白雪姫の義母
欲望に塗れたモノは欲望の末に死ぬがいい。
この白い雪のように、暖かい綿のように見えて、氷のように冷たい。
この黒檀のように、例え死ぬことがあろうと、何度も美しく蘇る。
血のように、紅くさらさらとしながら、時が経てば粘着き固まり腐り落ちる。
私の子よ。私の命を奪え、その身で復讐を。
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「ベラドンナ! 僕と結婚してくれないか!」
綺麗な金のショートヘアが目の前で揺れた。
その碧い瞳は恋情に揺れていた。彼が彼でなければ魅力的だったかもしれない。
ただ私には彼が弟の様にしか見えなかった。
「嫌です、私はここで生活を続けるのです」
昔お婆様が拾ってきた赤ん坊。一緒に過ごしていた時間はだいたい15年。
おしめを替えた事もある人。いい所も悪い所も知っている。
これでどうして恋愛対象にできるというのだろう。恋の幻想を持てるわけがない。
「ベラドンナ。僕は本気なんだ」
彼の瞳は10年前には見なかった陰がある。
それだけ内乱は彼にとって過酷だったのだろう。彼が何を見たのかなど私は興味がない。
私を求めているのもその妄執を和らげるためではないだろうか?
「私はあなたを弟としか思えません。ムリです」
彼は拒否されると怒られた犬みたいな顔をした。
何故拒否されないと思っていたのだろう。
拒否するに決まっているじゃない。
「実は僕さ、王様になったんだ! 知ってた?」
内乱を治めたんでしょう。知っていますよ。
愚王と放蕩王子とそれを煽っていた貴族を征伐したのでしょう。
魔法の鏡を夜な夜なのぞき、自分の家族を調べたのも知っています。
「だから何でしょう? 私には弟弟子のクリスでしかありません」
何をとち狂った事を言っているんだか。
寝小便を垂れていた頃から知っているのに親愛以上の感情を持てるか。
お婆様に怒られて泣いたあの顔を思い出して笑えてくる。
「僕はベラドンナとあの頃の様に一緒に過ごしたい」
過去に妄執しているのだろうか。
もうここにお婆様もいない。もう亡くなってしまった。
ここには私しかいない。あの頃はもう帰ってこない。
「あなたには立派なお城があるでしょう。王様の務めを果たしなさい」
綺麗事なんていくらでも言える。
中身のない薄っぺらい言葉だ。
だが綺麗事の中には一片の真実がある。
「ベラドンナ。僕は君に城へ来て欲しい」
真実はいつだってガラスの破片の様に触る人を傷つける。
例えばここであなたの瞳が気持ち悪いとか言えばきっと傷つくだろう。
実際、過去の妄執で求めているのは気持ち悪くて仕方がない。
「私にはここに立派な家がある。またお婆様から引き継いだ侍従達もいる。ここよりも私が住みやすい場所はないでしょう。いくらの富を積まれたとしても私はここから出ません」
昔はもっと髪の色も明るくて綺麗だったのに疲れた色合いになっている。
昔はもっと細くて女の子みたいな綺麗さがあったのに、なんか尖っちゃって可愛くない。
私よりも小さかったのに今じゃ見上げないといけないなんて屈辱。
「わかった。でも僕は諦めないから」
諦めて。お願いだから。
「そう。勝手にして。私は絶対に行かないから」
真面目に取り合うとこういう手合いは相手されていると思ってつけあがる。
相手をしてはいけない。きっぱりと断るけれど見ない様にしないといけない。
視界に入れるのすら望ましくない。
「また来るから!」
嫌いの反対は好きだが、好きの反対は無関心という。
好きでも嫌いでもその人に対する気持ちの大きさには変わりないという事だろうか?
だとすれば私が無関心だと示せば離れてくれるだろうか?
「来なくていいです」
私は王城へと消える彼の背中に、聞こえるように言った。
きっとまた来るだろう。あれはそういう目をしていた。
非常にめんどくさい。
「魔女様、彼方の扉から来客が」
先代魔女、お婆様から引き継いだ侍従が頭を下げていた。
水のゲル化、魔物化、擬人化させた魔法生物。ヒューマノイドスライム。セバスチャン。
歴代の魔女が補修と改良を施した特製の侍従は人間並みの知能を手に入れていた。
「セバス。わかったわ。急いで向かうから終わった後の準備をお願い」
魔法は使えないが、人間の使用人よりもあらゆる面で使える。
液体のその体はどんな場所にでも入り込めるし、掃除も完璧。
汚れた液体は体の一か所に集め捨てる事が出来て、漂わせているフローラルな香りは疲れて荒んだ心を癒してくれる。
「かしこまりました。……魔女様、ちょっと疲れていませんか?」
セバスチャンの顔につけた白い仮面に心配という文字が書かれている。
何代か前の魔女様が付けた機能らしい。顔をイケメンにしたら師弟で方向性を巡ってケンカが起こったので仮面にしたという。
仮面に文字が浮かぶのは表情の代わりらしい。ちょっとマヌケではないだろうか?
「大丈夫よ。あの子がめんどくさい人になってしまった気疲れに過ぎないわ」
セバスチャンは私の手を取り屋敷に入った。エスコートの機能とかも魔女様方がつけたのだ。
歴代の魔女様方は出会いがないとか言って結婚をしない事が多いが、きっとセバスチャンが有能過ぎて理想の男性が高くなり過ぎたのだろう。
私もセバスチャンが入れば十分だと思うので、歴代の魔女様方には何も言わないし言えない。
「かしこまりました。ハーブのお風呂を用意してありますので後ほどゆっくりお入りください。甘くないレモネードも用意してあります」
セバスチャンは液体の操作に特化している。
彼がいるだけで水仕事の大半ができるのだ。
彼がいない生活を私には考えられない。
「ありがとう」
王城がこの屋敷よりも心地よい可能性なんてそもそもないのだ。
気心の知れない使用人が辺りを闊歩する? 怖いじゃない。
この何不自由しない1人暮らしが慣れた私がそんな生活をしたくなんてないわ。
「千客万来だわね」
それに魔女としての務めもあるし、どの道この屋敷から離れられないんだから。
途中で放り出していったあのバカは知らないでしょうけど私は本当に忙しいの。
魔女の道を知られているからまた来そうなのが面倒極まりないわ。
「早く終わらせてレモネードを飲みたいわね」
今日はどこの世界からのお客様だろうか?
争い事にならないと嬉しいな。
あぁ、でもこのもやもやの解消のために争い事になってもいいかも。
「お嬢様、お仕事が終わったらいくらでもお飲みください」
セバスチャンに先導されて私は屋敷の側の洞窟に向かう。
狭間の世界は異界のモノが初めに訪れる場所なのだ。
今隣接している世界はどこだろう? 妖精界? 悪魔界? 天使や竜の住む世界も面倒だ。
「本日のお客様は誰かしら?」
先を行くセバスチャンの背中に問いかけると1枚の紙を渡された。
紙を見ると水色に透き通った人型の姿が目に入る。
水の精霊、ウィンディーネだ。落ち着いて椅子に座っていてくれている。
「精霊界からのお客様ね」
セバスチャンの分体がミストを噴き出しているのか、画像は霧に覆われている。
霧越しに見えるウィンディーネの表情はとても柔らかい。
今回は穏やかに話が出来そうだ。
「お客様の御用はなにかしらね」
正当な取引であれば問題ないのだけれど、面倒な取引を持ちかけられたら困るのよね。
こちらから求めるものは今まで通りの付き合いでしかない。
過剰に渡されても、過剰に求められても受け入れられないのです。
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「だぅだぅ」
黒髪のその赤子は親の呪いを一身に受けてこの世に生を受けた。
その深い青い瞳を見たものは心を奪われた。
白い肌は新雪の如く、黒い髪は黒檀の如く、唇は血の様に紅い。
その女の子の名前はマルガレータ。
後に「白雪姫」と呼ばれる女の子である。





