29 やっと伝えられた気持ち
私はどうやら、オリヴェル様が現れて安心したらしい。抱っこされたまま移動しているうちに眠ってしまっていて、目が覚めると建物の中にいた。
オリヴェル様の話によると、私と結婚した後に使う予定だった別邸らしい。趣のある室内だけど、家具も敷物も全て新しい。
淡く優しい、森の木々を彷彿とさせる緑色の壁に白い柱が映えている。壁の色は、私が好きな色にしたくて塗りなおしてくれたんだとか。
「ずっと昔、イェレナが緑色の壁の家に住みたいと言っていたから叶えたかったんだ」
それはオリヴェル様と婚約して間もない頃の話だった。庭園で一緒にお茶を飲んでいる時に何気なく話したことだったのに、ちゃんと覚えてくれていた。
あの時は全く興味が無さそうな顔をして聞いていると思っていたのに。今更だけど、オリヴェル様の不器用さに私が早く気づいていれば良かった。
もうどうしようもないことだけど、過ぎてしまった日々を思い出して後悔をしていると、泣きそうな顔をしたオリヴェル様が覗き込んでくる。
「イェレナ、痛くはないか? 辛かったら俺の手を噛んででもいいから苦しみを分けてくれ」
「なーお」
そんなことできないわ。もうオリヴェル様傷つけたくないもの。できることなら私が雪になって消えた後も、自ら命を絶って欲しくもない。そう言えたら、どんなにいいのだろうか。その気持ちを込めてオリヴェル様の掌に頭を押しつけてみるけど、伝わってくれなくて。
オリヴェル様は私の姿を空色の瞳に映したまま、背中を撫で続けてくれる。これから雪になる私が怖い思いをしないように、安心させようとして優しく触れてくれる。
生まれ変わる時はどうかまた、オリヴェル様に巡り会わせてください。彼には言いたい言葉がたくさんあるんです。文句を言いたいし、愛しているとも言いたい。そしてまた、オリヴェル様の婚約者にさせてください。
心の中で女神様に、そうお願いをした。
それからオリヴェル様は、これまでにないほどたくさん話してくれた。人間の姿だったときは言うまでもなく、猫の姿になってからも、こんなに話していたことはないくらい、話しかけてくれた。
私を心配していたこと、私に婚約破棄を言われた時にどれほど困惑したかということ、そして、私のことが何にも代えられないほど大切であるということ。
聞かせてくれる言葉に耳を傾けているとくすぐったいけどもっと聞かせて欲しいと欲が出てしまう。
私は、いつの間にか本当にオリヴェル様のことを好きになってしまっていたんだと、思い知らされた。
「イェレナ、こんなに近くにいてくれたのに気づけなくてすまない」
とても悔しそうな顔をしているオリヴェル様を見ると、じんわりと温かい気持ちが心の中に広がっていく。こんなにも大切に想ってくれているのが嬉しくて、ようやく触れられた彼の心が愛おしくて。
「愛してる」
初めて私の目を見て伝えてくれたこの言葉は、この人生で得た何よりも特別で大切な贈り物だ。
私もオリヴェル様に気持ちを伝えたかった。でも話してみても出てくるのは猫の鳴き声。しかたがないから手を使って文字を書いてみようかと思ったけど、片方の手が雪になってしまって動かせない。鼻先でオリヴェル様の掌に文字を書いてみても、オリヴェル様は「くすぐったい」と笑うだけで気づいてくれない。
しかたがないから、最後の手段をとることにした。
伸びあがって、オリヴェル様の唇にキスをした。薄く形の整った唇は柔らかくて、彼の体温を感じると気恥ずかしくなる。それでも、もう後悔を残したくなくて、心を込めて触れた。私もオリヴェル様のことを愛していますと、言葉にできない気持ちを伝えたくて。
するとオリヴェル様は息もしないで固まってしまったけど、すぐに手を頭の後ろにまわして撫でてくれる。そうして受け止めてくれるのが嬉しい。オリヴェル様の手が触れる度に、とくんと心臓が脈を打つ。その度に、心の中にとろりと温かく甘い気持ちが広がるような感覚がして、凍りついた体が溶けていくような気がした。
「イェレナ?」
不意に呼びかけてきたオリヴェル様の声は動揺していて、目を開けると私の体は光に包まれている。
ついに雪になってしまうのかもしれない。
悲しい気持ちを頭の隅に追いやって、もう一度オリヴェル様にキスをした。
この人生の最期の記憶は、オリヴェル様のことで焼きつけたかったから。




