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Sanity-XXX 童貞ダディと魔王のムスメ

「パパはね。お前の母さんと結婚して、魔導騎士を辞めるのが夢だったんだ」


 母の話になると、義父さんは決まってそう言う。

 過去形で語られる夢というのは、概して挫折と悲哀が一体になっているものだけど、義父さんの夢もその御多分に漏れず悲しいものだった。


 私の母は結婚前夜に義父さんの元を去り、産まれたての赤ん坊──つまり私を棄てて行った。婚前交渉は村でタブーとされていたし、そもそも義父さんは魔導騎士ゆえに童貞だったから、当然私のことなどは身に覚えがなかった。

 だから、義父さんは心を病んだ。心的外傷トラウマが原因で、不能になった。それは、健やかでかつ清らかな肉体を資本とする、魔導騎士にとって致命的な欠陥と言える。


 全身の精気を充実させ、滞りなく循環させうる肉体を保つことは、魔導鎧装ウィッカアーマーを扱う上で大前提とされる。たとえ身体の「ほんの一部」と言えど、役立たずになれば鎧装を起動することすら儘ならない。


 つまり義父さんは、私に二度も殺されたという訳だ。

 一つ目の死は、オスとしての死。二つ目の死は、魔導騎士としての死。義父さんの不幸は、詰まる所全て私に起因している。


「迷惑掛けてごめん、義父さん」


 何度目か分からない謝罪を口にする。すると義父さんは、「迷惑なもんか」と豪快に笑って見せる。

 義父さんの足下には、魔獣の骸が無数に転がっている。全て、鎧装の力を借りずに仕留めたものだ。神秘の力を喪った──精気の輝きのない魔槍で鏖殺された者達だ。


「でも、コイツらは私を拐う為に差し向けられたんだよ。村の皆が言ってた」

「……あいつら」

「皆は悪くないの。悪いのは私。悪魔の血が混ざった、私」


「違う」義父さんは悲しげな目で否定する。


「リリィ、そうじゃない」

「私が離れてから村への襲撃は無くなった。それは私に悪魔の──魔王の血が流れているから。そうでしょう?」

「リリィ……」


 義父さんは言葉を詰まらせると、私をそっと抱き寄せる。角の生えていない後頭部を、ニンゲンと変わらぬそれを、不器用に撫で回す。


 私は齢五つになるが、半魔ゆえに身体はとうに成熟している。それでも、一つ覚えに繰り返される義父さん特有のこのあやし方は、私を赤子のように安らがせる。

 だから、それを突き放さなきゃいけない。義父さんはニンゲンだから。化物と一緒に居たら、きっと不幸になってしまうから。


「私を棄てて良いんだよ。義父さんは本当の父さんじゃないから。ニンゲンだから関係ないでしょう」


 なるだけ意地悪く聞こえるように言った。義父さんの大きな手は、緊張を隠すことなく伝えてくれる。


「リリィ、逃げろ」


 震えた声がする。見上げると、義父さんはもはや私を見ていなかった。

 振り返ると、そこに悪魔が居る。


「素敵な家族愛だ。感動的だな。だが、もう終いだ」


 酷薄な笑みを浮かべて、悪魔は同類たちの骸の上を歩いてくる。紳士然とした外見とは裏腹に、魔獣とは比較にならないほど禍々しい気が放射されている。

 だのに、義父さんは逃げる素振りすら見せない。


「義父さん、ダメ。勝てる訳ないよ」

「心配するな。俺は一角獣のゼラン、生身で魔獣に打ち勝つ男だ。それに父親の言うことってのは聞いとくもんだろ?」

「でも──」

「行け!」


 叫びと共に、義父さんは打ち掛かる。私はそれを尻目に駆け出していた。追っ手の注意が少しでも逸れるように、三度目の死から義父さんが遠ざかるように。

 しかし、私の逃走劇はものの数秒で幕を閉じた。


「手間を掛けさせるな、人間」


 義父さんの身体は、悪魔の手で貫かれていた。起動していなければ単なる板金鎧と変わらぬ魔導鎧装は、魔族からすれば無いにも等しい。

 悪魔の手が振り抜かれると、多量の血飛沫が撒き散って、義父さんは自分が生んだ血溜まりに沈んだ。


「義父さん!」


 言い付けを破って、私は義父さんに駆け寄る。腹の大穴が目に入った。


「逃げろって言ったろ、リリィ。バカな娘だ」

「バカは、バカは義父さんでしょう!」

「そう、バカな男です」


 悪魔は冷笑しながら、こちらを見下ろしている。「黙って差し出せば、死なずに済んだものを。感情に流されるから下等と言うのだ。やはり御身を連れに参ったのは正解でしたよ、皇女殿下」


「皇女なんかじゃない。私はアンタ達とは違う!」


 抵抗する私を、悪魔が無理矢理に引っ立てる。

 義父の身体が遠ざかっていく。


「いいえ、殿下。貴女は紛う事なき魔王の血統。冠が如きその三本角が何よりの証です。さあ共に帰りましょう、貴女の居るべき場所へ」悪魔が底冷えのする声で囁く。


「離して!」

「そうは参りません。我が王がお待ちです」

「いやっ」


 ──助けて、父さん。

 その一言が、思わず口を衝く。瞬間、父の鎧装が赤く爆ぜた。

 熱と閃光が放出されて、魔導鎧装の駆動系が一斉に動作を開始する。物質化した精気が破損部に供給されて、鎧装と肉体の傷を修復していく。


「やっと、助けてって言ってくれたな」


 光の奔流の中、満身創痍だった筈の父が確かな足取りで立ち上がる。

 悪魔が初めて動揺を見せた。


「バカな。立てる筈はない」

「立てるさ。ここで立たなきゃ男が廃る。童貞が泣く」

「童貞、関係あるの……」


 反射的に私が訊ねると、父はいつもの如く豪快に笑う。


「あるさ。童貞も守れない男は、娘のことも守れやしない。それに、愛した女が産んだ娘を守らない父親がいる訳ないだろう」

「父さん」

「リリィ。白状するが、俺はずっと悩んでいたんだ。お前を人間として、俺の娘として育てることが、お前の幸せに繋がるかどうか」


 私は思わず息を飲んだ。

 父も、私と同じに悩んでいたのだ。自分の存在が、相手の幸せを奪ってしまうのではないかと。その事実が今の私には堪らなく嬉しかった。この人は紛れもなく、自分の父親なのだと心の底から実感できた。

 私と父は笑みを交わす。


「今の俺に迷いはない。お前が父と呼ぶ内は、二度と倒れない。俺はお前と共に生きていく、一人の父親として」

「うん」


 頷くと、悪魔はいよいよ堪えかねたのか、私を拘束するのも忘れて怒声を浴びせた。


「父親だと。笑わせるな。魔導騎士ってのは皆、女を知らんのだろう。それが一丁前に父親を気取るなど笑止千万」

「そういう次元のお話は終わったんだ」

「バカを言え。状況は何も変わらない。貴様はここで塵に還るのだ」

「ははん。さてはお前知らないのか。童貞ってのはな、三十超えると魔法が使えるんだぜ」


 不敵に笑って、父は鎧装の出力を引き上げる。膨大な精気が魔力炉で変換されて、手にした短槍を真紅の炎が包み込んでいく。大気が灼熱に歪んで、蜃気楼が広がってゆく。


「なんだ、何をするつもりだ。何なのだそれは!」

「──Sanity-XXX(健全なる三十路)


 それは、魔導騎士の奥義にして信念の象徴。高純度の精気で邪悪を祓う浄化の炎。

 昔、父が語っていたことを思い出す。その力は災厄に塗れたこの地球ほしにおいて、ヒトに残された最後の希望なのだ、と。


「虚仮威しが!」


 悪魔は突進していく。

 父さんが穂先を掲げると熱線が放出されて、火炎の群れが渦巻いた。天を衝くようにも見えるその光帯は、いよいよと怒張を極める。


「お前の敗因は唯一つ。俺を燃え上がらせたことだ」

「敗因!? 私が負け──」


 言葉が、音が絶えた。

 光の柱が横倒しになって、視界が白く塗り変わる。押し寄せた熱波に絡め取られ、水気という水気が失われていく。血も汗も涙も、全て拭われていく。

 光が収まった後、私がまず目にしたのは穿たれた大地。次いで、片膝をついた父と胴が消し炭と化した悪魔の姿だった。


「なんと破廉恥な」


 悪魔は転がったまま、毒気の抜けた表情で笑った。苦笑だった。

 父さんも釣られたように頬を緩める。


「悪いがクレームは聞けない。俺はこれしか知らんのだ」

「そうか。なれば何も言うまい。また会おうゼラン、強き者よ」

「……二度とゴメンだね」


 悪魔が塵に還った頃、父さんは応えた。

 そこに勝利の余韻は無かったが、かと言って憎しみの情も無かった。あるのは安堵だけだった。弛緩した父の肉体は、重力に任せて倒れていく。

 私がそれを受け止めると、用を終えた鎧装が左腕の手甲に格納された。焦げた衣服と褐色の肌が露わになって、私は反射的に目を背ける。


「大丈夫。ちょっと健康的になっただけさ」


 何でもないように笑う父。しかし、私が目を背けたのはそういう訳ではないのだ。


「違うの、父さん。その、前……」

「前?」


 視線を下ろした父さんは、「しまった」という表情になる。父さんの下着は蒸発していた。


「す、すまん」

「ふふふ、あははは」腹の底から笑いが込み上げてきた。


「ねえ、父さん。私、幸せだよ」

「今言われてもなぁ。締まんねぇよなぁ」


 父さんは縮こまると、困ったように頬を掻いた。その様があまりに微笑ましくて、私はしばらく父さんを抱えたままでいることにした。

 時間がゆっくりと流れていく。

 ここには、骸も死臭もない。地面に穿たれた洞の中で、平穏な瞬間だけが連続している。


「これが欲しかったんだなぁ」


 私は確信する。

 このまま父さんと居られたら、きっとずっと幸せだ。追われていても、母さんと会えなくても、今日みたいに幸福でいられるんだと思う。

 こんな日々が、ずっと続けば良いのに――

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