妖精と研究所
~~~~~SIDEアンネ
というわけで、私とリナ、それにマーナは書店でいくつかの本を購入し、研究所へとたどり着いた。
「ここがエーギュスト研究所かしらね」
「は、ひゃい!?」
私はマーナの目をじっと見つめ、眉根を寄せて言葉を続けた。
「一ついいかしら。あなた、案内役よね?早く案内してくれないかしら?」
原因が私達とは言え、一体この子はどんな覚悟で奴隷落ちしたのかと疑問に思うメンタルの弱さだった。まぁ、正解は全くそんな覚悟もなかったのだろうけど。ただ、研究所の見学予約までしておいて、そこまでの道案内もおろそか、というのはちょっと問題じゃないだろうか。
ふんす、と鼻息を吐いて、マーナが頭を下げているところを見つめていると、研究所から出て来た職員と目が合った。完全に獣の顔をしているため分かりにくいが、恐らく老人だろう、純白の毛皮に大きな3本の角が生えた牛のような獣人……いえ、あれは……。
「キーラ、ケキュージ、ミティキャジナ?カゲィルーヨゥ」
低い声の帝国語で話してくる研究員の言葉に、私はマーナを見つめて無言を貫いた。一応歓迎してくれていることくらいはなんとなくの言葉でわかるのだが、向こうが帝国後で話してきたのだし、医薬が間違っていては困るので翻訳を挟んだ方が良いだろう。
「あ、えっと。研究所の見学に来てくれたこと、歓迎する、と」
「そう、歓迎感謝するわ。私はアンネ、賢者の塔妖精村の村長の娘よ。こっちはリナ……まぁ、今回は付き添いと思ってもらえばいいわ。……ねぇ、早く翻訳してくれないかしら」
ジト目でマーナを見ると、マーナは慌てて研究員へと言葉をかけた。
「……はぁ」
なんというか、安価な翻訳役を手に入れたと思ったが、そうでもなかったのかもしれない。翻訳はできるのだろうが、なんというか余計な疲労ばかりが募っていく気分だ。何だったら相手の研究員も苦笑してるし。
と、その前に。私はちょっとした厚みの冊子を2冊、リナから受け取り、研究員に手渡した。
「お近づきの印、ってわけじゃないけど、魔物素材から薬を作るのを主に研究してるって聞いたから、賢者の塔でしていた研究レボートの写本を持って来たわ。既存の物ばかりかもしれないけれど、活用できるならしてくれると嬉しいわ」
因みにこの手の研究は基本的に魔法や化学の最先端である塔が所属する言語圏、要するに共通語で記述されているのが主なのだが、一応一冊は写本の際に帝国後に訳したものを渡しておいた。その後の様子を見ると、パラパラと流し読みをした程度だが、少なくとも全く得る者が無いわけではなかったようで、多少上機嫌になった研究員に案内されることになったのだった。
「ところで、今はどんな薬の研究をしているのかしら?」
「うむ、今は魔物の忌避剤と誘引剤の研究をしておる。じゃから先ほどの資料、特にオークの生殖液と果実の混合によるオークへの忌避効果はとても興味深かったぞ」
そう言う風に談笑していると、なんだか愕然とした顔のマーナが口をパクパクさせていた。
「む、どうした?」
「いや、だって、言葉、とか」
アワアワするマーナに、私は幼子に教えるように答える。
「何言ってるのよマーナ。この方は万象を知ると言われる種族の白澤様よ。特に言語学と医学に堪能ってことで有名な種族だし、共通語ぐらい話せるにきまってるじゃない」
「本来ならば、通訳の仕事を奪ってはいかぬと思っておったのだが、別に通訳というわけでもなさそうなのでな。堪忍なされよ」
私たちがそう言いながら先へ進むと、再び慌ててマーナが追いすがってきた。
「しかし、なぜあのお嬢さんは通訳のまねごとをしていたのかの?聞いても良いか?」
「一番簡単に言うと、あの子が先走ってウラパっていうヤギ頭を怒らせて奴隷落ちさせられたのよ」
「ふむ……。ウラパの若造もしゃちほこばっておるなぁ。そうさな、もしもマーナ嬢のことで困ったことがあれば儂を頼るとよい。口利き程度ならしてやろう」
そう言ってからからと笑う研究員に、私はマーナを一度見て、あたふたして出合い頭に研究員とぶつかり、頭を下げている姿を冷めた目で見つけてしまった。
「……今後も奴隷のままかはともかく、口利きの前に躾が必要かもしれないわね」
「かっかっか、そうかもしれんな」
面白そうに笑う老研究員に、いまその躾をするのは私なんだけど、と内心で思ったことを何とか胸に収める。
「さて、おしゃべりはこれくらいにして、ここからは研究施設の方に入っていこうか。もしお嬢さん方が思うことがあるのなら忌憚のない意見を言ってほしい。結構期待しておるぞ」
そこから本格的な研究施設の見学となった。魔物の部位を使っての製薬と実験用の小型魔物のケージ、あるいは、その研究成果や研究機械なんかを見させてもらい、割と充実した見学となった。塔にはあってここにはない器具があったり、塔で使っていた実験動物(というけれど、塔は死んでも死なないし、よっぽどの物でなければ一度死ねば状況はリセットされるので実質的に意思疎通できる生物)での実験結果や実験の取り付け方や塔での研究施設概要なんかの意見を交換し合うことになった。
何はともあれ充実した一日だったのだけれど、……唯一、慣れない研究所という環境だからか、ぶつかったりこぼしたり落としたりを繰り返すマーナに、何度も注意、場合によってはリナや重力を使って止めていたので、やたら疲れてしまった。
今回の研究文は廃都で纏めた研究成果を幾つか持ってきた分。ただの見学の予定で受け入れてるので、当たり前だがこんなものなくても見学できる……と思いきや「ここまで理解できる妖精である」というのが判明して、しかも別視点でそこそこ深まっている研究成果を提示させられたので、ちょっと深めのところまで見学できるようになった。
ただし、別に研究成果を独自利用できるわけでもないのでほとんどアンネの欲求を満たすくらいしか意味はない。