30 もう一度、あなたのもとに
目を閉じても瞼の裏を照らすほどの眩い光は、しばらくすると消えていった。
私はどうなってしまったんだろう?
痛みとかは全くないけれど、目の奥に光の名残が残っている。それと、肌寒さと温かさを同時に感じている。確かめるのが怖くて瞼を開けるのをためらっていると、ぐらりと体勢を崩してしまう。そのまま厚みのある温かなものの上に倒れ込んでしまった。
「わっ」
驚いて上げた声は、幸いにも人間の声に戻っている。目を開けてみると、傷口が痛々しいオリヴェル様の喉元が見えた。どうやらオリヴェル様に抱きかかえられているようだ。それに、辺りを見回してみると、先ほどいた部屋と全く同じ作りだ。ここが死後の世界とは考え難い。なにが起こっているのかわからなくて、ただ瞬きしかできなかった。が、背中に触れる大きな掌に違和感を感じてオリヴェル様から離れた。オリヴェル様の手が、直に肌に触れてくるのが伝わってきたから。今までは猫の毛で妨げられていたはずなのに。
「ど、どういうことなの?」
恐るおそる手を持ち上げて見てみると、そこにあるのはふわふわの前足ではなくて、人間の手だ。長い指がちゃんと揃っている。右手と左手、合わせて十本の指が、欠けることなく並んでいる。
人間の姿に戻ったんだ。それも、雪になって消えていた手を失うことなく。
「やった! ……いや、よくない!」
喜んでいたのも束の間、なにも纏わず生まれた時の姿になっているのを思い出した。それも、よりによって、オリヴェル様の前で。オリヴェル様と二人っきりの状態で。
ぐぎぎと視線を持ち上げてみると、オリヴェル様はじっと私を見つめていて。
「美しい……女神が、舞い降りた」
なんて譫言のように呟いている。そんなことを言う暇があったら状況を察して欲しい。いたたまれなくなって敷物を持ち上げて体を隠した。
「寝惚けてないで後ろを向いて!」
そう言って睨みつけてみても、後ろを向くどころか近づいてきた。もっと文句を言ってやりたいのに、空色の瞳に見つめられると顔が熱くなって、思うように話せない。
「イェレナ、そんな姿では風邪をひいてしまうぞ。こっちにおいで」
「気遣うフリしてじっくり見るな!」
噛みつくように言い返しているのにオリヴェル様は怯まずそばまで来ると上着をかけてくれた。そのまま抱きしめて、髪を掬って、ゆっくりと指を滑らせる。
「ああ、太陽のように輝くこの髪はイェレナだ」
見上げれば目が合って、柔らかに微笑んだ。
「星のような金色の瞳も、イェレナだ」
そのまま体を引き寄せられて、オリヴェル様に倒れ込むような体勢になってしまった。温かい。オリヴェル様の熱がじんわりと伝わってきて、なぜだかわからないけど安心した。だけど、さすがにこの姿のままではいたくない。
「早くメイドを呼んでくださらない?」
「……」
先ほどまではあんなに喋っていたというのに、急に以前のように黙り込んでしまう。その手に乗ってたまるものですか。
「……オリヴェル様、私はこのような姿ですので、部屋の外で待っていてくださいませ」
「嫌だ」
「はぁ?」
「イェレナがまた消えてしまいそうで怖いんだ」
こっちは裸を見られたくないというのに嫌だと言ってくるとは思いもよらなかった。困惑するよりも呆れてしまう。けれど、震える声を聞かされると、つきんと胸が痛む。オリヴェル様がどんなに心配してくれていたのかは、さきほど教えてくれて知っているから。
「それならどうして以前は私を避けるようにしていたのよ? もっと、オリヴェル様と一緒にいたかったし、話して欲しかったわ」
「すまない、我慢していたんだ」
「微笑みかけて欲しかった」
「ああ、俺もそうできたらどんなにいいかと、ずっと思っていた」
「目を見て欲しかった」
「すまない……」
すっかりしょげ切った顔を見せてくるなんて卑怯だ。何も言えなくなってしまうもの。
「俺ももっとイェレナに会いたかったし、一緒に話したかった。抱きしめたり、手を繋ぎたいと思っていたけど、心の内にある醜い欲望でイェレナを傷つけるのが怖かった」
「醜い欲望?」
「イェレナを貪り喰らい尽くしてしまいたいと、」
「確かに我慢していただきたい欲望ですわね」
一見すると堅物そうなオリヴェル様だけど、年相応の欲はあるらしい。それが自分に向けられていると聞かされるのは、むずがゆくなる。が、今はそれどころじゃない。すっかりオリヴェル様に流されていたのに気づいて、咳払いして話題を変える。
「早くメイドを呼ばないと、一生口をきいてやらないわ」
「くっ、」
トドメにそっぽを向いて見ると、オリヴェル様は折れてくれたようで、渋々とメイドを呼びに行ってくれた。
かくして私は無事に服を着ることができたんだけど、結婚後に私に着てもらおうとしてオリヴェル様が密かに用意していたドレスを着せてもらうことになったから複雑な気持ちだ。
ぴったりと体に合うドレスを着せてもらっていると、どうしてオリヴェル様が私の体にちょうど合う大きさのドレスを仕立てられたのか、疑問に思うけど知りたくはなかった。
オリヴェル様はイェレナのことなら何でも知ってますので。




