5 知らなかったこと
翌朝、オリヴェル様は朝早くから出かけてしまった。
執事と話していた内容から察すると、どうやら王宮の仕事を休んで私を探しに行くらしい。
意外だった。オリヴェル様は仕事人間で、そもそも彼の仕事は王太子殿下の護衛だから勝手な休みは許されないはず。
それに、昔は何度かオリヴェル様を遠出に誘ったりしたけど、その度に仕事を持ち出して断られていたのに。
やっぱり、オリヴェル様のことがよくわからない。
ひとまずお屋敷中を歩き回って情報を集めようとしたんだけど、オリヴェル様の手によって部屋に閉じ込められてしまう。オリヴェル様曰く、私までいなくなると気が狂いそうになるらしい。
いじけて昼寝していると、洗濯した服を持ったメイドが入ってきた。
「あらあら、坊ちゃんが拾ってきた猫ちゃんはとっても美人さんだこと」
「んなー」
「ふふ、ちょっと掃除させてもらうから長椅子に腰かけていてくださいませ、お嬢様」
「にゃー」
「まあっ、お返事して賢いわね」
気の良いメイドは鼻歌を歌いながらクローゼットを開ける。すると、一瞬にして鼻歌が止んでしまった。
「ああ、なんてこと……」
何事かと思って見てみると、クローゼットの中にドレスが下がっていた。私が昨晩、夜会で着ていたドレスだ。
「……」
「……」
メイドは洗濯物を持ったまま床の上に崩れ落ちてしまう。胸の前に手を組んで、祈りを捧げ始めてしまった。
「女神様、どうかイェレナお嬢様を坊ちゃんに返してあげてくださいまし」
いいえ、私としてはこのまま離れていきたいんですけど。正直言って人が着ていたドレスを保管しているオリヴェル様の意図が分からなくて怖いからもう会いたくないんですけど。「もしかして私のこと好きなのかも?」って考えるのも通り越して狂気すら感じるんですけれど。
「このままでは坊ちゃんの変態度が加速してしまいます」
やっぱり異常なんだ、と自分の認識が間違ってなくてホッとした。
そんな経緯があってオリヴェル様と顔を合わせるのが気まずいんだけど、無情にも夜になれば彼は帰ってくる。
「今日も見つからなかった」
オリヴェル様は帰ってくるなり例のクローゼットを開けた。
嫌な予感がするのに怖いもの見たさで彼の方に顔を向けると、ドレスを抱擁している。
「ああ、イェレナ。君はよく、私の目の色に合わせて水色のドレスを着てくれていたね」
わかっていたなら何か言ってくれたらよかったじゃない。気づいてないと思っていたわ。オリヴェル様からドレスの感想なんて、一度も聞いたことないんだもの。
「私の言葉を求めて見上げてくる姿がとてもかわいくて、いじらしくて、愛おしさのあまりめちゃくちゃにしてしまう気がして、なにも言えなかった。言ったら抑えられない気がするんだ」
……それって、まるで私のことが好きすぎて言葉にできないって、いいたいわけ?
「イェレナ、君には伝えられていないことがたくさんあるんだ。帰って来てくれ」
「にゃー」
うるさい、そう何度も私の名前を呼ばないでよ。
苦情のつもりで鳴いてみると、オリヴェル様は私の存在に気づいたみたいで、やっとドレスから離れてくれた。
「おいで」
「にゃあ」
指図されるのも気に食わないから返事だけしてそっぽを向いていると、オリヴェル様は苦笑しながら抱き上げてきた。
猫の力なんて大人の男の人には全く敵わなくて、気づけば彼の膝の上で向かい合わせになっている。
「お前の目を見ていると落ち着くよ。イェレナと同じ金色で、綺麗だな」
なによいまさら、と毒づきたいけど、頭から背中にかけて優しく撫でてくれると、気持ちよくて思わずしっぽを絡めてしまう。するとなにを思ったのか、オリヴェル様は顔を近づけて、キスしてきた。
「にゃっ」
信じられない。初めてのキスをこんなにも簡単に奪われたなんて。
最低。
変態。
寝台の角で足の小指をぶつけてしまえ。
「イェレナ」
わなわなと震えている私なんてお構いなしで、名前を呼んではまたキスしてくる。逃げようとするとがっちりと腕の中に閉じ込められてしまい、おでこやら鼻の頭やらに立て続けに唇を当ててくる。
なんだこのキス魔は。目を見て落ち着くなら見ときなさいよ。猫相手になにやってるのよ。
恥ずかしさとむずがゆさに耐えられなくて逃げ出すと、オリヴェル様はなんとも情けない声で呼びとめてくる。
「イェレナ、お前までいなくならないでくれ」
そんなこと言われたって知ったこっちゃない。そもそも、誰のせいで私は猫になってしまったと思っているのよ。どうせ知らないだろうけど。
「イェレナ、お願いだ。イェレナ……」
「……」
だけど彼は、仕事を休んで昨日も今日も私を探してくれている。
気に食わないけど、そこまでしてくれている感謝は、しなくちゃいけないわよね。
とりあえず差し出された手にしっぽを当てた。これで満足しなさい、という気持ちだったんだけど、オリヴェル様の解釈は汲み取ってくれなくて、すぐにまた抱きしめて顔を擦りつけてくる。
「やっぱりイェレナが足りない」
「フーッ!」
離れろ変態。耳の匂いを嗅ぐな。ついでに言えば耳の近くで息を吐くな。
「まいったな、このままイェレナを見つけたら、本当にめちゃくちゃにしてしまいそうだ」
ねぇ、あなたは本当にオリヴェル様なの?
私の知っているオリヴェル様が欠片も見られなくて、怖いんですけど。
使用人からも変態認定を受けているオリヴェル様、彼の静かな狂気はまだまだ続きます。