オークと船旅
「見て見てグォーク!中央大陸がどんどん小さくなっていくわ!」
そんな風に興奮しているアンネを見ながら、俺は船べりに頬を突きながら海を眺めていた。
甲板には何人もの水夫があくせくと働き、更に何人かの乗客が俺たちの方を遠巻きに見ていた。
以前、賢者の塔へ向かう際の精霊大陸行きの便では檻に入るよう言われて断った俺たちだが、今回は人権印章に加えて、賢者直筆の紹介状まであるとあってVIP待遇での船旅となっている。
とはいえ、乗船当初は別に見たいものもなく、俺たちオーク組はあてがわれたそこそこ豪奢な部屋でくつろいでいたのだが、アンネの提案により、甲板まで連れてこられたのだった。
マザーサラマンドラが3体ほどは入りそうなほどに大きな甲板を持つこの船は、長距離を運行するための特別製らしい。ファンタジーもののお約束として、船旅なんかだと嵐に見舞われたりクラーケンに襲われたりするのが定番だが、実際の所はそんな状況は殆どないのだとか。
「まぁ、しばらくは休暇とでも思ってゆっくりしますかね」
下手に訓練でも始めようならテロリストと勘違いされかねないため、基礎的な筋トレと魔法のイメージトレーニング以外は特にしないことに決め、俺たちは船を満喫することに決めたのだった。
だったのだが……。
「う”う”う”……」
出港から半日、もう中央大陸も見えなくなったころ、アンネの顔色が悪くなり、与えられた部屋のベッドで唸るだけの存在と化してしまった。
「ごれ、覚えがあ”るわ”。魔りょぐ、ぶぞぐ……」
ああ、それがあったか、と俺は頭を押さえた。以前は倦怠感からの気絶だったが、今回は一度魔力不足を経験したからか、はたまた船の上という酔いやすい空間のせいなのか、気絶ではなく体調を崩すという形で表れてしまったらしい。
そして、俺は振り返って部屋の外にいるリナとボスの方を見た。そこには青い顔をしているリナと、その背をさすり続けているボスの姿があった。
こっちは単純な船酔いである。
「大丈夫か、リナ」
「問題ありません、あるzうぶっ」
「あぁ、無理するな、目をつぶっておけ」
「面目有りません」
そう言って、リナは再び窓辺の住人になった。無事なのはボス、蘇芳、そして俺だ。
なお、ニコットは現在ギルドの方でお留守番だが、本体の影響が強いミニニコットが俺の道具袋の中でくつろいで……あ、この子も機能停止してる。
とりあえず道具袋の中のミニニコットが復活すれば、向こうのニコットとも意志の伝達や転移ができるはずだ。
とりあえず、彼女たちが復活するまで何をする気も起きず、軽く筋トレをした後は船室に引きこもることになったのだった。
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早いもので、既に外は夜のとばりが下ろされ、目の前には少し青い顔をしながら眠るアンネの姿があった。
本来ならば男女で別れるべきだとは思うのだが、流石に体調の悪い人物の世話を蘇芳に任せるのは心配であったので、ボスが妻であるリナを、俺が付き合いの長いアンネを看病するということで部屋割りを変更したのだ。
とりあえず眠ってしまえば問題は無いだろう。場合によっては、前回のように魔力が適応するまでは目覚めない可能性もあるが、まぁ、その時はその時だ。
そんな風に考えていると、扉がガチャリと開き、ボスが入って来た。
「主殿、姉御殿の容体は?」
「あぁ、さっき寝たところだ。リナの方は?」
「我が妻も、先ほどやっと床に就きました。仕事熱心なのは素晴らしいのですが、このようなときくらい気を抜いても良いのですがな」
どうやら、リナはいつもしているように、俺たちの護衛や偵察を今もしようとしてくれていたらしい。俺も少しは休めばいいと思いながら頷いた。
「しかし、遠いところまで来たものですな」
ボスはしみじみと俺に呟いた。
「あぁ、そうだな」
「主殿、我は己が誰かの元に降るとは思っておりませんでした。オークキングに道具として扱われた日々、それに疑問を持った時から、我はオークキングから逃げ続け、それでも自分の力だけで生きていくと思っておりました」
そう言うと、ボスは俺に向かって微笑みかけた。
「だが、そうではなかった。主殿に仕え、妻をめとり、そして蘇芳殿や姉御殿と共に旅をして、時には子ども達に手ほどきをして……他者と関わり、笑い合う。それがこれほどに心地よく、満たされるものだとは、考えもおよびませんでした。
ありがとうございます。主殿」
その言葉に、俺は頬を書きながら答えた。
「それは、お前が選んだ道だ。俺はただ、お前を巻き込んだだけだよ。だけど、そう思ってくれているのは素直にうれしい。ありがとう」
そう言い合うと、俺たちははにかみ合いながら拳同士を軽くぶつけ合った。しばしの沈黙。その後に、ボスがおずおずと口を開いた。
「主殿、一つ、いえ、二つほど質問をしてもよろしいか?」
「あぁ、俺に答えられるものならな」
それを聞くと、ボスは俺にこう切り出した。
「ならば、主殿、なぜ主殿は進化をしないのですか?」
その問いに、俺は言葉を詰まらせたのだった。
船旅が安全なのは、実は船の利用客が少ないから。
精霊大陸便などの例外はあるが、基本的にはギルドの転移門で行き来ができるうえ、何だったら上位冒険者がドラゴンや白鯨で輸送した方が簡単なため、船の絶対数がかなり少ない。
そんな中船旅を求めるのはかなりの好きものか切羽詰まった理由を持つ人……というのが一般解なのだが、それらの話の例外が西大陸と中央大陸行きの便。
大帝国にはギルドがないため転移が使えず、この便だけ重要度がクッソ高くなっている。
つまり、海洋戦闘の仕事に就く場合はここが一番需要があるため護衛の実力者が集中している。なので西大陸便では強敵が駆逐されつくされてしまっている。
逆に精霊大陸行きの船だと、微妙に敵に襲われる可能性がある。




