白鬼と呼ばれる少女が独りではなくなる話
問題:魂が無くなった人間はどうなるか。
答え:死ぬ。
◇
ある村に小さな女の子が誕生した。
生まれて間もなくコンとくしゃみをしたことから、彼女はコンと名付けられた。
四歳のある日。コンはいつも通り母の腕の中で目を覚ましたが、母の身体が冷たいことに気付く。
不思議に感じたコンは、村で一番の物知りである村長に訊ねた。お母さんがいつまで経っても起きない。それにひんやりと冷たいの、と。
村長は血相を変えてコンの家へと走り出した。小さなコンが追いつけるはずもないが、懸命に走り家へ辿り着いた。
村長は涙を流していた。痛いの? 大丈夫? なんてコンは心配する。村長はありがとうと言って片手で目頭を押さえた。
確かお母さんは、コンが泣いている時いつも手を握ってくれた。
コンは村長を慰めようと、空いた方の手をきゅっと握る。母の身体とは違って温かった。
その瞬間、吊るしていた糸が切れたかのように、村長は倒れた。
村長、大丈夫? とコンは母と同じように村長の身体を揺すった。しかし起きる気配はない。夜更かししたから寝ちゃったのかな、なんて思った。
外からワン、と犬の吠える声がした。ワンワン今日も来た、とのんきに呟いたコンは家を出た。
一部始終を見ていた男がいた。
見たことも無い村長の焦った表情に驚いた彼は、こっそりと後をつけていたのだ。コンの家に入る姿を見て、庭からであれば家の中のこともわかると考え生垣に隠れた。
そして、コンが村長に触れると同時に絶命した瞬間を目撃した。
……いや、そんなはずはない。いくら何でも馬鹿げた話だ。そう一笑に付したかった。
しかし、コンは野良犬にお手をさせると、野良犬はもコテンと倒れた。不思議そうにコンは首を傾げるが、男は確信した。
コンに触れると、死んでしまう。
危険を感じた男はこれを即座に村中へ広め、その日のうちに、コンは独房に収容されてしまった。
寒い、寒いよ。
夜風が冷たい冬の夜。コンは見張りの大男に訴えかける。しかし大男は目を合わせようともせず、檻から一歩離れるだけであった。
コンに食事は与えられなかった。このまま死んでくれれば自分達の安寧は保たれる。そこに良心の呵責は存在せず、村人達はただひたすらにその時を待っていた。
一週間が過ぎた頃。コンに物を言う体力は既に残っていなかった。頭の中は寒い、冷たいで占められ、物を食べる行為自体を忘れかけていた。
自分はこのまま動かなくなってしまうのだろうか。身体を横たえたまま、そんなことを思う。
冷たくなっていた母もこんな感じだったのかな。温かくなったら迎えに来てくれるのかな。
「……あれ……?」
コンはポツリと呟く。見張りの大男の胸の辺り。煌々と発光するナニカが見えた。とても綺麗で、ずっと見ていたくなるような、そんな輝き。
おいでおいで、と。コンはそのナニカに向かって心の中で呼びかける。ナニカはチカッと光量を強め、ふわふわとこちらへやってくる。
ぽわ、とコンの身体に久方ぶりの温もりが広がった。じんわりと広がる温かさは泣きそうになる程優しかった。
そして、大男がドサリと倒れた。彼の巨体に、もう光は無かった。
「……?」
コンはキョトンと目を丸くした。寝ちゃったのかな、と村長が倒れた時と同じことを考えた。
そこでコンは、あることに気付く。さっきまで感じていた空腹を忘れる程の寒さが、今のコンには無かった。それどころか満腹感さえ覚えていた。
ドタドタドタ、と沢山の足音がした。駆けつけたのは村の男達だった。彼らは口々に今のもコンがやったのか、しかし檻の中からは届かない距離だ、など。焦った様子で話し合っていた。
(……みんな、一人一つずつ。光るナニカを持ってる。あの温かいナニカ)
コンがナニカに目を向けた途端、またしてもチカッとナニカが瞬いた。
「おいで」
コンはそう呟く。意識を向けたのは四人いるうちの三人のナニカ。四つも食べたら、お腹がはち切れちゃう。そんな風に考えていた。
ゆらゆらと三つのナニカがコンへと引き寄せられる。満腹感は変わらなかったが、今度は睡魔が飛んだ。捕らえられる前よりも力が満ちている気がした。
ドサッ、ドサドサ。三人が崩れ落ちた。
「う、うわぁぁぁ!?!?」
残された一人は声にならない悲鳴を上げた。彼は本能的に恐怖を覚え数後ずさる。
「き、聞いていた通りだ……! あの胡散臭い学者、嘘を吐いてたんじゃなかったのか……!」
「ガクシャ?」
コンは聞きなれない言葉を復唱する。すくっと立ち上がって、彼の元へ歩み寄った。
「お、お前は白鬼なんだよ!! 魂を使役する、鬼と云われるバケモノだ!!」
「オニ? バケモノ? コンはコンだよ」
「ひ、人の魂を奪っておいて何を言うんだ! お前のせいでこいつらは……村長は……!」
ブルブルと震え、しかしそれでも。
「自分の母親でさえも!!! お前が殺したんだろうが!!!」
子どもには厳しすぎる残酷を、彼は言い放つ。
「コンが、お母さんを? コロした? コロしたって何?」
「死なせたってことだよ……! 白々しいガキが……!」
つまり、お母さんはシんだ? 村長もシんだ? コンを見張っていた大きな男の人も、そこに寝ている三人も、全員?
コンが、死なせた?
「きゃああああああああああ!?!?!?」
自壊した未熟な精神は金切り声となって辺りに響く。
コンの慟哭は村中の人々の魂のみならず、鳥や木などの生物、果ては無機物にまで波及した。
ありとあらゆる全ての魂が、コンのもとへと集中する。
コンが次に目を覚ました時、村には風化した塵しか残っていなかった。
◇
風が吹く度さわさわと葉が揺れる、深い緑の森の中。カバネと呼ばれる長身の青年はある場所へと向かっていた。
「確かこの辺だよな……」
カバネは周囲を見渡す。しかし目につくのはどれも太い幹の木ばかり。
どこにも建物はない。
彼が探すのは、かつて賢者が住んだとされる“円柱の豪邸”。五階建てにもなる巨大な建造物は、一千万冊を超える本が保管されていると聞く。
(つっても、真偽は定かじゃねえんだけどな)
なぜなら円柱の豪邸の情報は、その殆どが伝聞でしか知られていないのだ。
数少ない確実な情報と言えば、それがこの半径三十キロにも及ぶ樹海の中心にそびえ立つことだけ。
魔物の巣窟である樹海だが、中心部だけは魔力濃度が低い。まるでそこだけを避けているかのように。
「で、俺はその円柱の豪邸に住むと言われている“白鬼”がいるかどうか調査させられる、か……」
カバネは周りに人が居ないのを良いことに、声に出して愚痴を零す。
十年前、村を丸ごと塵に変えた少女。聞くところによると、彼女は魂に愛されすぎたが故に他人の魂まで引き寄せてしまい、当然、魂を無くした人間は死ぬ。
だからこそ、カバネが調査員として選ばれた。
「人使い荒いよなぁ……」
そう言ってカバネは深いため息をついた。
それから歩くこと五時間。幾度となく襲い来る魔物を撃退しながら、カバネはついに目的地へと辿り着いた。
「凄いな……」
円柱の豪邸。横幅十メートルは超える真っ白なそれは、階層ごとに等間隔で窓が取り付けられ、一階にある簡素な扉がかえって強烈な違和感を放っていた。
「おーい! 誰かいるかー!」
カバネは大声で呼びかけるが、返事はない。
と、その瞬間。ガチャリと開いたドアから半身を覗かせた少女が右手を向け──
「おわっ!?」
透明なナニカをカバネへ撃ち込む。カバネは後ずさり、少女を警戒しながら自身の身体の異変を確かめる。
(……特に異常は見当たらない……?)
外傷は無い。体内の魔力が掻き乱された様子もない。
「……あの」
ポツリ、と少女が呟く。端正な顔立ちの少女は、どこか怯えながら。
「か、帰ってください。魔物と、あの、同じ、じゃなくて……仲間に思われる、魔法を、撃ち込みました、から。多分、無事に帰れると、思います……」
「魔物の仲間に……」
そう言われるが、カバネに実感はない。普段通りそのものだ。
ただ円柱の豪邸の知識を持ってすれば、あるいは。根拠はないがそんな風に感じた。
「な、なので、近付かないでください」
「なぜ?」
とりあえず対話は可能。カバネがそう問い掛けると、少女はおずおずと扉から外へ出てきた。
「コンに触ると、死んでしまいます」
「コン?」
「あ、わた、私のことです。私はコンです」
「そうか。コン」
可愛らしくて良い名前だ。カバネはそう続け、ずんずんとコンへ歩を進める。
「こ、来ないで! 来ないでください!」
コンは声を震わせながら後退し、扉へ背中を押し付ける。歩み寄るカバネを心底拒絶する。
「コンは白鬼だから、コンに触ったら、貴方死んじゃうよ」
「大丈夫だ」
「や、やだ。嫌。死なせたくない。殺したくない。やだ、やだやだ、来ないで」
「安心しろ」
「やだ、さむい、やだ、いや、さわらないで」
しかしカバネに聞き入れる様子はなく、ゆっくりと手を取る。
コンに触れてしまったカバネは、しかし倒れない。
「俺には魂がないんだよ。だから」
君に触れる。だがその言葉を口にする前に、コンは意識を手放したのだった。





