23 影は足音を忍ばせて
人の声や布ずれの音がして目を覚ました。オリヴェル様が起きて身支度をしているようだ。執事の手を借りて着替えていて、黒地に金色の刺繍が施された騎士服の上着を羽織ると金色の釦が陽の光りを受けてきらりと光る。
「坊ちゃん、これを」
執事は天鵞絨張りの板の上に載せている物をオリヴェル様に差し出した。金色の鎖の先に赤い魔法石がついており、特別な魔法に使用する魔法具のように見える。オリヴェル様はその赤い魔法石を見ると表情を曇らせた。
「言い伝えを信じて縋る思いで手に入れたが、たいして役には立たなさそうだ。今だって、イェレナはいないのに光っている」
「もしかしたら近くにいらっしゃるのやもしれませんよ」
「気休めはいい」
いつになく乱暴な所作で手にすると、その魔法具を胸ポケットの中に入れた。その様子を見ているのに気づいたのか、オリヴェル様の空色の瞳が私を捕らえた。
「イェレナ、暖炉の前で体を温めておくんだぞ」
労わるように声をかけるとそのまま部屋を出てしまった。
オリヴェル様の手、大丈夫かな。
手から滲む血を思い出しては胸がツキンと痛む。オリヴェル様は私を心配させないように平気そうな顔をしていたけど、きっととても痛かったはず。手当てをした後も包帯から血が滲んでいたんですもの。
今晩またオリヴェル様と顔を合わせる時、どうしたらいいんだろう?
猫らしく何事もなかったかのように振舞えるようには思えない。きっとあの怪我を見たら動揺してしまうに違いないし、なにより、オリヴェル様の口からリンネア様のことを聞かされる日が来るのが怖い。
「あらあら、猫ちゃんが震えているわ。もっとブランケットを持ってくるから待っていてね」
暖炉の前で震えているのを見たメイドがそっと声をかけてくれた。パタンと音を立てて扉が閉まってから間髪を入れず、また扉が開く。忘れ物でもしたのかもしれない、と呑気に構えていたら、急に目の前が真っ暗になった。
藻掻くと天と地がひっくり返るような感覚に何度も襲われてしまい、立っていられなくなった。目が回って伸びきっていると、男の人の声が聞こえてくる。
「おいおい、もうメイドが戻ってくるぞ」
「ちっ、早いな。こうなったら窓から出よう」
何がどうなっているのかわからなかった。真っ暗闇で何も見えない中、ただただ衝撃に耐えるのがやっとで、外の様子を探る余裕がない。
雪道を歩く足音や馬車に乗り込む音が聞こえてくるものの、自分がどこにいるのか、どこに連れていかれているのかはてんで予想できなくて恐ろしくなる。これって、誘拐よね?
もしかして、ヒルダ様が言っていた連中なのかしら?
オリヴェル様の命を狙う奴らなら、絶対に会わせてはいけないわ。
でも、どうなんだろう?
オリヴェル様は誘拐された私を助けに来るかわからない。だって、リンネア様を迎えるのに前の婚約者の名前をつけた猫がいたら気まずいだろうし。それに、昨晩のように引っ掻いてくる猫なんて、もうそばに置きたくないはず。
ぱりん、とまた、体の内側で凍りつく音がした。冷たい氷の根が張り巡らされるように体中が冷えていく。
やがて馬車が停まってまた揺さぶられていると、ドスンとひときわ大きな衝撃を受けた。すると頭の上の方がパッと明るくなって、見上げれば廃れたお屋敷らしきところにいる。ロイヴァス家ほど広くはなく、こぢんまりとしているからあまり栄えている家ではなさそうだ。今も人が住んでいるのかも謎で、もしかしたら犯人たちが勝手に忍び込んでいるのかもしれない。
辺りを観察していると突然、小太りの男が顔を覗いて来た。
「怖い思いをさせてごめんね、猫ちゃん」
気弱そうな声で謝ってくる小太りの男の後ろには背が高く筋肉質で、いかにも強面な男が立っている。強面の方はさも興味が無さそうに一瞥すると、手にしていた酒瓶を傾けて中味を飲み干す。部屋中に酒の匂いが広がって、鼻を塞ぎたくなる。
「これか? 鋼鉄の騎士と恐れられるロイヴァスが可愛がってる猫とやらは」
「うん、間違いないよ。雪のように真っ白で綺麗な猫だから一度見たら忘れないさ」
小太りの男はどうやら猫好きらしい。にこにことして見つめてくるけど急に触ったりはしてこない。怯えないように配慮してくれているんだと思う。
「おいおい、情を移すなよ。そいつにはロイヴァスを殺すために働いてもらうんだからな」
「ええ?! 猫ちゃんに酷いことするのはやめてよ!」
小太りの男が私を庇うように前に立つ。彼の影から顔を覗かせると、強面の男が口元を歪めて不気味に笑っている。
「失敗したら俺たちが殺されるかもしれねぇのに手段を選んでいられるか」
雪になる前に殺されてしまうかもしれない。最悪な事態が脳裏をよぎって頭の中が真っ白になった。
イェレナはきっと厄年ですね。




