32 想いを聞いて
いったいどれほどの間そうしていたのかわからないが、私の腕力ではオリヴェル様から逃げ出せない。かくなる上は心理戦である。
「放してくれないと、一生オリヴェル様の目を見てあげませんわ」
効果は予想以上だった。オリヴェル様の腕の力が一瞬で緩む。その隙に離れると、絶望して打ちひしがれた表情で見つめられる。そんな顔をされると良心が痛む。つくづく、オリヴェル様はずるい人だ。どんなことがあっても、どんなことをされても、結局はオリヴェル様に惹かれてしまう。猫になってしまったこの数日間で、痛いほど思い知らされた。
それに、行方不明になった私を必死になって探していたり、一緒に死のうとしていたオリヴェル様の姿を見てしまった今となっては尚更、オリヴェル様から離れられなくなっている。彼の気持ちにずっと触れていたいのだ。
私に嫌われてしまったんじゃないかと、目の前で落ち込んでいるオリヴェル様に、その想いを伝えたくなった。
オリヴェル様の頬を両手で触れると、戸惑うような声で私の名前を呼んでくれる。
初めて自分から彼の頬に触れた。逞しくも武骨さのない、美しい彫刻のようなオリヴェル様の顔の輪郭をなぞると、たまらなく胸が軋んだ。オリヴェル様がそうしてくれたように、やんわりと撫でてみる。
オリヴェル様は喜びも戸惑いも混ざったような反応を見せていたけど、すぐに私の手の上に掌を重ねてくれた。
「意地悪を言ってごめんなさい。だって、ああでも言わないと放してくれそうになかったんですもの」
あのままだときっとオリヴェル様の調子に乗せられてしまって私の気持ちは伝えられなかっただろう。今ここで言いたい。もう何かあった時に後悔をしたくないから。
「私はオリヴェル様のことを愛していますわ。だからヒルダ様と話しているのを見て嫉妬していましたの。恥ずかしいことに、猫の姿にされてようやく気づきましたの。これまでは恋に恋するばかりで、自分の気持ちに気づいていませんでしたわ。子どものおままごとみたいな気持ちで言っているんじゃないの、わかってくださるかしら?」
「ああ、」
オリヴェル様は静かに目を閉じた。
「もう一度言ってくれるか?」
「オリヴェル様、愛していますわ。一生、私のそばにいてくださいね?」
「一生、いや、来世でもイェレナのそばにいるに決まっている」
それから甘えるように私の掌に頬ずりをする。オリヴェル様の仕草一つ一つが愛おしくて、じっと見守った。
「俺の方がイェレナを愛している」
ふと、オリヴェル様はそんなことを漏らした。
いきなり何の張り合いをしようとしているのかはわからないが、嬉しい言葉だ。
「ええ、存じていますわ。私は幸せ者ですね」
猫の姿になって、これまで知らなかったオリヴェル様の気持ちを知ることができた。知りたくなかったことも色々と露見してしまったけど。まさか私の姿絵があんなつかわれ方をしていたなんて知らなかったけど。
残念に思うところを差し引いてもオリヴェル様のことが好きだ。婚約者とか妻の義務とかじゃなくて、私の意思で、オリヴェル様の幸せを願い、笑顔にさせたいと思う。
「けれど、負けっぱなしになるつもりはありませんわ。オリヴェル様が降参するくらいの愛情を贈るつもりですのよ」
うまく言い負かせたかしら?
そんなことを考えていると、オリヴェル様にまた抱きしめられた。
「今まで傷つけ続けてすまなかった」
すっかり弱ってしまった声が耳に届く。顔は見れないけど、オリヴェル様が後悔を滲ませているのが、声からでも想像できた。
「許しますわ。心の底では愛してくれているとわかりましたもの」
「これからはイェレナへの気持ちは隠すことなく伝えるよ」
「加減はしてくださいね」
「それは約束できないな」
体を少し離して、悪戯っぽい笑みを向けてくるオリヴェル様。初めて見せられた表情に、頬が緩んでしまう。紆余曲折があったけど、私たちは以前よりも心が近づいた。そう実感したから。
するとオリヴェル様は立ち上がった。
「イェレナ、目を閉じてくれ。連れていきたい部屋があるんだ」
言われた通りに目を閉じる。視界はすっかり真っ暗になってしまって方向感覚がわからなくなるけれど、オリヴェル様の手を握っているとどこまでも、世界の果てでも無事に連れて行ってくれるような気がした。
次話で完結です。
最後までおつきあいいただけると嬉しいです(*´˘`*)♡




