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デブスの没落貴族に転生したら、やっぱり成金ブサメンと政略結婚する流れになった  作者: o槻i
邂逅編

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80/82

80.開幕③

 



「ラシェルちゃん、ホントすごく頑張るよね」

 ひっ、と思わず息を呑んで、ラシェルはビクリと肩を震わす。

「けど、それってひょっとして、兄さんから頼まれた仕事だから?」

「い、いえ……そういうわけでは…………」

 ラシェルの返事に、そう、と満足気な笑みを浮かべてアンリが頷く。

 考えに集中するあまり、いつの間にか彼がソファーを立ち、何処からか椅子を引っ張り出して来て、ラシェルの隣に陣取っていることすら気付かなかった。

 暫くソファーでゴロゴロしていたものの、結局寝付けなかったようだ。

「それにしても、さらに上達したよね、タイピング。誤字や脱字があったら教えてあげようかと思ったんだけど、その必要も無さそうだし」

 ありがとうございます、と抑揚のない声でアンリを一瞥して返す。

 相変わらず気は進まないものの、彼の相手をするよりマシと手元に目を落として作業に戻った。

 どうにも彼には、つい当たりが強くなってしまう。

 これまで彼がラシェルに犯した数々の所業もさることながら、何を隠そう、実は攻略キャラ五人の中で唯一、好みでなかったのがこのアンリだったりする。

 緑色の瞳に、緑色のウェーブがかったショートボブという外観から、前世では彼をワカメと呼んでいた。

 しかも関係を深めていくにあたって悉く共依存を強要してくる性格が、正直面倒臭くて苦手だった。好みでもないキャラと共に堕ちる性癖など持ち合わせていないので、適当に躱していたら自殺しちゃったというのは最初の頃のエンドでよく陥っていたパターンだ。

「ところで、ラシェルちゃん」

「はい……」

 作業の邪魔になるのであまり話しかけないでくださいとも言い難く、代わりに御座成りな返事で返す。

「婚約者さんとは、相変わらずなの?」

「えっ……?」

 先まで堂々巡りしていたことの核心を突かれた気がして、一瞬、タイプする指が止まる。

「ホラ、紙の上だけの契約ってヤツ」

「あ、……ええ、まぁ……」

 とはいえ、彼に他人の思考が読めるはずもなく、単にタイミングの問題だと自分に言い聞かせて、それでも動揺する胸の内を隠しきれず、ラシェルは曖昧なトーンで返した。

 前世の記憶を夢に見て、ディルクの心がリサに奪われると知り、ラシェルの内面は複雑な思いを抱えて随分変わったけれど、外側から見れば何ら変わりない。

 愛のない政略結婚が依然として存在する、ただそれだけのことだと頭の冷静な部分がラシェルに語り掛ける。

 それにしたって、どうして今、アンリはこんなことを聞いてくるのかとラシェルは爪を噛んだ。

 やはりとことん、彼とは相性が悪いらしい。

「だったらさ、一つ提案なんだけど」

「何でしょう」

 話したくなくて、作業に集中する傍ら、あくまで事務的に応える。

「この際、俺に乗り換えてみるっての、どう?」

「……はぁ?」

 流石に何を言っているのか訳が分からず、手を止めアンリの方を振り向く。

「あ、やっとこっち向いてくれた」

 嬉しそうに綻ばせる表情はまさしくワンコそのものだったが、口から出てくる言葉が物騒なこと極まりない。

「紙の上だけで愛のない契約っていうなら、いっそ俺と結婚しようよ。俺、結構尽くすタイプだし、あっちの方も自信あるし。ラシェルちゃんさえ良ければ婚前交渉も俺、全然アリだから。一度、試してみる? きっとハマると思うよ」

 ニコニコといつもの人好きする笑顔で、さも簡単に言ってのける。

「俺、狙った子で落ちなかった女の子はいないから安心して。絶対、ラシェルちゃんも俺のことすぐ好きになるよ」

「…………」

 俯き、暗い表情で戦慄く拳を握りしめながらラシェルは声を張り上げた。

「ふざけるのも、いい加減にしてください……ッ」

 ただでさえ夢見が悪く寝不足で、それに加えて作業を邪魔されたイライラと、彼に対するこれまで溜め込んできたものが、(つい)にラシェルの中で爆発した。

「うん? 俺なら全然、本気だけど」

 バン、とデスクに勢いよく両手を付いて、ラシェルは突然立ち上がる。

 その迫力に気圧されたアンリが、後ろへとよろけた。

「へ……? な、何……?」

「ヒトをコケにするのも、大概にしてください! そりゃ、貴方にとってみればウチなんて、取るに足らない、吹けば飛ぶような貧乏伯爵家でしょうけど、私だって一人の人間なんです。軽んじられたら悲しいし、卑猥な言葉を投げかけられたら傷つくし、抱きつかれたり、服……制服に手を掛けるようなことをされたら怖いし、あまつさえその場のノリでプロポーズなんて……人をバカにするにもほどがあります!!」

 ぶわっと、思いがけず涙が溢れた。

 今まで鈍感なフリしてなるべく深く考えないように、何事もなかったような顔して必死で流してきたが、これまでのアンリの言動に、本当は酷く傷ついていた。

 それが、今朝の夢のこともあって、さらには追い打ちをかけるかのようなアンリの無神経さに()てられ、とうとう気持ちが暴発した。

 もう、一杯一杯だった。

「それが言うに事欠いて、結婚ですって?! 笑わせないでください。貴方、ウチの借金が一体いくらあったかも、ご存知ないでしょう?!」

「えと……ラシェル、ちゃん?」

 冷静になろうよと、やや引き気味に笑顔を引き攣らせて、ラシェルの勢いにアンリが腰を抜かす。

「先祖代々貧乏を拗らせて、膨みに膨らみまくった借金、舐めないで下さい。具体的な額は貴方のお父様も把握されてると思いますが、歴代宰相をお務めの侯爵家といえど確実にお家向きは傾きましてよ?」

 ラシェルはいつになく強い口調で、ぴしゃりと言い切る。

 実際、千年の恋も一気に冷めるほどの額だ。

「それともウェーバー家が立て替えたウチの借金、()()()耳を揃えてお支払い頂けるとでも?」

 勝算も下心も当然あるのだろうけれど、それでもどれほどの気概でもってディルクがフィリドールに婿入りし、領政を立て直そうとこれまで尽力してきたか知りもしないで、簡単に言わないで欲しいと思った。

 今でこそ元気に回復しているが、去年の夏……初めてディルクと出会ったあの頃、彼は体調を大きく崩していて、けれど無理を押して領のために働いてくれた。そのせいで一時は死相が現れるほど疲弊したというのに、それこそ命がけで尽くしてくれた。

 そう、……命がけで。

 夜毎徹夜で、全身全霊をかけて。

 言葉も文化も生活様式も違う異国の地で、たった一人。

 多額の資金まで投じて。

 なのに、…………それよりもっと、これまで自分が努力して築き上げてきたものよりずっと、リサの方が大事だと言うのだろうか。

 ラシェルの頬を、いくつもいくつも、涙が伝う。

 リサという、たった一人の女性のために、ディルクは全てを(なげう)ってもいいと…………それほどまでに彼女に執心してしまう未来が、本当に来てしまうのか――――――……!

「ラシェル……ちゃん……?」

 ラシェルの様子がただ怒っているものから変化したことに気づいたのだろう、一転して心配そうな色でアンリがラシェルの表情を窺った。

 ぐちゃぐちゃだった。

 頭の中。

 顔も。涙で。

「あっ、待って……ラシェルちゃんっ!?」

 引き留めようと手を伸ばすアンリを振り切り、溢れる涙を服の袖口で拭いながらラシェルは逃げるようにそのまま生徒会室を飛び出した。

 アンリに対して酷く無礼なことをしてしまった。言ってしまった。

 身分差とか、家格の差とか。いつもの打算が、頭の中を駆け巡る。

 けど正直、これ以上何も考えられなかった。

 止まらなかった。堪らなかった。

 悔しかった。辛かった。許せない、とも思った。

 ディルクの心を奪うリサ、彼女にその心を捧げてしまうディルク、そんな状況が待ち受けているかもしれないという、未来そのものが。

 気付けば中庭の花壇の隅を、肩で息をしながら一人、とぼとぼと歩いていた。

 頭の中は相変わらず真っ白で何も考えられず――――否、ディルクとリサの今後の関係のことでいっぱいで、フラつく足元を、それでも如何(どう)にか前に進めているといった状態だった。

 けれどまだ、その未来は当分先で、しかも実際どう現実が転ぶかは、よく分からなくって……。

 そうだ。物語はまだ、始まってすらいない。

 これからどうストーリーがゲームのシナリオに向けて軌道修正されていくのか、それともこのまま別の物語を紡ぎ出すのか、何もかもが全くの未知数だ。

 なのにふと気を抜くと、彼の心がリサに奪われる妄想へと囚われてしまう。

 過去に見たゲームのシナリオと、不確定な未来との、ひたすらループだった。

「あの、もし……」

 覚えず、後ろから声をかけられた気がして徐に振り向く。

「この学園の方でいらっしゃいますよね?」

 顧みた先に声の主を確認して、ラシェルは息を呑んで瞠目した。

「私、明日こちらへ転入を予定しているのですが、迷ってしまって。職員室は、どちらに行けばよろしいでしょう」

 僅かに正常を保っている脳の片隅をフル回転させ、ラシェルは(ようよう)、渡り廊下を指し示す。

「あの廊下を左に曲がって、……東校舎の……二階です」

「ありがとうございます」

 恭しく頭を下げ、軽やかな足取りでラシェルが指さした方へと立ち去る少女。

 どうして、とラシェルは混乱した。

 今はまだ、六月に入って間もない一学期だ。

 明日から編入? 嘘だろう。何故?

 時期が早すぎる、と彼女の背中を見送りながら心の中でそう呟く。

 見間違いか、勘違いか。

 一瞬躊躇って、けれどあれほどの美女を見間違えるわけがない。

 そう。

 彼女は間違いなくリサ・ドゥ・ポーシャール――――――――『天蓋の虹』主人公、その人だった。




 物語は確実に、本線を外れて進んでいる。




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