7.死が二人を別つ迄
三人掛けのソファに母、父、ラシェルと座り、ローテーブルを挟んで反対側にウェーバー氏とディルクが腰かけた。それぞれの後ろには執事のロッテンマイヤーと、ウェーバー氏が連れて来た年配の強面な侍従が一人、控えている。母は父とウェーバー氏が朗らかに談笑するのを微笑ましく見守り、ラシェル自身はといえば、居た堪れない思いでひたすら身を縮めていた。目の前では、もう何度目になるだろう、ディルクが興味なさげに欠伸をかみ殺している。
あの後すぐお互いに自己紹介し、無礼を詫びるラシェルにディルクは欠片も表情を変えることなく「別に、大丈夫です」とだけ返して今に至る。
……うーん、確かに断末魔にも似た「ぐぇ」という声を聴いた気がしたが……藪蛇だから、それ以上つつくのはやめることにする。
それにしても、別人過ぎだろう。
ラシェルは心の中で独り言つ。
容姿に関しては、そりゃあ自分も他人のことなど言えた義理ではないが、それにしたって写真とあまりにもかけ離れ過ぎている。写真映りがどうこうというレベルでは、もはやない。人相まで変わっている。見合い写真だって相当感じ悪い出来だったのに、アレで盛ってたの? という感想しか自分の中から出てこない。写真が写真だっただけに、実際会えば幾分マシかもしれないと淡い期待を寄せていた分の落胆も大きい。
伏せていた眼をチラリと上げ、ディルクを盗み見る。
見れば見るほど、ラシェルへの当てつけかと思うくらいガリガリだった。少なくとも、写真ではここまで窶れてなかった。長い手脚が、その異様さを更に強調する。生気までもが抜け落ちたような虚ろな瞳。心なしか一~二割、写真より頭髪も抜け落ちているように感じる。
とても同い年には見えなかった。自分より一回り……否、二回り以上は年上の印象だ。
途端、ラシェルは身震いした。
嫌だ……! こんな死神みたいな容貌の男と、自分が結婚だなんて……!
身の毛が弥立つ思いがした。
しかも相手は、貴族ですらない。成金の、二世だ。ただラシェルに子を産ませ、その子を使って金儲けしようと考えているだけの男……!
現実が、走馬灯のようにラシェルの脳裏を次々と掠めていく。
愛のない政略結婚。札束で頬を嬲り続けられるような生活が、今後一生続くのだ。それはラシェルだけではない。父も、母も、そして産まされるであろう我が子にも。
何より、自分は抱かれるのか? この、ガリガリで気持ち悪い、老け顔の犯罪者面した男に。
ラシェルは両手で自身を抱くように身を縮こませ、戦慄した。覚えず、体がガタガタと震えだす。
「ラシェル……?」
突然震えだした娘に気づいたのだろう。父が、声をかける。
ハッとしてラシェルは我に返った。気付けば、ボロボロと涙を流して泣いていた。
「どうした? 大丈夫か、ラシェル……?」
心配げな声で、父が顔を覗きこむ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。結婚なんてしたくない。やっぱり恋愛結婚がしたい。大好きだったゲームの、大好きだった攻略キャラに折角会えたというのに、折角すごい奇跡が起きたというのに、それを全部不意にして、どうしてこんな化け物みたいな男と結婚しなくてはいけないのか。何が悲しくて、こんな男の子どもを産まなくてはいけないのか。どうして。どうして。どうして。どうして。
身体を折って嗚咽する娘を前に、オタオタと狼狽える両親。
どうしようもない。自分は本当に、しょうもない。こんな当然のこと、今になって漸く現実味が湧いてくるなんて。
日本に住む平凡な女子大生から、イケメン攻略キャラが沢山いる、大好きだった乙女ゲームの世界に転生した奇跡。
貧乏で、デブスで、ぼっちの伯爵令嬢。
理想と現実。夢と現実。現実。現実。現実。現実。
一頻り泣き喚いて、過呼吸寸前の肩で息をして、息を整えて……。
それから真っ直ぐに、目の前のディルクという男に向き合い、…………腹を据えた。
「婚約するにあたって、一つ、お願いがあります」
「……何でしょう?」
この一連の、気が狂ったような振る舞いを見せるラシェルにも動揺することなく、彼は努めて冷静に向き合う。
「これから先、浮気は勿論、妾や愛人、第二夫人といった、私以外の方と関係を築くことは一切しないでいただきたいのです」
女が身を固めるという事は、好き嫌いに関係なく、一人の男にその一生を捧げるという事だ。
対して男は、方々で女を作り、女と遊び、――――不公平だ。政略結婚という愛のないものであるなら、なおさら顕著にそれが現れるに違いない。
かといって、自分が他に男を作ったり男を囲うというのも、正直想像できない。モテないし。
だからせめて、互いに愛がなくとも、痛み分けが出来るなら、こちらの溜飲は下がるような気がした。
ディルクはラシェルが出した提案に、その鋭い三白眼をこれでもかと瞠った後、ゆっくりと目を伏せて自身にしか聞こえない小さな声で何事か独りごつ。そして再びラシェルと向かい合い、分かりましたとキッパリ答えた。
「ただし、貴女が私の子を儲けると約束して下さることが条件です。もし約束して頂けるなら、死が我々二人を別つまで、一生、貴女以外を愛することはしないと誓います」
真っ直ぐに、ラシェルを射抜くかのような目で彼が迫る。条件を提示したのはこちらであるはずなのに、逆に要求を突き付けられる形となった。
けれど何故、とラシェルは眉を顰める。
これは、紛うことなき政略結婚だ。デリケートな話題ではあるものの、子を望むことは相手にとって当然の権利。言うなれば政略結婚の本懐を、彼は敢えて口にしてきただけのこと。この要求を拒む方が不自然だ。
ラシェルは固唾を呑む。
ひょっとすると、自分はとんでもない相手に勝負を吹っ掛けてしまったのかもしれないと、言い知れぬ不安に襲われた。けれどもう、引き返すことなどできはしない。
ラシェルは唇を噛みしめながら、自分が下した決断を強く信じて頷いた。
その後、正式に婚約の契りを交わし、ラシェルは学校があるので一度、王都へ戻ることになった。ディルクはそのままフィリドール邸に残り、夏の間、領地について学びながら経営を立て直す見通しを立てる予定だ。とはいえ、ラシェルの両親が住む本邸へいきなり入るのもお互い気を使うだろうからと、今は物置として使っている離れを人が住めるよう手直しして、そこで寝食をはじめ好きに使ってもらうこととなった。食事はウチの料理人が作った物を使用人が配膳する。勿論、本宅で一緒にとっても構わない。要は気兼ねなく、自由に暮らして欲しいという父の取り計らいだった。……手直しの費用とかは、全部向こう持ちだけど。ウチ本当、お金ないし。
新学期が始まって以降は、学院に通いながら二足の草鞋でその後も領地経営に積極的に関わっていくとのこと。
今回、初めて知ったのだが、アウローテ国立貴族学院は国内貴族のための、国内貴族が通う学校である一方、婚約者が国王から賜った爵位の第一継承権者で尚且つ当人が望めば、身分も国籍も一切関係なく婚約相手もまた該当年齢の学年に通学が認められているらしい。勿論、婚姻後、外国籍の者はアウローテに帰化することが条件だが。
ということで、二学期からは晴れてラシェルの婚約者として、ディルクも学院に編入することが決まった。
ただでさえ悪目立ちするラシェルの外見に加え、彼のあのインパクトありすぎな容貌という、最凶コンビが学内を徘徊する姿を想像するにつけ、今から気が滅入る。
とはいえ、今は取り敢えず再来週末から始まる夏休みに気持ちを切り替えることにした。学院が休みの間はラシェルも領地へ戻り、思い切り羽を伸ばす予定だ。窮屈な学校生活から、束の間の休息を得られることに心弾ませながら、その夜ラシェルは眠りに就いた。
見合い写真は詐欺レベルの物も少なくないということを、まだ若くて見合い経験なんてない彼女は知らなかったんです……
(あ、でも今時はどうなんだろう……)