3 ちょっとよくわかりません
魔法を解くにはまず、誰かに気づいてもらわないといけない。
幸いにも弟のエリアスも来ていたから、彼に気づいてもらうしかないと思って馬車の下に隠れて待ち伏せていたけど、エリアスは私だとは気づいてくれず、「よしよし、連れて帰りたいけどうちには嫉妬深い子がいるから無理なんだ」と言って撫でるだけ撫でて馬車の中に入ってしまった。
確かに、うちにいる雌猫のウルスラはエリアスにぞっこんで他の猫が寄ってくるとすごい剣幕で怒るけど、いまは怖がっている場合じゃない。
必死になって呼んでみたけど、エリアスは眉尻を下げて「ごめんね」とだけ言い残して去ってしまった。
友だちも知り合いも片っ端から声をかけてみたけど誰も気づいてくれなくて、そして猫を拾おうとはしてくれなくて、しかたがないから今夜の宿を探していたところ、オリヴェル様に見つけられて、いまに至る。
「起きたか?」
目が覚めると私はオリヴェル様のお屋敷にいた。小さい頃は何度か入ったことがある彼の部屋は、今も変わらず整然としている。
「じゃあ一緒に湯あみしような」
「にゃにゃにゃっ!!!!」
「はは、嬉しいか?」
相変わらずいい加減な解釈をしてオリヴェル様は微笑む。
誰があなたと一緒に風呂に入るものですか。
さっと逃げると、体が浮かぶ。前足も後ろ足も、どれだけ動かしても宙を掻くばかりで。
それなのにオリヴェル様がちょっと指先を動かすだけで私は彼の腕の中に吸い込まれてしまった。
「悪い子だな」
なす術もなく観念すると、そのまま浴室に連れていかれてしまう。
かくして私は、結婚前に婚約者と一緒にお風呂に入ることになってしまった。
お父様、お母様、運命に翻弄されたとはいえ、お嫁に行けなくなってしまいました。ごめんなさい。
せめてオリヴェル様の裸体は見ないようにしようと、ささやかな抵抗だがぎゅっと目を閉じる。
「怖いのか?」
そんな私を見て怖がっていると勘違いしたオリヴェル様が、大きな掌で頭を撫でてくれた。怖くなんてないからさっさと済ませて欲しい。
「優しくするから全て俺に任せてくれ」
きっと私の心が汚れているからだろう。いやらしい発言に聞こえてしまって、邪念を振り払うためにさらに瞼に力を込める。
つべこべ言ってないで手を動かして欲しい、と気持ちを込めてオリヴェル様の掌を頭で押し返すと、優しく笑う声が降ってくる。
人間だった時は一度もこんな声を聞いたことが無い。オリヴェル様はいつも、感情のこもってない声で話しかけていたのに。
昔は夫になるこの人に好きになってもらいたくて頑張っていた時期があったけど、いまはもう諦めている。彼から「好き」だの「愛してる」だの言ってもらえることはもちろんないだろうし、優しい声を聞かせてくれるなんてこと、ないと思っているし。
それなのに、猫の姿になっただけでこんなにも優しく話しかけられるだなんて、よほど私は嫌われていたらしい。
「大人しいな。イェレナとは大違いだ」
「にゃ」
「お前じゃなくて、婚約者の方のイェレナだ」
失礼ね、って言っただけなのに、オリヴェル様は返事をしてもらえたと思ったようだ。丁寧に説明までしてくれる。
「じっとしてられないしうるさい人なんだ」
悪口を交えながらちょっとずつお湯をかけてくれる。あったかいお湯のおかげで凍っていた体が溶けそうだ。
それから石鹸で洗ってくれて、またお湯をかけて流す。
顔周りを洗う時は目の中に水が入らないように特に丁寧に洗ってくれて、一向に目を開けない私を見て笑いながら名前を呼んでくれる。
なんだ、この人って、本当に私以外なら優しく話してくれるのね。
つくづくやるせない気持ちになる。
「おまえ、真っ白だったんだな」
雪道を歩いてドロドロに汚れていたからパッと見だとわからなかったみたいだ。オリヴェル様がすっかり驚いているのが声だけでもわかる。
綺麗になったことだし浴室から出して欲しいものなんだけど、そう思い通りにいかないもので、またもや抱き上げられると、そのまま湯船の中に入れられた。
オリヴェル様、言っておきますけど、本物の猫にこんなことしたらタダじゃすまないんですからね。
「しっかりつかまっていてくれ」
私が溺れないようにしっかり抱きしめてくるものだから、肌の感触とか匂いとか体温とかを感じ取ってしまい、本当に気まずい。
しかも何を思ったのか、鼻をこすりつけてくんくんと匂いを嗅いでくる。
「微かだけど、イェレナと同じ匂いがする」
やめろ変態。溺れてもいいから放してくれ。
前足を踏ん張らせてオリヴェル様の顔を押し返そうとしても、悲しいことにびくともしない。
さらにとんでもない発言を放ってきたものだから、抵抗する力が抜けてしまった。
「イェレナも真っ白な肌なんだ。触れたいと思って何度も手を伸ばしかけたけど、自分を抑えられなくなるのが怖くて我慢していてな」
この人、何か言っているぞ。
意味を理解しようとするも、頭が考えることを放棄してしまっている。
オリヴェル様が、私に、触れたいと思っていた?
なんで?
どうして?
考えがまとまらないあまり、もしかしたらこれは夢かもしれないとさえ思えてきた。
きっと、長い悪夢なんだ。
その後の事は、覚えていない。
これからもギリギリを攻めるオリヴェル様を書いてゆきます。