8.節約レシピ
終業式を終え、正午過ぎに王都を出たラシェルの馬車が領地入りしたのは、その日の夕方過ぎだった。
帰省したラシェルが一番最初に目にしたのは、世にも恐ろしい死霊と化す一歩手前のようなディルクの姿だった。
丁度、資料の詳細を訪ねて、離れから父の部屋へと向かう所を偶然目撃したのだ。
「……彼、また痩せた?」
なんかもう、あの容貌は、異形を通り越して死相すら出ている。
ラシェルは使用人に訊いた。
「はあ……。あれから更に、日に日にお窶れになって……」
「ちゃんと食べてるの?」
「それが、胃が何も受け付けないとかで。かろうじてコーヒーとチョコレート、それから赤ワインなら口にできると仰られて、それらを少量」
「食べる物も気になるが、あの男、一日中離れに閉じこもったきり殆ど外に出ておらん。あれじゃ、腹も空かんて。わしゃあ、奴がこの屋敷に来て、その姿を見たのは今日が二度目じゃ」
庭師のおじいさんも加わって、不審者談議に花が咲く。
ラシェルは内心、ほくそ笑んでいた。
自分には前世の知識がある。勿論、詳しいことは分からないが、この異常な痩せ方は所謂、死に至る病のそれではないかと密かに予感したのだ。
すぐには死ななくとも、それなりに重い病を患っているとみて間違いない。
あれだけ政略結婚に絶望し、しかも相手の男であるディルクにいいように言いくるめられ、人生お先真っ暗と諦めていた矢先、希望の光が見えた気がした。
借金は、結納金と称して既にチャラにしてもらっている。
彼さえ死ねば、晴れて自分は自由の身。今までよりもお金に苦労することなく、恋愛結婚……ならぬ恋愛再婚? だって、夢じゃないかもしれない。
デボラに入浴の準備ができたと声を掛けられ、ルンルン気分で汗を流す。久々の、家族水入らずでの夕食にも舌鼓を打ち、気分よく床に就いた。
翌朝、最悪の気分でラシェルは目覚めた。
何て自分は、下衆で外道な人間なんだ……。
夜、布団に入って、改めて自分の思考を振り返った時、罪悪感で死にたくなった。
たとえどんなに嫌な相手だろうと、人の病を喜び、あまつさえその死を望むなんて、最低の人間がすることだ……。自分、どんだけ身勝手なのだろう。
寝癖もそのままに、ボサボサの頭とパジャマのまま、気付けばラシェルは厨房へと足を運んでいた。
今朝のスープはミネストローネなのだろう、野菜出汁のいい匂いが厨房の外まで漂っている。
「お嬢?!」
料理長のジータが、突然現れたラシェルに思わず声をあげる。その奥では、まだ若い……というよりは幼いといった形容の方が合うだろうか、新入りである見習い少年が配膳準備に追われていた。
「そんな格好で……どうかされましたか」
お前はそのまま準備を続けてくれと少年に言い置き、ジータが厨房の入り口に佇むラシェルのもとまで来てくれる。
彼は長年、厨房で働いてくれているコックだが、我が家が他に手伝いのできる使用人を雇うことが出来なかったため、これまで一人で調理場を切り盛りしてきた男だ。それがディルクの計らいで、やっと先日から一人、こうして見習いを雇うことが叶ったのだとラシェルは思い出す。ようやく少し楽が出来るとジータが喜んでいた話を、デボラからも聞いたばかりだった。
今朝のスープはミネストローネなのだろう、野菜出汁のいい匂いが厨房の外まで漂っている。ラシェルはそれを胸いっぱいに吸い込んでから、ジータに訊ねた。
「ディルク、昨日は何か口にできたもの、あった?」
ラシェルの問いに、ジータが首を横に振る。
「無理やり食べると吐いちまうらしくて。結局、昨日は何も」
「そう……」
せめてもの罪滅ぼしに、何か作って離れに持って行ってあげれば、昨夜抱いた罪悪感も少しは和らぐかもしれないと思い、ここへ来た。が、よく考えてみれば、今生の自分は一切の料理経験がない。その上、前世も専業主婦だった母が家事全般をこなしていたため、きちんとした、所謂「名のある料理」というものは一度たりとも作った例がなかった。掃除洗濯はお手伝いで仕込まれたけど、料理のレパートリーとなると、自分で適当に考案しておやつ代わりに食べていた節約簡単レシピくらいしか……。
と、そこで、チラリと視界の端にパンの耳が映る。昨日のティータイムで出たサンドイッチの残りか。あとカウンターの隅に、昨夜のフライに使ったであろう油が鍋に入った状態で見えた。さらにデミソースは、どこかに常備してあるはず。
「……よし!」
自前の節約レシピにアレンジを加えた物を思いつき、腕捲りする。自分が作れるものと言えば、もうこれくらいしか思いつかない。
「ジータ、ちょっと厨房借りるね」
「いいけど、お嬢……その恰好で、これから作るんですか?」
「まぁ、細かいことは気にしない。朝食も今日はここでいただくわ。思い立ったら即、行動あるのみ!」
「はぁ……」
こうして、ラシェルの罪滅ぼし節約三分間クッキングが始まった。
三分間クッキングのつもりが、軽く三時間はかかってしまった。折角、用意してもらった朝食も手をつけられないまま今に至る。
それでもどうにか遠い記憶を引き出しつつ、途中アレンジが必要だったのと、全く要領を得ない料理工程に慣れない器具、食材に触れたことすらない不器用な手捌きで、指先を傷だらけにしながらも何とか完成に漕ぎ着けた。
早速、出不精のディルクを本宅の大広間に呼び出し、両親とデボラ、あとジータと使用人が数人というギャラリーの中、これみよがしにラシェルは出来上がった手料理を披露した。
「じゃーん! これぞ植原家直伝の節約絶品レシピ、パン耳フライ!!」
植原家直伝と冠しつつ、これ自分の思い付きで作って勝手に一人で食べてただけなんだけどねと心の中で訂正する。何かカッコイイから、いっぺんこういうの言ってみたかった。
パンの耳を4~5センチの長さに切り揃え、それをミルフィーユ状に重ねた後、串に刺してバッター液に浸す。次に、これまたパンの耳をおろし金で摩り下ろして作ったパン粉を全体に塗し、油で揚げて、ウスターソースがないからデミソースを上からかけたら完成だ。
「うえは……? 何だい、それは」
父の冷静なツッコミに、いいからいいからとラシェルは上機嫌で流す。
「さあ皆、どうぞ召し上がれ。私これ、昔から大好きだったんだー♪」
ラシェルの「昔から」という言葉を聞き、今度はジータが怪訝な表情で首を傾げた。しまったと思うも、まぁいいやと同じくスルーする。
白い陶器の大皿に、盛り付けは見習い君が見映えよく施してくれた。
集まった全員、この、初めて目にする食べ物を前にして、顔を見合わせる。
怖いもの知らずの好奇心旺盛なデボラが、まず一つ摘んで口に運んだ。
続いて、恐る恐るジータが手に取り、使用人、母と次々に取っていく。ただ、父だけは一人、その様子を少し退いた所から見ていた。
「オ゛エ゛ェ゛ェェェェ……ッ!!!」
口にした全員、一斉に吹き出す。母は卒倒していた。
「何っだ、コレ?!」
「くっせぇ! コレ、めちゃくちゃ魚臭ぇ」
「昨日、青魚をフライにした残り油使っただろ、お嬢!」
「……うん」
「しかも、むっちゃ油切れが悪い。これ、健康体でも一発で胃もたれ起こす破壊力だぞ!」
「最悪。人間の食いモンじゃねぇ。家畜の餌以下」
酷い言われようだ。
普段ニコニコ、お嬢、お嬢とチヤホヤしてくれる皆がこれでもかと扱き下ろしてくれる。
人が折角、朝食を抜いてまで一生懸命作ったものに、何を言うのだ。そこまで言うならと、一つ取って自分も味見してみた。
「……っ、うおぉぉおおお! 何っじゃ、こりゃぁああ!!! まっず! まぁっず!!!」
思わず前世の言葉遣いが顔を出し、ぺっぺっぺっ、と吐き出す。
家畜の餌以下、絶妙な表現でした。
自分も含めて不満続出の中、ひょっこり皿の前に現れたディルクが、くんくんと鼻を鳴らして皿の上に並ぶ家畜の餌以下と評されたソレの匂いを嗅ぐ。
「もう、いいよ……食べない方が。本当すごい不味いし、こんなの今の貴方が食べたら即死間違いなし……」
と、ラシェルが言い終るか否かのところで、ひょいぱくとディルクが一個、口に放り込んだ。
「えっ……!?」
驚き、思わず彼を凝視する。もぐもぐと口を動かす彼に、大丈夫? と恐々尋ねた。
彼はそのまま、ゴクンと喉を鳴らして呑み込んだ。
「ウマイ。これ全部、貰っていいか?」
その場にいた全員が、騒然とする。
そんな彼らを横目に、ディルクはラシェルの手から皿ごと奪うと、まだ仕事残ってるからと離れに戻って行った。
「愛の……力か……?」
ジータが零す。
「いや、それはないだろ」
「大分、我慢してんじゃないか? ……ほら、ホントに結婚するまでは向こうさんも立場弱いだろうし」
「いや~、いくら何でも。あれは口に入れた瞬間、猛毒並みに本能が全身で生命の危機を察知して拒絶反応起こすレベルのモンだと思うけど」
「じゃ、味オンチとか」
「もしくは食欲ないんじゃなくて、味覚が俺らと全然違ってたってことかもな」
「あー、なるほど」
「うん、それしか考えらんねぇ。隣国の食文化なんて知らないし」
皆が適当に強引な結論付けてくれたが、ラシェル自身としてはまぁ、一応食べてくれたことだし、罪悪感も薄れて、あとは嘔吐や下痢とかしなきゃいいんだけどなーと、願ったり願わなかったり。
節約レシピ(?)、読んだだけでどう考えてもマズいことが分かる内容ですよね…
多分、ミルフィーユ状にするパン耳の間にベーコンや玉ねぎを挟んで、なんちゃって串揚げを目指していると思われるのですが、そのあたりの記憶が転生してすっかり抜け落ちているようです…