夕暮れ時のこっくりさん
「よっしゃ、ここで“おうまがどきのこっくりさん”の特殊攻撃! 勝ったっ!!」
「相変わらず強いなぁ、桜姉ちゃんは……」
夏休みも後半。
たまさか商店街の外れにあるゲームショップ「昭和屋」では、今日も元気な勝鬨が上がっていた。
ポニーテールを振り乱し、Tシャツ・デニムジーンズに紺のエプロン姿で椅子の上にあぐらをかいたまま、細腕を力いっぱい突き上げているのは店長の小栗桜。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか、女性にしては背が高いように見える。ジーンズのベルトホールに付けられたがま口ポーチには、今二人が遊んでいる“カードファイト・妖怪VS都市伝説”の【妖怪デッキ】が収まっている。
長身長髪で文武両道の残念イケメン女子。
この春、引退した父の店を継ぐため東京の大学を出て戻ってきた時、昔馴染みの商店会長が言ったそのフレーズが、彼女を端的に表していた。
「ふふーん、まだまだだね爽ちゃん」
爽ちゃんと呼ばれた男の子はカードを片付けながら小さく笑った。
石動爽太、中学二年生。昭和屋のいわゆる常連である。
中学生にしては小柄で、桜よりも頭一つ分程背が低い。
「それにしても爽ちゃん、しばらく見ないうちに随分大人しい感じになったね? 3年前はあんなにヤンチャだったのに」
「そんなこと、ないよ」
「そっか。あたしで良けりゃ相談乗るから、なんでも言いな? これからはずっとこのお店にいるからさ」
「うん……あれ」
「ん、どうしたの?」
「カードが一枚足りないんだ」
爽太が自分の周りを見渡している。だが、どこにもカードは落ちていないようだった。
「ない……」
「ない? じゃあ探しておいてあげるから、今日はもう帰りな? もう6時になっちゃうよ」
「あ、いけない」
「石動先生……あんたのかーちゃん、怒るとおっかないんだからさ」
そう言って桜は、元々細い目を更に細くして笑った。
彼の母親は中学教師で、かつては桜の担任だったのだ。
だいぶ叱られたなぁなどと、桜はぼんやりと思い出していた。
「普段はいい先生なんだけどねぇ。真面目すぎるんだよね、あの人は」
「お母さん、桜姉ちゃんの話するときはすごいニコニコしてるよ。友達が隣の中学の人にイジメられたからって乗り込んでいった話とか」
「なっ! それは言うなっつっといたのに……」
「他にも色々聞いてるよ?」
「あんのババァ……」
黒歴史を掘り返され顔を真赤にした桜だったが、爽太の次の言葉で表情が変わった。
「ねえ桜姉ちゃん。……こっくりさんって、知ってる?」
「……あたしの必勝カード、かな?」
「そっちじゃなくて」
「じゃあ、紙と十円玉で呼び出すやつ?」
「ううん。なんかね、夕方遅くになると出てくる妖怪なんだって」
「へ、へぇ……」
話を聞く桜の手が一瞬止まる。
爽太はそんな桜に気づかず、話を続けた。
「でも悪い妖怪じゃなくて、子どもを助けてくれたりするんだって。その代わりに、ちょこっといたずらをして、そっちに気を取られてるともう消えてるんだって」
「そりゃまた地味に困るね」
「うん。でも、ほんとにいたらいいな」
そう言って爽太は、寂しげに笑った。
「そしたら、僕のことも守ってくれるかなぁ」
「爽ちゃん……?」
桜は爽太に声を掛けようとする。だがそれを遮るように彼の口から出た単語が、桜の眼を丸くさせた。
「にえ……」
「! 爽ちゃん、その言葉、どこで聞いたの?」
「夜中、お母さん達が話してるのを聞いちゃったんだ。僕はその、にえってやつで、もうその歳だからって」
「あんた誕生日はいつ?」
「昨日だよ」
「……そっか。あ、ちょっと待って」
桜はそう言うと、エプロンのポケットからカードを一枚取り出し、爽太に渡した。
「これ持ってお帰り」
「カード? でも名前もないし絵もぼんやりしてるし」
「まぁ、お守りみたいなもんさ。ゲームに使うもんじゃないから、ポケットの中にでも入れておきな。……それから、今日は帰り道に周りをきょろきょろ見ちゃだめ。いいね?」
「あ、うん、ありがとぅ」
「じゃ、気をつけてね」
爽太が帰ったあと、桜は爽太の座っていた椅子の周りを探し始めた。
彼女が見ていた限り、爽太はカードを落としたりはしていない。最初から足りなかった可能性もなくはないが、意外と几帳面な爽太が家に忘れてくるとも思えない。
「おっかしいな……あ、あった、これかな」
テーブルから少し離れた棚と棚の間に、カードが一枚挟まっている。
手からこぼれて風に乗ったかな、と思いつつ、桜はカードを拾い上げた。
「これだ。すきま女だからってカードまで隙間にいなくてもいいのに……ん?」
カードの表を見た桜は、一瞬固まった。
確かにレアリティを表す“R”の文字、そして“すきま女”と書かれている。
だが、そこに描かれているはずのイラストは、塗りつぶされた様に真っ黒だった。
「これは! もう抜け出たっていうの!?」
桜は慌ててエプロンを外し、レジの傍らに掛けてある面を手に取ると、そのまま外に走り出した。
昭和屋から爽太の家までは歩いて10分もかからない。暗い道もないし、特に危ないところではないが、唯一つ。
爽太の家の近くにある、信号のない十字路が問題だった。
「見返りの十字路……すきま女……まずったね」
桜は後悔していた。
――今日が危ないのは判っていたのに、こんな逢魔が刻に、爽太を一人で帰らせるなんて。
焦る桜の前に丁字路が見えた。そこを曲がれば、見返りの十字路は見える位置にある。
桜は持ってきた面を頭に被り、腰のポーチから一枚のカードを取り出した。
「後でいっぱい謝るから。……無事でいてよね、爽ちゃん!」
桜が全速力で丁字路を曲がる。
そこには電柱を凝視して動かない爽太と、電柱と塀の間から顔を出し、彼に向かって手を伸ばす影のような女がいた。
「くっ! ……間に合えっ!!」
桜は叫び、カードを額の面に当てた。
その瞬間、桜の身体はカードに吸い込まれるように消え、彼女の持っていたカードがぽとり、と道に落ちた。
“UR おうまがどきのこっくりさん”
そのカードにはそう書かれていたが、イラストはやはり、真っ黒に塗りつぶされていた。
――――
昭和屋を出た爽太は、おどおどと何かに怯えているのか、脚をいつもより少し早く小刻みに動かしていた。
――桜姉ちゃんに言われたのに。なぜか急に横の電柱が気になってしょうがなくなっちゃった。
爽太は見返りの十字路に差し掛かる瞬間、つい無意識のまま十字路の角に立つ電柱を見た。
見てしまった。
その電柱の陰からは、影のように黒く薄い女が爽太を見つめていた。
「ニエ……贄の子……」
「あ……あぁ……」
爽太の脚は、完全に動くことを拒否していた。
この女は普通じゃない。
影の様に黒く、紙のようにペラペラな人間など、この世にいるはずもない。
だがそれは、爽太のよく知るモノではあった。
「す……すきま、女……」
「贄ぇぇえええっ!」
すきま女が叫んで手を伸ばした時、爽太はポケットの中にあるカードを握りしめ、思い切り目を瞑っていた。
そして、なぜかこの時、爽太の口から言葉が漏れた。
「桜っ、姉ちゃんっ……!」
その時だった。
爽太の持つカードが激しい光を放つ。
そのあまりの眩しさに、爽太は一瞬目を瞑った。
「! ……!?」
爽太が目を開けた時、彼とすきま女の間に割り込むように立っていたのは、ほっそりとした長身の女、のようなモノだった。
波打つように輝く長い銀の髪。白地に紺の糸で仕立てた巫女のような和服を、金色の襷で締め上げている。
頭には獣のような大きな耳がピンと立ち、三本の異なる獣の尾が生えていた。
「え……」
突然のことに言葉を無くした爽太に、女は振り返る。
その顔は、狐の面に覆われていた。
「もう少しお下がり。……大丈夫、あんたはあたしが守るから」
「え……あ……」
「邪魔をぉ……するなぁああっ!」
「五月蝿い」
狐面の女は、叫ぶすきま女にぴしゃりと言い放つ。
すきま女は、その言葉に殴られたように動きを止めた。
「お前ぇ……なんだぁ……?」
「“こっくりさん”……ていやあ分かるかい?」
「貴様ぁ! 裏切り者の言霊使いかぁ!!」
その言葉に爽太が驚きの声を上げた。
「こ、こっくりさん!?」
「そうさ」
こっくりさんと名乗った女は、すきま女から視線を外すこと無く応えた。
「……さて、覚悟しなすきま女。今からあんたをその居心地のいい隙間から、天下の往来に引きずり出してやる」
爽太は、こっくりさんが仮面の奥で、にやりと笑った気がした。
「……この“逢魔が刻の狐狗狸さん”がねぇ?」





