個人反省会
前回の投稿が意味不明すぎた気がするので、同じ主題でもっかい行きます!
私が投稿する作品はいつも意味不明な気もしますが、今回だけ反省会です。
アニメ作品の実写映画化って、私は嫌いなのですよ。
ほんとは嫌いじゃありませんが、話をする都合上です。
というのも、好きなキャラクターを俳優さんが演じるってのがどうもね。
例えば大好きなヒーローやヒロインがいるわけですよ。
すごいイケメンや美人が演じてくれるから綺麗ですけどね。
どんなイケメンや美人でも、キャラクターそのものじゃないじゃないですか。
俳優さん本人、つまりメタな、現実世界の生活者としての俳優さんを意識してしまう。
それがダメなんですよ私。苦手です。
好きな俳優が出るから映画を見るとか、もう意味不明ですよ。
実は、漫画がアニメ化されること自体、嫌なんです。
本当に好きな作品って、キャラクターに恋までしてこそですよね。
でもキャラクターに恋したら、声優さんの名前くらい覚えちゃいますよね。
その人が、ラジオやってたり、別のキャラクターやってたり。
リアルに感じたかった元のキャラクターが嘘になっちゃうじゃないですか。
でも、そう考えると、小説の漫画化ってのもそうですよね。
登場する大好きなキャラクター達をすでに空想しちゃってますから。
どんな絵の綺麗な漫画家さんに描いてもらってもね。ちょっと違う。
漫画なんて、そもそも絵ですし。
空想上のロマンチックなキスシーンが完全にリアルだったのからすれば劣化ですよ。
さらに探すと、史実の小説化も非常に抵抗を感じます。
『坂の上の雲』とかね。司馬遼太郎が日露戦争を書いた1968年の小説ですが。
読んだことないのに言ってますけど。
歴史小説っていうアプローチ自体が危険でしょうね。後世の著者のイデオロギーが混ざる。
現実の人間をキャラクターにまとめてしまう時点で、嘘っぽくなるんですよ。
作られた人間の作られたセリフだっていう匂いが、鼻につくんです。
キャラクターの人格の、作られた偽物な感じが嫌なんです。
俳優の演技や、声優の演技の偽物感を敏感に感じてしらけちゃう。
逆に言えば、優れた演技には本人はもちろん監督などによる調整も含めて感服しますが。
ともかく私は、空想の世界にはどっぷり浸かりたがるタイプです。
そんな私からすると、世間には冷めている人が多い。
物語世界にあまり入れ込まない様子ですね。
一緒にキャラクターに恋してるつもりだった子が、すぐ冷めてしまったり。
あれれ、みたいな、孤独をしばしば感じます。
二次元に恋してる自分って悲しい奴かな、みたいな。
まあ、リアルに幸せがある人にとっては、空想は空想にすぎないのでしょう。
でも私の周囲はクズ多めでしたからね。
物語の中のキャラクター達が子供の頃から救いだった。
本やゲームの中にこそ、リアルよりずっと友達が多かった。
優しくて勇敢で仲間思いなキャラクター達にいつだって励まされて、生きてこれた。
あの子だったらこんなとき、どうするかなとか。
あの子があの場面で頑張っているのだから、私もこの場面で頑張ろうとか。
優しくて勇敢で仲間思いな人として生きてみせようって、少し頑張れてきた。
だから、リアルに不満なせいで二次元に浸かった、そのことも悪くなかった。
例えば、ぬいぐるみが踏みつけられる光景を映像で見せられたらどう感じるか?
普通は、感覚を理性がオーバーライドすると思う。ぬいぐるみは物だって。
でも私は違います。ぬいぐるみの痛みや悲しみがぜんぶ入ってくる。
踏み潰す者は踏み潰されるべきだとまで感じてしまう。
多くの人は、空想は空想だとわかっている。
でも私だけはその理性が壊れていて、世界は感性によって繋がってる。
だから私にとっては、すべてのキャラクターは、100%リアルであるべきもの。
私には、リアルより空想世界のほうが価値がある。
多くの人はそうじゃないでしょう?
本ばかり読まず、人や社会と多く関わって多く知りながら大人になってる。
つまり良くも悪くも人の世の限界を当たり前に知っている。
でも私は世間知らずだから、物語の中の理想主義を現実と取り違えてしまう。
なのにそれは価値ですよね。
優しくて勇敢で仲間思いな人達が、現実世界に有り余ってるわけじゃないから。
人の世の限界は、つねに挑戦されるべきものだから。
世俗的な欲求は、ともすれば生存や繁殖によって満たされてしまう。
そして人々は、無数のありふれた人の一人としての人生に満足する。
対し、リアルでの不満が空想への没頭を呼び、空想への没頭が理想を招くというなら。
世の中のそんな構造は、少し面白いと思いました。