2 ひとはこれを「巻き添え」と言う
全ての始まりは、あの夜会だった。
美しい調べに乗せて参加者たちが踊る中、私とオリヴェル様はバルコニーにいた。
彼に言いたいことがあったから、「外の空気に当たりたい」と言って連れ出したのだ。
オリヴェル様はバルコニーまでエスコートしてくれたけど、いまから言うことを思うとなんだかいたたまれなくて、着いてすぐにエスコートしてくれていた手から離れた。
「オリヴェル様、婚約を破棄してくださいませ」
「……」
すぐに切り出すと、オリヴェル様は私に目も合わせず、欄干にもたれかかって遠くを眺めた。
この人はいつもこうだ。私のことなんてちっとも見ようとしないし、関心もない。
彼にとって私は、親同士が決めた婚約者でしかないのだ。それ以上でもそれ以下でもない。いや、以下はあるかもしれないけど。
オリヴェル様は幼い頃から親同士が決めた婚約者で侯爵家の令息。
はっきり言って彼とは上手くいっていなくて、会うのは億劫だし、二人でお茶をしたり夜会に出る度に、早く帰りたいと思う。
「君の望みなのか?」
「ええ、ずっと不安だったんです。あなたと私は馬が合いませんし、このままじゃ結婚したってうまくいかないわ。結婚したら一生そばにいる相手ですのに」
目を合わせてくれないし、にこりとも笑ってくれない。基本的に沈黙を決め込んでいるし、たまに口を開いたかと思うと小言ばかり。
そんな人と一生を共にするなんて無理。心が持たない。
だけど侯爵家との繋がりを持ちたいお父様は彼との縁談を取り消してくれないから、直談判するしかなかった。
オリヴェル様だって、同じ規模の男爵家の令嬢がいたら、話したくもない私なんかよりそっちの令嬢と結婚したいに決まっている。
返事を待っていると、オリヴェル様はくるりと踵を返した。
「飲み物をとってくるからそこにいてくれ」
「え?」
すぐに答えてくれると思っていただけに、呆気に取られてしまう。
力が抜けて欄干に寄りかかっていると足音がして、もうオリヴェル様が戻ってきたのかもしれないと思って振り返ると、ヒルダ様が立っていた。
彼女は学生時代からなにかとよくオリヴェル様のそばにいた。オリヴェル様も彼女とは愉しそうに話していて、私には絶対に見せないような笑顔で話しかけているのを何度も見せつけられていた。
婚約者の私がいるというのに、ヒルダ様はよく「オリヴェル様の妻になるのは私ですわ」なんて言って、折に触れては婚約破棄するように言いに来るから苦手だ。
「あなたって本当に卑怯よね。そう言ってオリヴェル様の気を引きたいんでしょう?!」
「むしろ逆ですわ。オリヴェル様なんてもうまっぴらごめんよ」
いつものやり取りに辟易するけど、この応酬ももうなくなると思うと気が楽になった。
「良かったですわね。私とはもう婚約破棄するでしょうし、これで晴れてヒルダ様はオリヴェル様の妻になれますわね」
「なんですって?」
ヒルダ様は私たちの婚約破棄を聞いて喜ぶと思ったのに、それどころか、顔を真っ赤にして震え始めた。
「あなたって本当に、気に入らないわ。私はさっき、オリヴェル様にフラれたところよ!」
ヒルダ様が私の方に指を向けると、ボワンと音がして、白色や薄紅色や水色に変化する煙に包まれた。
まずい、魔法だ。
逃げなきゃと思って足を動かそうとすると、体に違和感がした。さっきまでコルセットに締めつけられていたのに、その感覚が一切ない。髪も結い上げていて頭皮を引っ張る感じがしていたのにいまはちっとも痛くなくて。
「一生その姿で後悔しなさい!」
ヒルダ様はそう言い捨てて、会場の中に戻ってしまった。
「にゃっ、にゃにゃにゃ!」
呼び止めようとすると、自分の口から猫の鳴き声が聞こえてきた。
なにが起こったのかわからなくてうっすらと瞼を開けると、目線が低くなっている。それに私の周りには脱ぎ捨てられたドレスが散らばっていて、ドレスも靴も、さっきまで私が身に着けていたものだ。
ぞっとして、現実逃避したくなる気持ちを抑えながらバルコニーの窓ガラスを見ると、そこに映っていたのは一匹の猫だった。
「にゃ……」
衝撃のあまり「うそ……」と零した言葉もすべて、猫の鳴き声に変換されてしまう。
「こらっ、勝手に入ってくるなんて悪い子だな」
ヒルダ様の魔法のせいだと理解したその時、お屋敷の使用人らしき男につまみ出されてしまった。
フラれた腹いせを喰らうなんて本当についてない。なにもかもオリヴェル様のせいだ。