異世界転生者は減退しました
トラックと呼ばれる巨大な魔獣に轢き殺された勇者が蘇って魔王を倒したってのは幼児でも耳がスライムになるくらい聞かされる英雄譚だが、俺がそんな伝説の英雄になりたがっていたかと言うと自信満々に言うわけではないがなりたくなかった。
トラックなどと言う高速移動する巨大なドラゴンサイズの魔獣に轢き殺されたくないし、思い出せば幼馴染のレイアも英雄が最終的に王から疎まれて出奔させられるというビターエンドの話に憤っていたと思う。
そんなわけで英雄になるつもりは全く無かった俺だが、英雄になる才能や知識は持っているにもかかわらずにならない。そんな選択をできることが、実は完全なる思い込みであるだけのことに気付いたのは十五歳の能力鑑定式の日のことだった。
いや、違う。それより前に解っていたことだ。ただ、認めたくなかっただけなのだ。魔王ですら一撃で屠ることができる魔法能力が目覚めることを勝手に期待していたのだ。
畑を耕して小麦を育て時間があれば山に山菜取りや芝刈りに行く、時々禁止領域に入り込み闇採取や密漁をする。そんな生活に比べて、王都の宮廷で強大な魔法使いとして暮らすことへの憧れ。
くうぅ、超潜在魔法能力が覚醒して欲しかった!
ゴブリン族の襲来を国境線で巨大な魔法を行使して阻止したり、クーデターの一環として貴族にさらわれた王女を風の魔神のように救出したり、疫病で瀕死に陥っている街を神官らと一緒に救ったり、そんな世界に身を置きたかった!!
とは言え、英雄となって一人で全てに立ち向かうのは大変だ。能力があるからと言ってひけらかして疎まれては、英雄譚の二の舞である。だったら、サポート役に回ればいいじゃないか。能力はあるけれども、あくまで魔法師団の団員として行動する。みんなから一目置かれているけど責任はそこまではない。偉い人との交渉とか面倒なことは師団長がやる。出すのは知恵と魔法のみ。完璧だ。俺、天才じゃないか?
もしくは、俺は王に能力を認められて王女と結婚するのだ。無論、王位継承権は低めだ。バックの貴族を有しない人間があまり高い王位継承権を手にするのは危険だ。暗殺されるのは勘弁。だから、王や貴族の庇護下に入り好き放題に魔力を使って魔獣や悪人を倒してくのが理想だ。
だが、俺に告げられた現実は残酷だった。
誰にでもあるはずの魔法素養が全く無かった。百人に一人くらいはいるらしい外れ能力者だった。練習すればレベル一程度の魔法は使えるようになれるかもしれないと、滝に打たれながら水魔法を練習しても出たのは単なる両手でやるお遊びの水鉄砲だけだったし、アツアツに加熱したスープを飲んで炎魔法を使えるかと思っても舌を火傷しただけだったし、村外れの木から飛び降りて一週間足を引きずる羽目になったのは痛いだけだった。
もしかしたら魔法を打ち消す特殊能力かもしれないと期待してもみたが、無事に風魔法能力を発現させたレイアの風魔法で吹き飛ばされてしまったし。
やはり、英雄になれるほどの魔法能力を持つためには魔獣に轢き殺される必要があるのだろうかと禁止領域での違法行為に精を出していたある日、
――ミネルバ・キスレグルス・アークトゥルスと邂逅した。
◇ ◇ ◇
禁止領域に入り込み薬草や魚を闇採取・密漁することは違法行為である。そんな小さな子供ですら理解していることを無視して川沿いに山奥に入っていく俺とレイアは、夏の暑さに負けてかなりの汗をかいていた。カナカナカナと鳴く蝉の声に幾ばくばかりかの涼しさを感じながらも、時折襲いかかってくる大量の蚊にウンザリしていたし、いつもの滝壺までは二、三時間はかかることを考えると気絶しそうになる。畑仕事の方が楽かもしれないと口にしたくなるものの、どんなに頑張っても地主に半分以上は取られることを考慮すると、間違いない実入りのために密猟に頼るのは仕方がなかった。
かと言って、命をかけるほど追い詰められているわけではない。だから無理はしない。禁止領域に住み着いている魔獣と命のやり取りをするつもりは毛頭ないのだ。そもそも、違法行為と言っても村で決められたようなローカルな決まりで監視されているわけでは無い。大人数での狩猟でなければ黙認されている。その代り、時折帰らぬ人となることはあるが。
魔獣って言うと恐ろしそうに聞こえるが、禁止領域に住んでいるのは人喰い熊だ。恐怖を呼び起こす魔力の咆哮を放つ以外は、特別な魔法を使うわけじゃない。武装した小隊規模の兵士ならば、苦労せずに倒せるほどの魔獣だ。
最近、王都を襲撃した高レベルの魔獣が逃げ込んできたという噂はあるが、遭遇する可能性は低いだろう。本当に危険な魔獣ならば、村に騎士団や魔法師団が来ているはずだし、外出を制限する命令が村長から発せられる。どうせ、掴みが欲しい商人たちが話のネタに尾ひれをつけているだけだろ?
だから、俺と幼馴染のレイアの二人は、ちーっとも気にしないで禁止領域を散策していたわけだ。金目になるものは無いか? 金、金、金、若しくは食えるものは無いか? 食い物、食い物、食い物。欲にまみれながら、歩き続けていたのである。
「ヒュノ腹減った」
先に歩いていたレイアが立ち止まる。
「もう少し頑張ろうよ。滝壺で魚を釣って食べよ」
「美味しいよこれ」
振り返ったレイアは握り飯を頬張っている。
「な、何で勝手に食べるんだよ」
「食べないなら、食べるよ?」
俺は差し出された握り飯を奪い取るようにして食べる。一口で飲み込むようにして食べると、レイアが持っていたリュックサックをひったくって中身を見る。と、どうやったのか既に半分は食べられている。残しておいたら全部食べられてしまう。焦燥感に襲われた俺は、レイアと奪い合うようにして、持ってきていた食料を……。
「だああああああぁぁ。全部食べちゃったじゃないかッ!」
「美味しかったね」
「ま、美味しかったけどさ」
ありがちな展開とは言え困る。このままだと採取した食料まで食べてしまいそう。もし、そんな事になったのならば、赤字である。栗の木を育てようとしながら、栗の実を片っ端から食べてしまうようなもの。まさにびっくりだよ。
などと言う俺の悩みなどつゆ知らず、レイアは金髪のポニーテールを揺らしながら絶好調で歩き出す。頭一個分低い彼女は、畑仕事をしているからか筋肉質でグラマーだ。黙っていれば可愛いのだが、ちょっととぼけたところがあるのが玉に瑕だ。
「今日は絶好のピクニック日和だね」
ちょっと待て。目的を勘違いしていないか? そう突っ込もうとすると彼女は唐突にしゃがみ込み、きのこを採取している。見るからにけばけばしい色で傘が開いている食べた記憶がない種類だ。食欲はそそられないが、それはどうでも良い。もしかして、レイアは俺よりも働いている?
「美味しそうだね」
俺が褒めるように声を掛けると、レイアは首を傾げる。
「これが?」
「だね。名前は知らないけど」
「ヒュノは笑い茸を食べるつもりなの?」
レイアが自慢するように突きつけてきたきのこを俺はひったくるようにして奪い取り、「喰えるかあああああぁ」と叫びながら渾身の力を込めたオーバースローで適当な方向に投げる。
「あああああぁぁ、折角拾ったのにぃ」
レイアは落ち込んだ様子を見せるが、すぐに気を取り直して歩き出す。嘆くほどのことではない。所々に笑い茸が生えているのは確認できたし、滝壺まであと僅かな場所に来ていたからだ。
「魚、魚、お魚さんっ」
前言撤回。ちーっとも落ち込んでなどいなかった。食い意地の権化と化したレイアにとって、目の前に映っているのは次なる食料。目的のためには全てを忘れる。幸せちゃんなのだ。ああ、余計なことを考えすぎる俺にとっては羨ましい性格だ。
鎌で藪を払い鬱蒼とした森の中から川岸へ出た。秘密の滝壺は目の前だ。今度こそ保存食にするか、売っぱらって現金にするんだぞ。そう心に言い聞かせながら滝壺に近づいたその時、岸辺の大岩に人が座っていた。
「あれれぇ? 先客がいるよぉ」
レイアの声に近づきながら目を凝らすと、とてつもない美少女がいた。
「我が名はミネルバ・キスレグルス・アークトゥルス。待ちわびたぞ魔獣ども」
ウェーブがかった銀色の髪をしたミネルバは、清流のような澄んだ瞳で俺たちを睥睨しながら大岩の上で立ち上がる。
「ああっ、可哀想。魔獣にされちゃったよヒュノが」
「多分、レイアもだよ」
「なっ、何でぇ? ありえないよぉ。何処からどう見ても魔獣に見えるわけないじゃないヒュノと違って」
俺とレイアは軽口を叩きながら、ミネルバに近付こうとした。人間と魔獣を見間違えるなんてありえない。目が悪いとか、そんなレベルではない言違いに、場所を専有するために冗談を言っていると思ったんだ。打ち解ければ世間話でもしながら一緒に仲良く釣りができると思っていたんだ。
ミネルバが人差し指に、目を溶かすほどの光量を持つ魔法を現出させるまでは。





