70.挫折
「そうか……それは、婚約者殿に配慮が及ばず、申し訳ないことをしたな」
翌日の昼休み。
わりと強引に勉強会を強行されたので、このまま続けると言われたらどう断ろうかと思っていたが、すんなり受け入れられてホッとする。
「放課後を使ってタイピング作業は引き続き致しますので、その点はどうぞご心配なく」
「すまないな、色々と……」
「いえ、クロード様は何も悪くありません……!」
自分の教え方が良くなかったと反省しているようで、大きな体を申し訳なさそうに窄める姿は、こちらの方が恐縮してしまう。
いや本当に、悪いのは、この頭なんです。
「折角なので、お茶でも用意しますね」
困った時のお茶頼み。
そそくさと席を立ち、ラシェルは給湯室へ逃げた。
ケトルを火にかけると、一つ深呼吸して気を取り直す。
クロードはあまりお茶に拘りがない様なので、毎回違う産地の物を淹れていた。今日は王道のダージリンで行こうと缶を手に取る。
ポットにお湯を注ぎ入れ、茶葉がジャンピングしながら蒸される間に、他のティーセットと一揃えにしてクロードの元へ戻った。
砂時計が落ち切るタイミングを見計らい、トレイをテーブルに置く。カップに紅茶を注ぐ際に身体を傾けたことで、ラシェルの肩口からさらりと髪が前に滑り落ちた。
耳に掛け直そうと、左手をポットの蓋から離しかけたところで不意に横から声を掛けられる。
「変わってるな、君の髪……」
流れる髪が陽に透けたようで、その特徴に気付いたクロードが目を丸くしてまじまじと見つめてきた。
「そうなんです。生まれつきみたいで」
「あの……触ってみても、いいか……?」
遠慮がちに頼まれ、どうぞどうぞと頭を預ける。
減るものでもなし、こんなもので良ければ、いくらでもどーぞ。
「売ったら高値が付きそうなものですが、抜け落ちたり切り落とした物はただのくすんだブロンドに戻るだけなので、殆ど値はつかないそうです」
弄られる髪をそのままに、ラシェルはポットを脇に置いてティーカップをクロードに差し出しながら残念な思いとともに肩を落とす。まだラシェルが小さい頃、散髪後の髪を拾い集めて溜息を吐くデボラから、幾度となく聞かされてきた話だ。
どうやっても貧乏から抜け出すことが出来ない家系だと、幼心ながらラシェルもガッカリした記憶がある。
「売るとは……」
ラシェルの言葉に、ぷっと小さくクロードが吹き出した。
確かに貴族の令嬢が自分の髪を売るとか、想像できないかも知らないけれど、ディルクが来るまでガチの貧乏していたので死活問題だったのだから仕方ない。
「まあ、フィリドールですので。何とでも言ってください」
そう返したラシェルに、けれどクロードはクツクツとただ肩を震わせるだけだった。
そして、よっぽど興味を引かれたのか、暫くクロードはラシェルの髪を手に取り、間近に持ってきてはまじまじと観察したり、指の腹で触り心地を確かめたり、陽に透かして見て弄んだ。
その様子に、まるで小学生の男の子が珍しい昆虫でも見つけたかのような反応だなとラシェルは心の中で苦笑する。
「切り落としたら消える輝き、か……」ふと、思い付いたようにクロードが呟いた。「では、君を手に入れた男は、世界で唯一の宝石を手に入れたも同然だな」
クロードが何気なく口にした言葉に、ひくっとラシェルは小さく身体を震わせた。
私が、ディルクにとって唯一の宝石に……?
信じられないという気持ちと、この髪ならという期待が入り交じった瞳で思わずクロードを仰ぎ見る。
「私なんかが、本当に……なれるでしょうか?」
目が合った瞬間、クロードが息を呑んだのが分かった。
掴んでいた髪から手を放し、ふいと顔を背けて「そうだな」と口許を片手で覆って彼が目線を彷徨わせる。
その反応に、社交辞令を真に受けて彼を困らせてしまったとラシェルも焦った。
いくら珍しいとはいえ、髪の毛一つで誰かの宝物になんてなれるはずがない。
自分にとって幼い頃からのたった一つの美点を褒められ、つい昂ってしまったが、他人にとっては所詮、ただの髪だ。
「ラシェルちゃん、いるー?」
眠たそうに欠伸をしながら突然アンリが生徒会室へ入ってきた。
髪を手に取っていたためラシェルとクロードが間近に並んでいる姿を見て、はたと動きを止める。
「あれっ? 今度こそお取り込み中だった?」
「一体、何の話ですか……」
相変わらずの下世話な言い方にゲンナリしつつ、どうしましたとラシェルは一応尋ねた。
「いや、ここに来たらラシェルちゃんが兄さんと勉強してるだろうから、お茶でも淹れてもらおうかなーと思って……」
相変わらず、人を使うことしか考えていないアンリに、ラシェルは溜め息を漏らす。
クロードの元を離れ、給湯室へ向かいながら「ちょうど今、クロード様にお出ししたところなので、同じ物でよろしければ」と訊いた。
「うん、何でもいい」
また一つ、欠伸を噛み殺した声で返される。
嫌味のつもりで言ったが、本当に、出涸らしでも何でも良いらしい。
と、そこで間の抜けたアンリの声が給湯室まで聞こえてきた。
「……って、兄さん? やっぱりオレ、お邪魔だった?」
珍しく動揺した、戸惑いを隠せない色の声だった。
けれど、
「バカを言うな……」
と言うクロードの声は、いつも通りに聞こえる。
ふぅん、と続くアンリの声が、どこか釈然としないものを内包しているようにラシェルの耳にも届いたが、特に気に留めることなく食器棚から一人分のティーセットを用意して戻った。
そしてアンリに後ろから声を掛けようとした瞬間、ラシェルは思わず足が竦む。
僅かに口許を歪めて嗤うアンリの暗い表情を、垣間見たからだ。
「あっ、持って来てくれたんだ?」
気配を察したのか、振り向いたアンリの顔は、しかし元通りの愛嬌ある笑みを浮かべていた。
はいと返して、ラシェルはおずおずとティーカップをテーブルの上に置く。
「ありがとー」
アンリは満面の笑みで席に着くと、両肘を付いて顎を両掌に乗せ、ルンルン気分でラシェルがカップへ紅茶を注ぐのを待った。
特段、いつもと変わらない様子の彼を見て、ラシェルはホッと胸を撫で下ろす。
アンリが暗い表情で嗤うのは、彼の攻略ルートで見る闇堕ちのサインだった。
前にも少し触れたが、クロードは自分以外のルートでも当て馬として登場する。それがアンリ攻略ルートの場合、兄への対抗意識から執拗に絡んで競おうとしたり、リサがクロードに靡くような選択肢を選んだ際には悉くあの表情を浮かべ、鬱展開へと進む。
確か三回以上の黒い微笑みでカップル不成立、五回以上ではアンリが自害、八回を超えると「君を殺して僕も死ぬ」という刃傷沙汰+心中セオリーで終了じゃなかったか。
何を隠そう、前世の自分はヤキモチを焼くクロードの姿が見たい一心で、アンリのルートは全選択肢において彼を闇に突き落とすという、この心中エンドまっしぐらの常習犯だった。
というのもこのエンディング、クロードが「こんなことなら君の手を一瞬たりとも離すべきではなかった」と涙を流し、血塗れになったリサの躯を抱いてくれるのだ。
てゆーかこんなエンド、クロードファン以外の誰得だろう。
今、思い返しても製作サイド、アンリに愛なさすぎて気の毒に思う。まともにエンドした例のない私が言うのも何だけど。
とはいえ、リサもまだ出てきてない現時点で、アンリが闇落ちする要因など何処にもない。
やはり自分の見間違いだろうと、ラシェルは密かに独り言つ。
その後、三人でゆっくりお茶を楽しんでから、ラシェルはもう一度クロードに対して丁寧にお詫びの言葉を述べ、生徒会室での勉強会を終えた。




