パラサイト・ダンジョン
月の光も届かない、血糊のように暗い森を歩く三つの影。
そのうちの一つが立ち止まり、前を歩いていた男たちを弱々しく呼び止める。
「なあ、本当に今日もやるのかよ? 止めとこうぜ、不気味で仕方ねえよ……」
まるで盗人のように灯りも持たずに歩く彼らは、禁じられた森にたびたび踏み入っては、貴重な薬草、魔力を帯びた木材などを刈っていく密猟者だ。
後ろめたい気持ちに咎められた新参者の一人を、腕も太く体格のいい一人が、呆れたように振り返って戒める。
「おいおい、今更何をぉ言ってるんだ。テメェからこの話に乗ってきたんじゃぁねぇか」
「で、でもよぅ……最初は"王国の森"だなんて思わなくって……しかも今日はずっと奥までいくって話じゃねえか……」
「カカッ、当たりめぇだろうが! ビビりあがってる馬鹿どものおかげで、そこらに金貨が転がってんだぜぇ。うまくやりゃあ、金と女には二度と困らねえぜ! ウヘヘェ」
「そ、そりゃそうだけど……」
それでも反論しようとする男の背中を、バンバンと叩き上げた。
「ビビりすぎだってぇの。国は隠しておきテェのよ、この宝の山をな。こっそり採りにきてるはずさ。あんなの、俺たちに悟らせないための嘘ってわけよ」
「ハハハ、どのみちお前もここに足を踏み入れた時点で犯罪者さ。さあウダウダ言ってねえで、行くぞッ」
「あ、ああ……」
筋骨隆々の人影が、立ち止まっていた男の腕を無理やり引っ張り、とうとう諦めて三人は足並み揃えてさらに奥へと踏み込んだ。
何度か踏み荒れた草は獣道を作り、彼らはこれを頼りに灯りも無しで森を進んでいる。暗視の魔法を使っているので歩くのに支障はない。
最後尾の男は、腕っ節に自信のある二人が先を歩いていて、それでも不安だった。虫や夜行性の生物の声が一切聞こえない森も不気味だが、それ以上に”決して何人も立ち入ってはならない”と子供の頃、大人たちから口を揃えて言われていた場所に踏み入っている罪悪感は酷いものだった。
知られたらどんなに怒られるだろう。大人になった今でも、子供の頃を思い出して怯えてしまう。
しかし、それも先頭の男が立ち止まり、手招きするまでのつかの間のことだった。
「おい……! みんな見ろ、ありゃあ魔力茸の"水色"だぜ。あんなでけえのは初めてだ……!」
「こりゃ幸先がいいな。採集袋、さっさと出せ!! 金貨五枚は固ぇぞ!」
「お、おうっ!」
暗闇の中にぼんやりと、幽霊のように浮かび上がった水色の灯り。それを見つけた三人の目はぎらつき、欲望の炎が燃え上がる。色と大きさが保有魔力に大きく左右されるこの茸類。握り拳ほどの大振りな傘を持ったものは、滅多にお目にかかれるものではない。
採取袋はすぐに満たされた。これだけで合わせておおよそ金貨八枚程度の成果だ。彼らの一年に稼げる収入の半分ほど。
本当にこんな一夜で……
控えめだった男の瞳から警戒や、恐怖の色は消え失せる。茸の発する水色の光だけをぼんやりと映し、口元が三日月に歪んだ。
男たちはさらに森の奥深くへと進んだ。既に何度も通ったルートだが、来るたびに新たな発見があるのがこの森の興味深いところだ。
さっきの魔力茸ほど貴重なものは見当たらなかったが、それでも"外"では一度たりとも見たことのない植物がそこらじゅうに群生しているのは非常に興味深く思う。
だが、これだけ自然が豊かにもかかわらず、生物の気配を一つも感じないのはやっぱりおかしい。
……どんなに金を稼げるとしても、この感覚に慣れることはできないだろうと欲望に焦がされた男は思った。
百年前。
自分たちの住む公国と、邪悪な者の住まう”王国”という国と戦争があったという。
この地は、その数多くの死体から生まれた不死者や、当時王国が召喚したといわれる"禁じられた魔物"が徘徊したことで、消えぬ呪いの根源になったと言われている。
くだらない昔話だ。
百年前の戦争で起きたことなんて関係がないし、こうして森の中に入っても異常なんてない。念のため持ってきた不死者や呪いの存在を知らせる、この”聖十字”にも反応はない。
やはり公国は嘘をついていた。俺たちはそれを証明したのだ。
「……っ!」
だが緩んでいた気が、欲深くも先頭をどんどん一人で進んでいた男が息を飲んで立ち止まったことで凍りつく。
木々の隙間から光が溢れている。
月明かりが出口の男を照らし、その身体からは動揺が滲み出ている。
何があったのだ、と二人は駆け寄った。
そして見つける。
「……おい、おいおいおい……! 何だぁ、こりゃあよぅ……!!」
三人の呆け口は、やがて喜色に歪む。
その広場は、まるで森の中心であることを主張するかのように真円だ。
朦々と生えていた木々は、百年誰も立ち入っていないにもかかわらず嘘のように途切れ、かわりに背の低い雑草が見渡す限りに広がっている。風化した瓦礫さえ苔むした建造物や、木杭の残骸のようなものが所々に転がっている。
それらは中央にある”それ”を囲むように点々と存在していた。
一人が足元の、錆びて薄汚れた鉄屑を拾い上げた。
「こりゃあ、遺跡だぜ。この剣……百年前のものか……?」
「んなもん放っとけ……! へへへ……っ、ふへっ、へ……お、お前らっ、こいつが何だかわかんねえのかよ!!」
「透明な、木……? まさか……!?」
「ああ……! こりゃあ、やべぇ……!!」
三人以外、誰の気配も感じないその遺跡の中心地にそれは存在した。
この地は、すべて"これ"のために存在するのではないかと思えるほど、森で最も偉大であった。
氷のように透き通った、世界のどんな木々よりも美しい一本の樹。
幹は鉱石のように透明で、月明かりを妖しく反射する。夜空に手を伸ばすかのように枝を広げ、しかし決して届くことはない。長い時を経て既に枯れているのか、葉は一枚もついておらず、枯葉の痕跡も見当たらない。
まるでそういう造り物であるかのように、嘘のように透明に輝きながらそこに在る。
そして、気弱な男はそれを畏れた。
今まで見た何よりも、それを恐ろしいと思った。
本能が警鐘を鳴らしている。美しいと思いながら、何かを感じ取った肉体の指先は小刻みに震えている。
初めて魔獣と相対したときのような嫌悪感、恐怖が生まれた。美しさと、恐怖。その不釣り合いな感情が生まれた理由が、全く分からない。
そして、ほかの二人はそれを見ても何も感じないらしい。
恐怖どころか、むしろ欲望は頂点に達した。吟味するように四方に伸びた根の一部を、不気味な表情で撫で上げる。
「こ、こりゃあ……凄え。これほどの魔力を溜め込んだ素材があるなんて……!」
「へ、へっへええへ。公国がこぞって隠すわけだぜ!」
「二人ともっ……!! こ、ここから離れよう。何かとても、やばい気がする……!」
「ああ? バカ言うなッ!! 枝一本でも持って帰ってみろ。分け前を決めるなんてもんじゃあねえ。三等分したって、一生使いきれねえほどの金になることは間違いねえぞ……!!」
「俺は……魔法使い相手の商売を多少は知ってるが……こんな魔力の通った素材をお目にかかったこたぁねえ……!! 国一番の魔法使いだって、こんな凄えのは持ってねえはずだぜ。俺たちは英雄だ……!」
男たちはその、クリスタルのような一本の木を視界いっぱいに収めてしまった。
その瞳にはもはや、各自の持つ欲望しか映し出されていない。
名誉、金、女。
全て、この木が自分たちに与えてくれるのだと信じて疑わなかった。
月明かりすら透過するその樹は、孤独な森の中でぽつんとそこに在った。
そして、悠久の時を超えてやってきた三人の密猟者を、閑静とした風に吹かれながら見下ろした。
公国には、古くから伝わっているいくつかの物語がある。
そこに描かれる戦士や魔法使いは、誰もが憧れるような絢爛で、優美な活躍を、物語が語られるたびに繰り返している。その中には、百年前に起きたという戦争を綴ったものも存在していた。
−−その物語は、公国なら大人から子供まで誰もが知っている。
かつて、王国と呼ばれた国がこの大地にあった。
どこよりも繁栄し、恐ろしい魔王を倒した"勇者"を生み出した高名な国だった。
だが命を失ったはずの魔王の謀略によって勇者は操られ、国は人間を乗っ取る恐ろしい魔物で溢れかえってしまう。
もはや手遅れになり、守り手から新たな人類の敵となった王国。
それを優秀な魔法使いを数多く排出してきた公国が、新たに魔王となった勇者を打ち倒す。
この物語は実話であり、公国の人間なら大筋くらいは知っている。
その戦争を実際に経験した親を持つ今の大人たちは、決して森に踏み入ろうとはしなかった。
一方で、最近ではこの三人の男のように昔話にすぎないとする意見もある。
確かに森は不気味だが、それは公国が裏で何か知られてはまずいことを行っており、その隠蔽のために昔話を作ったのではないか。そのために公国の兵士の見回りが厳しいのではないかと主張する市民が出はじめたのだ。
警備をかいくぐる術を見つけて森に踏み入れた男たちも、街の人間も、真相を知っている国の人間でさえも、世代が移り、語り継がれた内容は失われた。
誰もが知っているその百年前の物語で語られなかった事実は、あまりにも薄れすぎた。
深淵にぽつんと在る、クリスタルのように清んだ、この世の何よりも美しい一本の枯れ木。
その地中深くで数多の白蛆が蠢いたことに、まだ誰も気付かない。