第2話 時計の回転
少年BBと少女オサムは朽ちたビル郡へ歩み始める。双方共に顔は暗い。撃たれた小鳥もこんな寂しさを抱いていたのだろうか。いやあれはただのデータだ。オサムは感傷を抑える。
車の通らぬ車道、その中央を行く。中心に近付くにつれ、ゾンビの呻き声が大きくなってきた。ナタは既に抜いてある。十字路。その先に屍が多数。
十字路中央に立つ。前方、左右には敵の群れ。こちらに気がつきノロノロと襲ってくる。苛立っている二人にとって、この時はストレス発散の時だった。
駆け出す必要はない。近付くのを待つ。だがおしくらまんじゅうにされてはならない。一匹がオサムに接近。脳天にナタを振り下ろしキル。BBに言われずとも、銃を使おうとは考えない。
二匹並んで来る。小勢で小出ししてくるのにヤキモキしつつ、BBは二匹を素早く斬り伏せた。ナタの調子はどうかと目を向ける。耐久値はまだ高い。ポップアップされたステータスがそう告げる。
呑気なものだ。それほどゾンビは鈍臭かった。オサムは舌打ちし、短いポニーテールを揺らし走り出す。BBも早期に決着をつけるた為彼女を追う。
BBとは違い、オサムは急所を狙わない。乱暴に斬る。一撃では足りないので何度も叩き斬る。BBは走り回りながら首をはねていく。全て即死。BBと自分の違いに怒りが昇るのを感じながら、オサムはようやく一匹片付ける。
しかし、ゾンビの数は減らなかった。二人は微少の後悔をしていた。だがそれ以上に運動という気晴らしが出来ている。それだけで戦えた。
オサムは素人ながら敵を倒し、BBは小慣れているようにゾンビを捌く。そしていつの間にかゾンビは全滅していた。感覚としては、草むしりだろうか。
オサムが武器をしまい、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「わたし達、何で戦っているの?」
その言葉に戦の余韻を断たれたが、BBは頬を掻きながら苦笑する。
「確かに。何でかな」
「この数二人でやっちゃったし」
「いや、うん、まぁ。ここら一帯の安全は確保したってことで」
「じゃあ人探そうか」
「そうだね」
自分達の本来の目的を思い出し、八つ当たりの現場から離れる。一度、別行動をとろうかとBBは考えた。しかしまだ沈んだ顔をするオサムを見ると、あぁそんな考えをした自分が愚かしい。彼女の前を進む。
正直なところ、今はまだ何が起きているのか判ってない。それなのにウロウロしていいのか。物資を見つけ、ビル内に入るBBとオサム。オサムはどうしても不安が除けなくて、安心を与えてくれる人を探す。前にBBが一人だけいた。同じ歳の子供に頼るのは、彼女にとって恐ろしくあり、忌避するものであった。
「すみませぇん。誰かいますかぁ」
BBが声を張り上げる。木霊はまだ響かず、すでに夜となった世界があるだけ。「ここにはいないみたい」オサムに言う。その場から離れ、崩壊した街に再び出る。それからも彼らは歩いた。街の中をどこまでも。
「ねぇ」
すっかり会話はなくなった。重量のある沈黙から幾刻か。オサムはついに口火を切った。BBに話しかけながら視線は下へ。
「人はいないみたいだ」察したBBが会話を続けさせる。
「そう、そう。いたとしても、もう眠ってるんじゃないかな。他のプレイヤー。だとしたら起こすのも悪いよ。ね?」
BBにはオサムの姿が哀れに見えた。かなり疲れている。ここで何か言うより、休ませてあげたほうがいい。瞳も、きっかけがあれば滝を流しそうだ。
「じゃあ、今日は休もうか。さっきのビルでいいかな。ほら、最初に入ったところ」
「いいよ」
「よし、戻ろう」
二人は最初人を呼んでいたビルに入った。月明かりがあるにしても、流石に光のない屋内は暗かった。対ゾンビ用、また対プレイヤーとしてビル内にあるものを使い簡素なバリケードを作成。ひとまずは安心できる。たとえ仮初めにしても。
ナイフでポークビーンズの蓋を開け、口に流し込む。ケチャップの味がした。人生であまり旨いものを食べてなかったBBにさえ、これは下品な味だと判る。
オサムは何も食べようとはしなかった。床で横になり寝ようとする。眠れずに起きるのを繰り返した。
「何か食べたらどう。デスするよりはいいでしょ」
彼女に食欲がないのは知っている。しかし目の前でデスされると……。
されると、何が問題なのだろう。渋々「うん」と言ったオサムをよそに考え耽る。普通デスした程度で騒ぐもんじゃない。しかしながら今は普通じゃない。もしかしたら、デスしたら何らかのバグが起こるかもしれないのだ。
BBはオサムの食事終了を待つ。オサムも急かされていると感じたのか、大急ぎで食べた。
「どうしたの」
オサムは不安のパイ重ねで苦しくなる。
「もしデスしたらどうなるのかなって」
「リスポーンするだけじゃないの」
「普通なら。でも今はどうだろう。もしもの為に検証したい」
震えて、縮こまるオサム。彼が不安なら、彼女も不安になる。何か言おうとする。だけど何を言えばいいか。言葉を選べず、口をパクパクする。
「ゆっくりでいいよ。深呼吸して」
BBに言われた通り、息を吸い、吐いた。
「やめたほうがいいよ。……なんかヤバイし」
「そうだね。ヤバイ。でも、もしも異常があって」
「やめてよ」「大丈夫」「どうしてさ」
「デスしたら帰れるかもしれない。もちろん可能性の話だよ。でも、何かを得られるかも」
「死んだらどうするの」
「死にはしないよ。どうせ、リス地点に戻るだけ」
ここで論を尽くして説得させるのは何か違う気がした。
BBはナタを抜き、ステータス画面を開く。リスポーン地点をセーブし、立ち上がる。オサムがBBを見る。その目には、親から離される子ライオンが宿っていた。
「大丈夫。大丈夫。ちょっと行くだけだから」
幼い妹を宥めるような調子で言うと、発言される前に外へ。オサムの言う通り、物資的にも死ぬとしたら。彼女は責め苦で吐いて死ぬかもしれない。自分なんかの死でそう思われるのは嫌だった。それとも、ただ人が悲しむのを見たくないだけか。
充分離れた場所に来た。ナタの刃先を首に当てる。VR世界、人工現実。なのに胸がやかましい。所詮ゲームだ。でも、その所詮で人は死ぬのかな。
ほんのわずか迷った。それでも首を断った。
真っ暗闇からポリゴンが光を放ち、コンクリートの壁が見える。あの世を疑った。目の前に笑えばいいのか泣けばいいのか迷うオサムがいる。なので、まだポストアポカリプスにいることが理解できた。
「死んでないの」
オサムがようやく口を開いて言った。BBは笑みを浮かべた。
「いや、死んだよ。復活したけどね」
自分の姿を見返す。シャツとズボン、ナイフ。このゲームの初期装備だ。リスポーンしたなら、まずはロストしたアイテムを確保しなければ。BBは早速外に出ようとして、
「どこ行くの」
と呼び止められる。
「アイテムの回収」
「わたしも行く」
「お願いするよ」
アイテムは難なく集められた。改めてナタなどを装備し直し、オサムに改まる。
「考えたんだけどさ」
「なに?」
「このゲーム、サバイバルゲームでしょ。NPCとかもいないタイプの。だとすると、人が集まる場所って、今のところ無いんじゃないかな。水場ならワンチャンあるけど、このゲームは広いし、中々出会わない。だから、運営に進展があるまで、何とか生きていたほうがいいんじゃないかな」
「そうかもしれないけど、まずはあんたの言った通り水場とかに行って、他のプレイヤーを探そうよ。まだ可能性はあるでしょ」
「よしよし、じゃあそうしよう。水の補給にもなるし」
オサムは自分の意思が通りホッとした。BBはオサムをより落ち着かせる為に言葉を続ける。
「でもその前に、寝ようよ。もう二時だしさ」
「うん。でも二人同時に寝るのはいいの?」
「あ、そっか。じゃあ先に寝てよ。オレは見張っとく」
「いや……。ここは譲らせて。眠れそうにない」
「おーけー。見張りは任せたよ。ま、オレも眠れないかもだけど」
ビルの中へ戻り、BBは横になった。腕を枕に、オサムからは背を向けて。
彼は思索に耽った。でもそれは霧のようで、考えが一滴落ちるたび、すぐ蒸発した。だが暗く悩むことはない。このまま現実に帰れなくていい。それはそれでいい。そう思えるくらいには、彼にとって現実は嫌なものだった。だが。BBは自戒する。オサムにとっては違うだろう。オサムはログアウトできずに苦しい想いをしている。まだ数週間だが、それでも付き合いはある。せめて、彼女に安心をもたらさなくては。
BBは決意の内に、浅く眠った。
うつらうつらと目を開ける。太陽が目覚めの光を照らす。それを見て、しまった! ガバッと飛び起きる。見張りの交代ぐらいは引き受けなければならないのに。自己嫌悪もそこそこに、オサムを探す。探すまでもなく、となりで座りながら寝ていた。寝落ちしたのだろう。
起こそうとして、やめる。オサムは自分以上に参っていた。眠りぐらいは邪魔しないようにしよう。BBはそっと立ち、外の様子を伺う。
昨日と変化はない。それだけ確認すると、オサムのそばで起きるのを待った。いつものぶらっきぼうに近い態度とはどこへやら。可愛い寝顔だった。
しばらくして、オサムが起きた。フワフワとした表情で辺りを見渡して、BBと目が合った。
「おはよう」「……おはよう」
寝顔を見られた恥ずかしさを隠す為、彼女はニヒッと笑った。BBも微笑んだ。
「ごめん。寝ちゃった」
「オレも交代しなかったからおあいこ。いいよ気にしなくて。それより、前に言ってたオアシスに行こう。新しく探すより手間が省ける」
「解った。行こ」
二人は歩き出した。眠った為かオサムの目には大さじ一つ分の希望があった。足を進めることに躊躇いはなく、このポストアポカリプスという荒野を行く。
歩いて数時間。彼らは来た道を戻っていた。小鳥を撃った道を超え、戻りに戻ってオアシスに着いた。綺麗な水が湧いて、青い草が生えている。残念ながらヤシの木はない。アスファルトの道路からは離れていて、道を進むだけだと見つけられない。探索を大事にさせるゲーム性の現れが、そこにあった。
「いないね」
「うん、いない」
彼らの言った通り、人はいない。せめて前に倒した五人がいればいいのに。人に出会わなすぎて、ある考えが浮かぶ。もしかしたら、この世界に取り残されたのは自分達だけなのかも。オサムに不安という感情が帰ってくる。
「水を汲もう」
BBの言葉で我に帰り、水筒に水を入れ、ひとまず立ち去った。本当に人がいるのか。それだけが気がかりだ。
「オサム」「なに?」
「しばらくの間、旅をしよう。人に出会うまで、歩き続けるんだ。人に会いさえすれば、状況が判明する」
「ここで待つって手は?」
オサムは昨日と言っていることが違う自分を見つけた。だが彼女は不安で思考が定まっていない。どうしたいのか、まだ混乱している。
「待つのは辛いよ」
「そうだね。……待つのは辛い」
こうして、彼らはどこともなく歩み始めた。ただ人に会う為に。人に会ったからといって状況が好転するとは限らない。それは知っていた。二人共。でも、他にどうしろというのか。どうしようもない。なら、動いたほうがいい。
太陽と荒野は同じ色をしていた。鎖の色、手枷の色、しめ縄の色。