75.お目覚め➀
翌日の放課後、ラシェルは終礼後すぐさま駆け足で生徒会室に急いだ。
中へ入ると、まだ誰も来ていないようで、静まり返る応接間兼執務室兼会議室を横目に休憩室のドアを開ける。
今日中には次のファイルへ進めそうなので、先に手元へ置いておこうと取りに来た。
すぐに終わるからと部屋の明かりは付けないまま、資料が整理されているスチール棚の前に立つ。目的のファイルへ手をかけたところで、後ろからスプリングが軋む音がした。
「ん……もう、放課後か」
咄嗟に振り向いた視線の先にいたのは、ソファで仮眠をとっていた様子のクロードだった。
カーテンが閉められ、仄暗い部屋の中、誰もいないものと思い込んでいたラシェルは思わず息を呑む。
「も、申し訳ありませんクロード様……私、てっきり誰もいないものとばかり……」
安眠妨害だと、以前のアンリが受けたように抗議されては困る。焦って言い訳するラシェルに、しかしクロードは穏やかな調子で「いや、いい」と返した。
「そろそろ起きて、俺も仕事しないと……」
ソファの上で、ブランケットも何もかけず、そのまま横たわっていたクロードがゆっくりと半身を擡げる。
その姿はどこか気だるげで、色気すら醸し出す一枚絵……になりそうな雰囲気だが、実際のところ暗くてよく見えない。
取り敢えず、咎められる気配は無さそうだと判断してホッとしたラシェルは、この際なので以前から気になっていた事項の確認をしようと持っていたファイルのページを捲り、少しよろしいですかと声をかけた。
「この方の議事録ですが、ちょっと独特というか、専門用語か何か、不思議な略語を多用されていて……クロード様に確かめて頂きたいことが何点か……」
ファイルを開いて見せるラシェルに、「うん」と頷いて、ちょいちょいと自分の隣に座るよう手招きする。
彼もディルクと同じで、寝起きは少し気が緩むようだ。
普段は全くもって隙のない鉄面皮で、近しい人とも一定の距離を保ちながら接する彼が、こんな自分の懐のようなところまで許してしまうことにラシェルは驚きつつも、促されるまま「失礼します」と隣に腰かけた。
「どれどれ……」
クロードがラシェルの膝上に置いていたファイルを取り上げて目を通す。
寝起きでやや乱れた髪に、タイを緩めて襟元が寛げられたシャツ、眼鏡も外してトロンとした表情でファイルに目を通す姿は、ファンとしては貴重なオフショットと言えよう。
けれど不思議と、ラシェルは以前のように目に焼き付けておこうとは思わなくなっていた。もちろん、夏が来ればまた雲の上の存在に戻ると分かっている。なのに、何故かもう、そういう気持ちが沸き起こらなくなったのだ。
多分、この春から彼らとの距離が極端に縮まったせいだとは思う。
けれどそれ以上に、自分の中で彼らのことをキャラクターというより、一人の人間として認識し始めているからではないかとラシェルは思った。
もちろん、まだまだ設定やエピソードは頭を過るけれど、それでも互いに生身の肉体と人格を有する存在として、構えることなく、いつの間にか同窓として自然と接している自分に気が付いた。
「これはまたマニアックだな……」
「ですよね。これとこれは、以前に出て来たこの言葉の言い換えと推測できたのですが、こっちは……」
過去の議事録に目を通しながら、クツクツとクロードが肩を震わせる。ラシェルもそれに合わせ、零れる笑みをそのままに該当箇所をピックアップしていく。
「他にも、やたらと古語を多用している年があったりして、読解に力が要ります」
「歴代の生徒会は、変態の巣窟とも言われているからな」
「どういうことですか、それ」
「こんな面倒ばかりの仕事の引き受け手なんて、変人くらいしかいないということさ」
なるほど、と見上げた視線の先、クロードと目が合った。
ふふ、とラシェルが笑うと、クロードも屈託のない笑みを向けてくる。
穏やかな時間だった。




