オークと宿舎
「……」
廃都は暗黒に包まれ、普段でさえ街灯のみで薄暗い町並みは、もはやオークの鋭敏な視力でも数メートル先もうかがい知れないほどに闇が支配していた。
俺は試合が終わった後で案内された、俺たちにあてがわれた部屋で、ほの暗いランプの明かりの前でぼうっとひとりごちていた。
戦果は上々。普段の武器でないこととあまり相手をしたことのない手合いであったことで多少てこずる場面はあったが、それでも十分な余裕と観客へのアピールを両立して全戦に勝利することができていた。
それもこれもボスと蘇芳のおかげだ。後衛がいないのはネックではあるが、肉弾戦においては一般的に上位とされる魔物達と比べても優秀なオークの肉体だ。普段のようにボスが盾役をこなし、蘇芳が敵を恐れずに突撃。手の届かないところを俺がフォローすれば、比較的容易く相手に勝つことができた。
作戦会議もした。大して詰めることも無かったため、そこまで大げさにすることこそなかったが、いくつかの修正点を二人に伝えたり、逆に二人から意見を貰ったり、アンネやリナが抜けたことで変わった戦闘感を修正するように少し動いたりもした。
元々奴隷身分だったらしい剣闘士だが、現在は全ての剣闘士が自主的に戦いに参加している。それ故に待遇は悪いものではなく、それは新米剣闘士である俺たちも同じだ。豪勢とまではいかないが、少なくとも衛生面や精神面では文句のつけようのない程度には整った、巨体である俺たちオークがそれなりにのびのびとくつろげる程度に広い部屋を2部屋。それが俺たちにあてがわれた部屋だった。
室内にはベッドとクローゼットそれに机や照明器具と言ったシンプルなものしかないが、食事は酒場が併設されており、剣闘士は一日5食まで無料で料理を注文でき、追加で金銭を支払って食事をすることも可能だ。
また、湯船はない(正確にはあるのだが水が潤沢とは言えないため現在は使用していないらしい)がサウナがあり、身を清めることが可能だし、洗濯をする場所もあるようだ。
と、言った感じで現状は、戦闘面、生活面双方でほぼこれ以上の待遇はないだろうという滑り出しだった。
だが、なんだろうか……俺はなぜか、ものさびしい物を感じ、じっとランプを見つめた。
「なんでなんだろうな?」
俺はふと肩口に語り掛けてその行動に思わず自分自身笑ってしまう。
「あぁ、そうか」
ものさびしさの正体に気付き、あまりに幼稚な自分自身に呟きと共にため息をついた。それと同時に扉がガチャリと開き、ボスが湯気の立つ体に柔らかい室内着を羽織って現れた。
「おや、主殿、まだ眠っていなかったのですな」
「あぁ、なんだか、寂しくてな」
その言葉に若干不思議そうな顔をするボスに、俺は先ほど気付いたことを口に出した。
「どうやら俺は、アンネがいないと寂しくて眠れないらしい」
実際にはそれは正確ではないだろう。アンネの故郷である妖精村では完全に別の部屋で休息をとっていたし、野営だって男女に分かれていた。昼間も含めれば別行動だっていくらでもある。
ただ、いくら誰かと別行動しようと、アンネとだけは出会ってこのかた、触れ合おうと思えば触れ合える距離を外れるほど離れた状態で休息することは無かった。
宿舎の場所を告げられ、既にアンネが廃都を抜けて何やらしていることを宰相から聞いてはいたが、その時はそこまで頭の中で整理しきれていなかったのだろう。
「まるで、母親がいないと眠れない幼子みたいで笑えるだろ?」
流石に眠れないというのは言い過ぎだが、俺自身そう言う風に思ったのでボスにそう伝えると、ボスはしかし、それを冗談として笑うでもなく、真面目に否定するでもなく、静かに俺の横に腰かけて来た。
「主殿。それは、悪いことなのですかな?」
「……どういうことだ?」
問いかける俺に、ボスはその顔を不敵にゆがめる。
「何やら、普段とは立場が逆ですな。我が主殿に何かを教えるなど、貴重な経験です。
……簡単なことです。誰かに恋い焦がれ、眠れぬ夜を過ごす。人を思い、相手に思いをはせる。それのどこがいけないことなのですかな?我とて、我が妻と離れた夜はいつも夜空に我が妻を描いておりますよ」
「いや、別に俺はアンネのことを好きなわけじゃ……いや、そうじゃないな、親愛的な意味であって恋愛的な意味でないということで」
「どちらでもよいではありませんか。家族愛であれ、親子愛であれ、仲間同士の愛であれ……よしんば恋愛のそれであったとしても、遠く離れていても想っているというその気持ちは尊いものではござらんか?」
「う、む……まぁ、確かに」
ボスに言いくるめられ、俺はそんなものかとボスの話を反芻する。そんな俺に対して、ボスはさらに言葉をつづけた。
「まぁ、尤も、近くにいても想い続ける者もいるのです。主殿は、もう少しそのものにも目を向けても良いのではないですかな?」
そんなことを言うと、ボスは手早く装備を整理するとそのまま床についてしまった。
俺はボスの言葉を頭に、ゆっくりとドアノブに手をかけ、外に出た。廊下を歩いて暫し、もうランプの灯も落ちた、俺たちにもう一つあてがわれた部屋に入り込む。
一人で眠るオークは俺が渡した剣を大事そうに抱いて眠りについていた。改めて見れば、その肉体は以前よりも明らかに絞られており、もはや脂肪は跡形もなくなっている。
俺は特に何もすることなく部屋に戻り、床に就いた。その時にはアンネがいない寂しさもあまり感じずすぐに意識が途切れたのだった。
※グォークの実年齢は2歳以下
というのはともかく、一番信頼できる相手であるのは確かなので……。
生存本能的な不安感か恋愛的な不安感か、或いはそれ以外の動悸かはご想像にお任せ。




