22 現実は雪のように冷たく、氷のように鋭く
どうしよう。
ヒルダ様は狙われないように気をつけてと言ったけど、お屋敷の外に出てみないと何も進展しないような気がするし、出るしかないわよね?
柵の周りを観察して逃げ道を探してみる。ツタが絡まり趣深い柵はロイヴァス家の長い歴史を知らしめてくるだけで私を逃がす気はないようだ。行けども行けども、少しの隙間も見つからない。そうしているうちに、お屋敷の方から大きな声が聞こえてきた。
「いたぞ!」
「誰か捕まえろ!」
「よかったわ。これで坊ちゃんの命が守られる!」
続々とわらわらと、使用人たちがお屋敷の中から出てくる。あっという間に何十人もの使用人たちに取り囲まれると、気づけばオリヴェル様の部屋に戻っていた。魔法で転移したんじゃないかと思うくらい、一瞬の出来事だった。ロイヴァス家の使用人たちの統率力を見せつけられた気がする。
そんなわけで絨毯の上で呆然としていると、メイドが二人入ってきて私を浴室に連れて行き、湯あみさせてくれた。
「いいこと? これからは脱走なんてしちゃダメよ?」
メイドの一人はお湯を手で掬って優しくかけてくれながらお説教をしてくる。返事をすると「あらまあ、返事だけはいいんだから」と言って幼子にするように頭を撫でてくれた。
「あなたまでいなくなったら坊ちゃんが自ら命を絶ってしまいかねないんですからね」
「んにゃあ」
さすがに猫一匹でそんなことにはならないと思うけど。そんな抗議を込めてみる。
「残酷ね。あんなにもイェレナお嬢様を想っているのに、見つからなかったらもう次の方と婚約させられるんだもの」
「え? どういうこと?」
もう一人のメイドが手に持っていたタオルをぐしゃりと握りしめながら聞き返して、私の気持ちを代弁してくれた。オリヴェル様にもう次の婚約者が決まっているって、どういうこと?
「今朝がた旦那様と話しているのを聞いてしまったのよ。旦那様はひと月も待つつもりはないって。次の空の日までに見つからなかったら婚約を解消してアイロラ侯爵家のリンネアお嬢様を迎えるんですって。なんでも、イェレナお嬢様が失踪した次の日に申し出てきたそうよ」
「婚約者の行方を捜している時に名乗り出てくるなんて図々しすぎない? それなのに坊ちゃんは承諾したの?」
「ええ、ちっとも反対する素振りがなかったわ。酷な話だけど、ロイヴァス家の将来がありますものね」
なんだ。私のこと愛してるとか閉じ込めておくだとかなんとか言っていたけど、けっきょくオリヴェル様にとって私はしょせん替えのきく婚約者であることには変わりなかったんだ。見つからなかったら、別の人を愛するのね。
ぱり、と体の内側で何かが凍りつく音がした。
冷たい血が全身を巡っているかのように肌寒さを感じる。
「残念だわ。坊ちゃんは、イェレナお嬢様が死んだら一生独身を貫き通して一途にイェレナお嬢様を想い続けるお方だと思っていたのに」
「こらっ! 縁起でもないこと言わないの!」
メイドたちの話声が頭の中に入ってこない。オリヴェル様への恨み言ばかりが、心と頭の中を支配していて、ぐるぐると何度も行ったり来たりする。
すると、洗ってくれていたメイドが眉尻を下げて顔を覗き込んできた。
「あら、猫ちゃんの体が冷えているわ」
何度もお湯をかけてくれても、タオルでくるんでくれても私の体温は戻らなくて、オリヴェル様が帰って来るまでずっと暖炉の前でメイドに体を撫でてもらっていた。それだけしてもらったのにも関わらず、まるで体のつくりが変わってしまったかのように、私の体は冷えきったままだった。
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オリヴェル様はメイドから、私の体調がよくないことを聞いたようで、帰ってくるなりすぐに顔を見せに来た。
「イェレナ、脱走したんだってな? 悪い子だ。風邪は脱走した罰だろう。治るまでは暖炉の前で大人しくしておけ」
「にゃ」
風邪ではないと思うわ。私も最初は風邪のひき始めかと思っていたけど、今はそんな生易しいものじゃなくて、家の中にいるのに氷の洞窟の中にいるくらい寒さを感じる。きっと、殿下がかけた魔法のせいだ。
早く何とかしないと、私はこのまま、雪になってしまう。
だって、オリヴェル様は私のこと、本当は愛していないんだもの。私を心配するようなことを言いながらも、リンネア様との婚約のことを考えているんだから。
オリヴェル様は私を抱きしめて何度も背中を撫でてくれるけど、その手に触れられる度に沸々と怒りが込み上げてくる。
触らないで。
もう私を探さないで。
心配しているふりも、愛しているふりも、して欲しくない。
頭の中に充満していた怒りが爆発した。無我夢中で暴れて、オリヴェル様の腕から逃げ出す。
「痛っ」
オリヴェル様の声にハッとして見上げると、オリヴェル様は右手を反対側の手でおさえている。右手には、血が滲んでいた。
手の甲に広がっていく赤い色を見ると身動きできなくなった。オリヴェル様を傷つけてしまった。私が引っ掻いちゃったんだ。その後悔が、鉛となって体を縛りつける。
「大丈夫だ。こんな傷、剣で切ったのに比べたら大したことはない」
いっそのこと声を荒げて怒ってくれたらいいのに。傷を負わされたというのにオリヴェル様は私を安心させるように優しい声をかけてくれる。声が耳の中に入ってくると胸がズキズキと痛くなって、苦しい。
苦しい。
嫌い。
悲しい。
悲しい。
悲しい。
気持ちがぐちゃぐちゃで、頭の中がまとまらない。気づけばオリヴェル様はまた私を抱き上げようとしていて、伸ばされた手に広がる血が目に入ると、いたたまれなくて、逃げてしまった。
「イェレナ、怒っていないから出ておいで」
椅子の下に隠れるとオリヴェル様は身をかがめて声をかけてくれる。その優しさにじわじわと首を絞められているようで息苦しい。じりじりと後ずさって距離をとると、オリヴェル様は諦めてそっとしておいてくれた。
オリヴェル様から離れたい。このまま一緒にいたらさらに傷つけてしまいそうだし、苦しいし、なにより、目の前で雪になるなんて、嫌だ。
ここから出て行きたい。
皮肉にも、翌日、まさか自分の意思とは関係なしにここを離れることになるだなんて、思いもよらなかった。
マシマロはじめました!
からんであげてください!
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