78.開幕①
その日、ラシェルは久し振りにランチタイムを使って生徒会室を訪れていた。
ディルクのクラスが、今日は昼休みに健康診断があるということで、食堂での勉強時間を夜に回してほしいと言われた。
一人で手持無沙汰にしていると、夢のことを思い出して碌なことを考えない。それが苦しくて、仕事に逃げるべく、ここへやって来た。
とはいえ現実はそう上手くも行かなくて、デスクに着くなり頭の中を占めるのは、やはり今朝方の夢ばかり。
いつの間にかタイプする手が止まり、覚えず、ラシェルは前世の記憶に思いを馳せていた。
ゲーム好きだった兄二人に、もう使わないからと珍しくタダで譲り受けた旧型のハード機。一世を風靡したゲーム機の、それは後継機にあたる物だった。
思いがけず手に入った憧れのオモチャに、里沙は近所の玩具店を巡っては中古のソフトを安く買い漁り、遊び倒した。その中で一番ハマってプレイしたのが、何を隠そう『天蓋の虹』だった。
ラシェルが夢に見たのは、作中に一度だけ、隠しボーナスキャラとして『ディルク・ウェーバー』という男子生徒が出て来る特典ステージ。
何故それが分かるかというと、夢から目覚めると同時に一部、記憶が蘇ったからだ。
寝不足と過労のためか、死の直前から数日前の記憶が曖昧で、実は断片的にしか覚えていなかった。そのため、歩道橋から転落死する数日前の夜に偶々見ていたファンサイトの交流掲示板で読んだ過去記事も、すっかり抜け落ちていたのだ。
同梱の取説ではモブの集合ショットだけで名前も記載されず紹介されているキャラクターの一人でしかなく、しかも独自ルートではなく第二王子攻略ルート内の仕込みで、ランダムに一度だけ登場する。マニアからすれば貴重な存在だが、多くの一般ユーザーの間では外見も地味で、敢えて攻略対象である王子と距離をとるような選択肢を選ばなければ解放されないルートであることから、とりわけ話題にも上らないほどマイナーな存在だった。
さらに一方的に迫って一方的に身を引くという、当て馬としては役不足な自爆キャラ。ストーリー性も皆無で、またファンからの支持や存在感が薄いことからアプリの復刻版ではサクッと削除されたシナリオだった。
けれど、前世の自分は幼いながら、このサポートキャラとの遣り取りがとても好きだった。
彼が一度きりしか登場しないボーナスキャラであることを知らなかったため、彼会いたさにその後、何度も第二王子攻略ルートをプレイしたが当然会うことは叶わず、時が経つにつれて思い出も霞み、大学へ入る頃には忘れていた。そんな裏設定をファンサイトで知ったわけだが、前述の通り、今の今まで、また忘れていた。
ラシェルはそこで重たい溜息を一つ零し、そっと目を瞑って彼のセリフを頭の中でなぞる。
彼が「お嬢さん」と呼んでいた婚約者は、きっとラシェル――――自分のことだ。
『親同士が勝手に決めたフィアンセで、向こうの身分が上だから逆らえないのをいいことに、こうして気安く使われてるだけだけど』
政略婚で、フィリドールの領政までディルクに頼りきりの状況を、彼は内心そう思っていたのだろうか。
身分差があるため口にしないだけで、ラシェルとの望まぬ婚約に耐え忍び、本心ではフィリドールのことすらずっと疎ましく思っていたということか。
彼はまた、『この暗い学院生活』とも言っていた。
シモンやクラスメイトの仲間たちに囲まれ、和気藹々と笑顔で過ごす、あの姿さえ嘘だというのだろうか。
「そんなことって……」
俄かには信じがたく、思わずラシェルは俯き、目の前のタイプライターを避けて机の端に額を押し付けた。
今までディルクと共に一歩ずつ歩んできたと思っていた日々が瓦解するような絶望の淵へ、心が引きずられそうになる。
その一方で、しかし本当にそうだろうかと冷静に現状を見つめる自分もいた。
もちろん大変なことだって多いけれど、その仕事ぶりを見るにつけ、やはり彼は根っからの仕事人間だとラシェルは思う。領政に自ら関わり、父が褒めていたことを知っては照れる横顔も、仕事で成功したいという野心もまた彼の素直な一面に違いない。
クラスの仲間たちと知恵を絞って企画し、時に軽口を飛ばすことさえ楽しそうに、アイディアを出し合う姿のディルク。
忙しい合間を縫って、それでもラシェルの勉強を見てくれる優しいディルク。
ラシェルが作ったご飯を、美味しそうに頬張るディルク。
その全てが、シナリオのセリフで言うような後悔に塗れた暗い生活だなんて、とても思えない。信じられない。
とはいえそれも、ラシェルの主観に過ぎないと言われればそれまでだ。
ある意味、ゲームを通じて見る彼の方が、俯瞰で見た姿であると言えよう。
――――――……混乱した。
ゲームを通じて見えてくるディルクの姿と、ラシェルの目を通して見て来た彼、どちらが真実であるか。
どちらの彼を、信じるべきか――――……。




