4 状況は理解した
誰かが背中を撫でてくれている。
温かくて懐かしい匂いに包まれているのが心地よくて、気づけばゴロゴロと喉を鳴らしてしまっていた。
クスクスと笑う声が何度も優しく名前を呼ぶから目を開けると、オリヴェル様が顔を覗き込んでいた。どうやら私はオリヴェル様の膝の上にいるらしい。
「お腹が空いているだろう? 料理長に用意させたよ」
足を下ろせば沈み込むほどふわふわの絨毯の上に乗せてもらうと、目の前には美味しそうな魚料理がある。人間の食べ物と遜色ない飾りつけをして、綺麗なお皿の上に載せられている。
「ゆっくりお食べ」
さて、ここで問題がある。この姿での食事はこれが初めてだ。猫のように食べるのは抵抗があるけど、今の私はどこからどう見ても猫。しかたがないと自分に言い聞かせて、意を決して口をつける。食べこぼしてしまわないようにそっと、口の中に入れていく。
「上品に食べるね。まるでイェレナみたいだ」
オリヴェル様がまたもや唐突によくわからないことを言ってきたせいでむせてしまった。
「大丈夫か?」
「にゃ」
「よかった。お前までなにかあったら、俺は死んでしまう」
今日会ったばかりの猫相手にずいぶんと大げさね。
呆れつつ小さな晩餐をいただいていると、ドアをノックする音がした。オリヴェル様が返事をすると、初老とおぼしき執事が現れる。
「オリヴェル様、ルッカリネン嬢のことで報告に上がりました」
「話せ」
「はい、レピスト邸から出て行く姿を見かけた者はおりません。街にも探りを入れましたが、それらしい人物はいませんでした」
「そうか」
私のことを探してくれているようだ。まあ、婚約者の義務で動いてくれているのよね。
「やはり変装して、あのお手紙の通り王都を離れて遠くに行ってしまわれたのではないでしょうか? バルコニーに残っていたのは着替えた後のドレスとその手紙のみですし」
手紙なんて、書いてないけど?
もしかしてヒルダ様がバレないように小細工をしたの?
「それはない」
きっぱりと言い放ったオリヴェル様の言葉に不覚にも安心してしまった。
「あの手紙はどう見ても偽物だ。イェレナの字ではない」
「急いで書いたから字が崩れたのかもしれませんよ?」
「俺はイェレナがいかなる状態で書いたのか文字を見て判別できるが、あの手紙の文字からはイェレナを感じ取れなかったんだ。誰かがなりすましているに違いない」
なにそれ怖いんですけど。あと、執事の顔がひきつってるのに気づきなさいよ。
「きっと何者かがイェレナを攫ったに違いない。いや、きっとそうだ。イェレナが俺から逃げるなんて絶対にありえない」
「わ、わかりました。引き続き捜索します」
呪文のように唱え始めたオリヴェル様を見て執事はそそくさと部屋から出て行ってしまった。
私も一緒に出て行こうとしたけど、オリヴェル様に捕まってしまう。
「さあイェレナ、一緒に寝よう」
嫌だ。床でもいいからあなたとはごめんです。
オリヴェル様の腕からすり抜けようとしてもお腹に腕を回されて、おまけに頭に唇を押しつけられていて身動きがとれなくなってしまった。
敗北を味わいながら寝台に連れて行かれる。
「う……イェレナ……」
布団に入るなり、オリヴェル様はぐすぐすと泣き始めた。もうなにがなんだか、本当にわからなくて困る。頭がいっぱいいっぱいだから知らないふりして眠りたいけど。
「にゃあん」
だけど、オリヴェル様のことは嫌いだけど、なぜか泣いているところを見るとざまあみろとも思えなくて。
行方不明になっている私のことを思って泣いてくれているなら申し訳ないとは思っているから、不本意だけど目尻を舐めて涙を拭いてあげた。
「っイェレナ」
「にゃ?!」
すると急に体の向きを変えられて、気づけば仰向けになっていた。お腹の辺りがもぞりとして見てみれば、オリヴェル様が顔を埋めている。
離れろ変態、どこに顔を擦りつけていやがる。
「イェレナのお腹、柔らかい」
「フーッ!」
その状態で喋るな。顔でも引っ掻いて逃げてやりたいけど、どうしても良心が邪魔をする。躊躇っている私なんてお構いなしにオリヴェル様は頭と背中の後ろに手を回してガッチリ顔を固定した。
鼻を押し付けて息を大きく吸い込んだり、顔を動かして次々とキスしてくる。
人間の姿だとそこは、みたいなことは考えないようにした。私は猫だ。猫は変態に吸われる悲しい運命の生き物。
猫になりたいと思ったことはあったけど、こんな変態に飼われて逃げられないなら人間の方がまだマシだと思う。
やがてオリヴェル様は落ち着いたみたいで、溜息をついて動かなくなった。
「イェレナ、愛してる。こんなことになるなら、勇気を持ってもっと話しかけるべきだった」
どうして?
私のことなんて、興味がないか、嫌いなんだと思っていたのに、いまのオリヴェル様は口を開けば私の名前ばかり呼んでいて。
「イェレナ、会いたいよ。ただでさえ会えない日が辛かったのに、これから俺はどうやって生きていけばいいんだ?」
まるで私のことを深く愛しているかのように後悔の言葉を口にしている。
オリヴェル様のことがちっともわからない。ずっと冷たい態度をとってきたのは、なにか理由があるっていうの?
幸か不幸か、猫になってしまった私には時間がありあまっているから、真相を知るためにもオリヴェル様のことを観察することにした。
頑張れイェレナ、まだまだ序盤だ。
オリヴェル様のせいで年齢制限をR18にすべきか真剣に悩みました。