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片翼の女王とむよくの騎士

 それは、ごく普通の日だった。


 どんよりとした曇り空の下、夏らしい湿った熱風が彼らに襲い掛かっていた。


 しかし、甲冑の下が汗ばもうとも、並んでいる兵士たちは戦いの合図があるまで、一切の動きが見えなかった。


 それは、どんな立場の者であってもだった。


 揃いの鎧をまとった歩兵。

 鼻先まで同じ場所に馬を並べた騎馬隊。

 直接戦いはしないが軍の食料品の管理を任されている歩哨。

 同じく前線には立たないが一度、戦いが始まれば休む間もなくなる衛生兵。


 そして、元は大帝国の皇帝の側近であり、元女王の夫だったはずの将軍であっても――――――




 彼らが陣取っているのがよくわかる小高い丘の上。


 白銀の鎧を身に纏う黒髪の女が、相対(あいたい)している陣営を眺めていた。

「――――あいつも来るわな」

 ある場所まで動かした時、視線をその一点に固定したままそう呟いた。その言葉に一切の感情はこもっていなかった。


 彼女の視線の先には、一番身分が高いはずなのに、それを決してひけらかそうとするのではなく、むしろ、隠そうとしているようないでたちをしている赤髪の男がいた。

 彼は彼女の元夫であり、彼女――元女王を玉座から落とした男でもある。


 彼女は決して心の奥は穏やかではなかったが、何も言わずにそのままその場を去った。

 そして、彼女がいるべきところへ戻ると同時に、戦いの始まりの合図が鳴り響いた。


****************


 その戦の三年前にさかのぼる――――


『大帝国』レスツィン城・皇帝執務室。



兄様(にいさま)。一体、何のご用事ですか?」


 漆黒の髪をなびかせた女――エリザは、自分を呼んだ皇帝の部屋へノックなしに入った。


 十五歳の彼女が身に纏うのは女性らしいドレスではなく、男物の騎士服。だが、彼女とすれ違う人は皆、違和感を覚えることなくすれ違う。


 否。今でも違和感を覚えるものは多いが、それを指摘するものはもういないというだけ。


 彼女が先帝の庶子として王宮に呼ばれた当初、女性である彼女が馬で野を掛けたり、剣を扱ったりする様子を見た貴族たちから『猿』だの『猪』だの言われたが、それを改めることもなく、十年以上たった今は、あからさまに嘲笑を浮かべる者はいない。


 ――――――――もっとも、彼女と親しくするものもいなかったが。


 彼女が数少ない話し相手は侍女の一人と小姓頭、そして兄である現皇帝、グスタフのみだ。



「よく来たね」


 (いにしえ)の賢帝の生まれ変わりのごとし、と評される兄は、その榛色の瞳を細め、柔らかく彼女に喋りかけた。

「はい。兄様のためならばどこへでも参ります」

 兄の柔らかな笑みに、いつも通りの言葉を返すエリザ。その言葉に一切の嘘や欺瞞(ぎまん)は含まれていない。


「そうかい」

 グスタフはエリザを手招きした。彼もまた、皇帝という身分であるので、親しいものを作ろうとしない。だが、エリザには全くと言っていいほど甘かった。

 エリザが兄の元へ近づくと、一枚の紙を彼女に提示した。


「なんですか?」


 普段、エリザは政治の事には口出しをしない。

 それは彼女が庶子であることから、できる限り知恵をつけさせたくない、という周囲の思惑もあったし、彼女自身、政に全く興味がなかったので、そのような仕事をしてこなかった。


 だからこそ、その紙を流し読みした彼女は、違和感を兄に抱いた。

「これは――――」


「ああ、エリザも気づいたね」

 よしよしとする姿は、まるで本物の親のようだった。

 その通りだよ、そう何事もなかったかのような語り口で、兄は話し始めた。


「海の向こうのベック王国の王が死んだ。

 だが、不幸なことにあのジジイは猜疑心の塊で、身内、親戚一族をすべて粛清した。自分の息子や娘までも、ね。

 だから、ベック王国の王位を継ぐ者がいない。

 数年前ぐらい前には、親戚だと自称していたノースベック王もすでに代替わりして、今の国王はベック王なんぞいらない、とほざいているんだよね」


 あいつが引き継いでくれりゃ、こっちにお鉢が回ってこなかったのに、ところどころ毒をにじませながら語るルドルフの目には、一切の感情が映っていなかった。


「そこで、君に命令(・・)があるんだ」


 グスタフが使った言葉にエリザは首を傾げた。今までは『お願い』をされたことがあっても、『命令』されたことはない。


「君にベック王国の王位を継いでもらう」


 その言葉に戸惑いしか浮かばなかったエリザだった。


「私には学がありません。それに、また別のところに行かなければならないのですか?」


 エリザは直球で質問したが、グスタフは微笑みだけを返した。

 その微笑みは、夜会などで貴族に挨拶をするときのものと同じ、表面上のものだということに気が付いた。

 


「ああ。エリザの力が必要なんだ。

 というのも、ベック王国は向こうの海峡を望む要の国。王の血筋を引くものがいなくなった今、なるべく大国の後ろ盾がないとやっていけない。その候補に挙がったのがうちを含めて五国。だが、他の四国の皇族・王族ともにベック王国を託すにふさわしくない人物ばかりだ。


 そう意味で言えば、エリザ。君は最高に『駒』として優れているんだよ」


 グスタフの回答にエリザは心の中で自嘲した。

 そう。いつ、どんな時であっても自分が『ちょうど良い駒』なのだと、あらためて認識させられたから。


 皇家から迎え入れられた時だってそうだった。

 あの時も父親である先帝はエリザをろくに見もしなかったし、今でこそこうやって喋るグスタフだって、しばらくの間は腫物に触るような態度をとっていた。


「それに、学がないことも問題はないよ。副官を二人付けるから、彼らに従っていれば問題ないさ」


 彼はいたって涼しい顔をして言った。

 しかし、そんなもの好きな副官は一体誰なのだろうか。こんな自分のために『大帝国』を捨て、田舎であるベック王国について行ってくれる物好きは、と心の中でぼやいたエリザだった。


 ちょうどその時、廊下から足音が聞こえた。

「おお、ちょうどいいタイミングだよ」

 ルドルフは嬉しそうに言って、彼らを招き入れた。


 彼らは彼女にも見覚えのある人物だった。

 エリザよりも前から皇帝の元にいる二人、彼女の侍女と、その侍女と親しい庭師だった。


「すでにベック王国行きの内示は下っているよね?」


 ルドルフの問いかけに頷く二人。

 大人しい小柄な少女とそばかすだらけの顔をした茶髪の長身の青年は、エリザの方に向かって敬礼した。

「二人とも君と親しいはずだ。二人となら、必ず連絡だってつくだろうし」

 グスタフの言葉に、困った顔をしたエリザ。


 ジェーンとヘンリー。彼らはエリザがここに引き取られて以来、彼女の話し相手となってくれている。

 もちろん、嬉しいことこの上ない。


 だが。


 海を挟んだ向こう側、ベック王国に連れていく、という意味では少し不安だった。

 二人が頼りないからという訳ではなく、その反対。


 彼らを私のために、借りてしまっていいのか、という困惑だった。


「大丈夫だよ、エリザ」

 そんなエリザの困惑を兄は打ち消した。

「むしろ、二人とも連れて行ってくれる方が、こちらとしても助かる」

 兄の言葉に驚きを隠せなかったエリザは、それを疑うことをしなかった。




 そして、その話から一か月たち、エリザ達三人がベック王国へ旅立つ日がやってきた。


 すでにエリザをベック王国国王に指名する、という大聖堂勅書を受け取っているが、周囲に知らしめるために仰々しい式典が執り行われていた。


 女王として正装したエリザを、今まで遠巻きに嘲笑していた貴族たちは一転して、突然の発表に驚きつつも、つながりを作りたがっているのがありありと感じられた。

 だが、エリザは今までの仕打ちには、庶子だから、ということで甘んじて受け入れていたものの、決して機械ではない。甘い汁を吸おうとしている彼らに近づくつもりは毛頭なかった。



 式典がすべて終わり、ベック王国行きの船に乗り込むため、港町へ向かう馬車に乗り込もうとしたときに、それは起こった。


「お待ちください」


 聞き覚えのある声が、エリザを引き留めた。

 彼女が振り向くと、そこには赤髪の美男子がそこにいた。


 彼は確か、皇帝の最側近を務めている騎士であり、最も皇帝と親しい男で、いつも無表情だったのを知っていた。エリザはとっさに、兄に何かあったのかを尋ねようとしたが、それよりも素早く彼の方が自身の剣を差し出しながら口を開いた。


「エリザベート国王陛下。私はわが剣をあなたに捧げる所存。どうか、この剣をお納めください」


 彼が言ったのは、帝国に古くから伝わる騎士の宣誓。

 騎士団に入団するとき、それも一度しか口にしてはならない言葉なのだが、それを(皇帝)ではなく、エリザに彼は捧げた。


 彼はあからさまに彼女を見下したこともなければ、気軽に喋ったこともない。

 しかし、毎回、兄の部屋で彼を見かけるたびに、いつかきっと、彼を手に入れたいと思っていたのを思い出した。


「同行を許しましょう」


 だから、ついエリザは言ってしまった。

 この選択が、後々、どんな運命をもたらすのかも考えずに。

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