尾根に沿って見えた小川が、この平行した川で、たどり着いた川が平地にある川じゃないかと思うんです」
なるほど、確かにあたりの地形からするとこんな地形になっていても不思議ではない気がする。さらに、後藤さんが続ける。
「で、狼煙の上がっている位置ですが、狼煙はたいてい人が見やすい平地よりも、高所から上げるので、この尾根沿いのどこかで上がってるとしても、結局は人がいるところはこの大きな川沿いじゃないかと思うんですよ」
なるほど、分かりやすい。しかし、とすると……
「ってことは、結局今日のあの川の下流に行くべきってことでいいんですか?」
あまりの単純な結論に少し戸惑いながら質問をした。
「そうなりますかね」
ここまで頭を悩ませたのはなんなんだろうと思うくらいあっけない結論だった。ただ、やることは変わらないが、切迫感は大きくなっていることだけは間違いがない。全員慌ただしく散らばってテントになりそうなものやら、ロープ代わりになりそうなものやらを探しに回った。
図書館の隅で使われていない書架を覆っていたナイロン製の布がなんとかテント代わりになりそうだった。ただ、どうやって張るのかを試すのにかなり時間がかかった。加えて持っていく荷物を担いでは、重すぎる、いや、物資不足になるくらいなら、とやっているうちに、なんだかんだ準備が終わったのは夕暮れが近づくころであった。
そんなこんなで、ようやく1日が終わりかけ、ようやくゆっくりする時間がやってきた。そこまで暑くなかったとは言え、やはり熱いお湯で頭を洗い、体を拭きたい。お湯を沸かすためにも切れかけている薪を取りに裏手の森へ拾いに行くこととなった。
とりあえずの自衛策としてスコップを小谷君と、その次に身長が高いというだけで自分が持つことになり、森へ入っていた。薪になりそうなものを探し回るが、前に来たときよりも不気味に感じるのは時間が前より遅いからなのか、それとも狼煙を見たことによる精神状態なのかは分からない。そんな中でも、森の手前側の薪はほとんど拾い尽くしたはずで、奥に進まざるを得ない。さらに不安が増してくる。さっさと集めて森から出たいところである。
「これを毎回やってたら面倒ですね。というか、ここの森のを全部拾い尽くしちゃったりして」
高部君の言うとおりである。奥に行くのが怖いだのなんだの言っていられない。手間なだけでなく、いつかは限界が来るはずだ。
「薪って自然乾燥だと確か伐採後に最低でも1年とかかかるとか聞いたことが」
「となると……炭焼きしかないですかね。暖を取る必要のないアフリカでも家庭の燃料問題は結構大変ですからね」
瀧本さんうろ覚えの知識と辻本さんの知識を信用するならば、どうやら、食糧問題に加えて燃料問題も立ち上がってきそうである。ゲームの主人公なら空腹や暖をとることなんて設定されておらず、困ることもない。いや、そもそもスタート地点が3日間人と会えない所のゲームなんてクレームものだろう。「最初の町」と書かれた看板に従っていけば、友好的な人たちがいる町にたどり着けるはずである。ただ、そんなことに文句を言っても始まらない。それどころか、中世や古代の設定であれば人口密度的に3日目で人の住んでいるであろう兆候を見つけられたのは幸運なのかもしれない。それが狼煙という多少不気味なものであっても。
「ガサッ……」
薪集めも終わりそうな頃に茂みの奥で何か音がした。全員動きを止めてそちらを注視する。数十秒たっても特に何も起きない。気のせいかと思いつつ、全員顔を見合わせる。そのまま立ち去るか確認するかしばし逡巡するが、自分がスコップを持っていることを思い出してしまった。別に周りに行けと言われたわけではないが、行くならば自分ではないかと思え、少しずつその茂みに近づいていく。じりじりと近寄っていくが、心臓の鼓動がはっきりと感じられる。あと数歩の所まできてしまい、足を止めて、その茂みに目を凝らした。特に何もいないように感じる。さらに少し近づき、その茂みをつついてみようかとさらに近づこうとしたとき後ろから悲鳴があがった。
「っ……」
振り返ると声にならない声を上げている山田さんは尻餅をついていた。その目の前に見慣れない生物が立っている。二本足で立つその生物は明らかに人ではない。大きさは成人男性の胸より低め程度であるが、明らかに異形の生物である。尖った耳に不気味なほど見開いた目、緑とも灰色ともとれないくすんだ肌の表面はゴツゴツとしており、その姿は醜悪としか言い様がない。
「ゴブリン……」
意外にも、その姿に有名な魔物の名前を真っ先に呟いたのは瀧本さんであったが、確かに誰もの頭にその言葉が思い浮かんでいるであろう。そして、我々の知っているそれであれば友好的な生物でないことは明白である。
お互いににらみ合ったまま動かない、いや、動けないと行った方が正しいだろうか。先に動いたのはゴブリンであった、近くにあった大きめの石に飛びつき、一番近くの山田さんに襲いかかろうとした。藪に近づいたせいで距離が離れている。そして、何より体がとっさには動かない。まずい、と思った瞬間に大声を出してスコップを振り回しながら小谷君が巨体を揺らして割って入り、すぐに後ろから滝本さんが山田さんを抱き起こしていた。
「大丈夫?」
「はい……」
間に割って入った小谷君は息を荒くしながらゴブリンを追い払おうとする。その巨体に押されて、ゴブリンはじりじりと後ろに下がっているようだ。これで一安心と思い、自分も加勢しようと少し小谷君の方に歩を進めた。
「!……」
その瞬間、左肩に鈍痛を感じよろめいた。何事かと振り返るともう一匹ゴブリンが石を振りかぶっている。なるほど、さっきの藪の中にも、もう一匹いたのかと妙に冷静に事態を受け止めている思考と振りかぶって再度打撃を与えようとするゴブリンへの狼狽が脳内で混じり合っている。
「ガツ……」
頭を狙った次の攻撃はなんとか食い止めた。食い止めたというよりは、偶然にもなんとか持っているスコップにあたり弾き返すことができただけと言ったほうが正しいだろう。幸運に助けられながら、ようやく事態を頭が理解すると同時に得体の知れない怒りが沸いてきた。
「この野郎!」
叫び声とともにスコップを振り回す。そのうちの一発がゴブリンの頭に直撃し、ゴブリンはその場に倒れこみ動かなくなった。最初のゴブリンの方を振り返ると、小谷君とにらみ合っていたゴブリンは踵を返して逃げ出していた。
「あっ!」
高部君が声を上げた。全員の視線が自分の後ろに集まっている。慌てて振り返ると倒したはずのゴブリンが立ち上がっている。思わずスコップを握り締めて攻撃しようとするが、まだ首から上を向けただけで体が上手く振り向かない。まずいと思ったが、こちらのゴブリンも森の奥へと逃げていった。
あまりの出来事に頭の中が整理できないが、ようやく、いや、一瞬で終わった。この世界に来て初めての大事件であったが、終わってみればあまりに淡白な結末である。祝福もなければ喝采もない。何よりも、現実感が湧いてこない。
「大丈夫か?」
木下君が声を掛けてくれるまでしばし立ち尽くしていた。
「ああ……たぶん……」
その声を出すのがやっとだった。周りの人達も同じようで全員が固まっていた。
「と、とりあえず、帰りましょう。建物の中の方がいくらか安全そうだし」
辻野さんの一言に全員我に帰ったようにうなずき、図書館へと戻ることになった。周囲を警戒しながら固まって歩いたせいもあるが、たった数十mほどの距離が長く感じられる。全員一言もしゃべらず、ようやく着いた時には、全員からため息が漏れた。それと同時に堰を切ったように喋りだした。
「いや、確かにそんなのがいると薄々思っていたけど……」
「やばいっすね」
「まさに異世界……ってところですか」
「やっぱああいうのは夜に活動するんですかねぇ」
喋る調子は皆明るいが、緊張から解き放たれた反動みたいなものだろう。そんな自分もようやく殴られた左肩が痛み始めた。
「あの……大丈夫ですか?」
肩を抑えていると山田さんがマジマジと見ながら声をかけてくれた。
「ちょっと痛むけど、大したことはないかな」
アザになっているかもしれないが、肩を回しても大きな痛みもなく不自由はしそうにない。
「当たり所がよかっただけかもしれないけど、余裕そう」
初めて会った魔物は、皆がよく知るいわゆる雑魚敵。緊張感からの解放も相まって、一気に場の空気が緩むのを感じた。危険があるのは間違いないが、まだ大丈夫なはずだ。この後、明日以降の行動を変更するかどうかも少し話し合ったが、ほとんど反対もなく、1泊か2泊で遠出をしようという話はそのままになった。変わった点と言えば、頭と体を洗った後、寝る場所を屋上から1階の入り口にして、少々のバリケードを作った程度である。1階は焚き火もできず外の明かりも入りづらく、ほとんど暗闇に近い状態だった。懐中電灯をたまにつける程度でなんとか凌ぐのはかなり不便であったが、所詮はその程度の不便さであった。この時までは……
完全初投稿なので、意見が1つでもいただけたらうれしいです。
基本週1くらいで投稿していきます。