7 知らないのは私だけ?
衝撃の秘密部屋を見せられた傷が癒えないまま翌日を迎え、なにもすることのない私はオリヴェル様の部屋をくまなく散策した後は窓辺で外を見たり昼寝をして過ごした。
暇だ、退屈だ。なにもすることがないとこの二日間のオリヴェル様を思い出してのたうち回りたくなる。
そんな憂鬱な日中を過ごしている内に夜の帳が降りて、オリヴェル様が帰ってきた。
「今日はお客様が来るから一緒にお迎えしよう」
「んにゃ?」
オリヴェル様は私を抱っこして応接室に行く。部屋にはまだ誰もいなくて、これから来るらしい。オリヴェル様と会う時はたいていこのお部屋に通されるから目新しくもなんともないんだけど、退屈しのぎで部屋中を散策した。
するとほどなくして、執事に案内されて客人が入ってきた。
「坊ちゃん、お連れしましたよ」
執事と一緒に入ってきたのは、弟のエリアスだ。三日ぶりに見る弟の姿に、心が浄化される気がした。さすがは私の天使。会いたかったわ。
「ロイヴァス卿、姉上のことでお話に来ました」
「エリアス、俺のことはこれからもお義兄様と呼んでくれ」
いいえ、呼ばなくていいわよ。その陰湿ロン毛のいうことなんて無視しなさい。人間に戻ったら婚約破棄してもらうんだから。
「しかし、姉上との婚約がなくなるかもしれませんのに義兄と呼ぶのは図々しいかと」
「いいや、イェレナとの婚約はなにがあっても破棄するつもりはないからな。たとえこの国を敵に回すことになったとしても」
王太子の護衛騎士にあってはならぬ発言だ。さらになにを思ったのか、オリヴェル様はすっと手を伸ばして、エリアスの頬に手を添えた。おい変態、私の天使になにしやがる。
呆気に取られているエリアスの表情には気づいてないようで、「イェレナ……、イェレナ……」と呟き始めたかと思うと、エリアスの頬を撫でまわす。やめろ、私の天使を穢さないでくれ。
「あの、お義兄様?」
優しいエリアスは振り払ったりしないで戸惑っている。躊躇わずに斬りつけてでもいいから逃げて欲しい。いまのオリヴェル様はなにをしでかすかわからないから。
オリヴェル様はもしかしてもしかすると、エリアスを私と勘違いしているのかもしれない。
これまでの言動を思い出すと、弟の貞操の危機を感じてぞっとする。なんとかして助けなければ。
「んなー。なーお。にゃぁーっ!」
逃げてくれ、と気持ちを込めて鳴いたら、オリヴェル様が「はっ!」っと息をのんでエリアスから手を離した。
「すまない、イェレナの横顔と似ていたから、つい」
本当に想像したくないんだけど、「つい」になにを含めたのか見当がついてしまう。
オリヴェル様はエリアスに謝りながら私をがっちり捕まえて、力の限り唇を頭に押しつけてきた。不本意だがこれで弟を守れるのなら大人しくしておいてやる。
不承不承オリヴェル様に捕まっていると、エリアスと目が合った。
「おや、君はレピスト邸にいた猫ではないか」
「知っているのか?」
「ええ、馬車の近くにいたんですけど、家にはウルスラがいるので連れて帰れなかったんですよ。お前、お義兄様に拾ってもらってよかったな」
天使の笑顔が荒んだ心に染みわたる。動物好きのエリアスはふにゃりと笑いながら撫でてくれた。耳の付け根や首の後ろなど、猫の手が届かなさそうなところを撫でてくれるから気持ちがいい。
「名前はもうつけたんですか?」
「イェレナだ」
「え?」
撫でてくれていた手がピタリと止まった。
「君の姉君と同じイェレナだよ」
オリヴェル様はご丁寧にももう一度教えてくれる。
「お義兄様、さすがに重すぎます。変えてください」
「それほどでもない」
「褒めてないです」
なんだこの二人、仲良しだな。小さい頃は会うたびに喧嘩していたのに、今では仲の良い友だちのように話している。
「狂うほど姉上のことが好きなくせに、どうして本人の目の前では不愛想なんですか?」
え、エリアスはこの不可解なオリヴェル様のこと知っていたの?
思わず耳が動いてエリアスの話に集中していたのに、オリヴェル様が溜息を零しながら首筋に鼻先を埋めて邪魔をしてくる。止めろ変態、調子に乗るな。
「治そうと何度も足掻いてみたけど無理だったんだ。イェレナのことを愛しているけど、いざ目の前にイェレナがいると気持ちが膨れ上がってなにも考えられなくなってしまってな。自分の理性を抑えるので精一杯なんだよ」
「だからっていつもあんな無表情でいたら誰でも嫌われていると思ってしまいますよ」
「しかし、好きすぎて無になるこの病は私ではどうしようもない」
知るか。苦しいならさっさと婚約破棄してくれ。それが一番の治療方法になるわよ。
「それなら一度、抑えないで話してみるのはいかがですか?」
「俺はイェレナのこと、めちゃくちゃにしてしまわないだろうか?」
「やってみないとわからないですよ。お義兄様は姉上のことを大切にしているんですから」
エリアス、恐ろしい入れ知恵しないで。君はこの人の本当の狂気を知らないからそんなことが言えちゃうのよ。
「まあ、既成事実ができればそれはそれで……」
ほら言わんこっちゃない。オリヴェル様が怖いことを考え始めた。やめろ。これ以上はなにも考えるな。
「に、にゃー……」
「あ、こら、イェレナ」
恐ろしい会話を終わらせるために人間のプライドを捨てて猫になりきることにした。ゴロンと寝っ転がって背中をくねくねさせたりハイテンションでオリヴェル様に絡んだ記憶は、忘却の彼方に押しやりたい。
どうやら天使のエリアスもオリヴェル様のことは変態として認識しているようです。
次話、またオリヴェル様の闇に触れるイェレナです。