66.禁断症状
「ごめんね、このところ朝も作れなくて……」
ここ数日は、料理長に朝食をお願いしてディルクの部屋へ運び一緒に食べている。しかも愈々以て今日は昼を用意するのも億劫になり、同じくサンドイッチを頼んで作ってもらう始末。
決められた時間内に全集中して、好きでもない仕事を大量に捌くというのは思った以上に疲労するようで、連日のオーバーワークから完璧に生活リズムを崩していた。
「いや。こうして持って来て貰えるだけありがたいよ」
執務机から顔を上げると僅かに笑んで、ディルクが返す。
ラシェルと朝御飯を食べるようになって、ディルクは夜を早目に切り上げ早朝に仕事を回すようになった。
「最近、忙しいの?」配膳しながら、デスクの上一杯に山積みされた書類を見て尋ねる。
「ああ……まあ、少しな」
そう言って眼鏡を外すディルクの仕草を見て、ラシェルは思わず肩を震わせた。
「どうした?」
「う、ううん……」
突然、動きを止めたラシェルを不思議そうにディルクが窺う。それに対し、ラシェルは慌てて何でもないと首を横に振った。
…………言えない。
一瞬、ディルクがカッコ好く見えた……なんて。
ラシェルはテーブルへと再び目を落とし、朝食の用意に手を動かしながら、勝手に早鐘を打ち始めた鼓動を必死で隠す。
眼鏡の彼も初めて見たけれど、それを外しながらラシェルへ送る視線と表情にグッとキた。凶悪としか思ってなかったキツい双眸から流し目を浴びて、思わず息を呑む。
元々、顔のパーツ自体は悪くないと思っていたけれど、どれも大人びた造りでアンバランスな印象だった。それが成長期の今、まさに子どもから大人の相貌へ変わる過渡期にきて、ラシェルはある一つの未来予想が頭に浮かんだ。
前世にも、嘗てのクラスメイトでいたのだ。
学生時代はモサいなーとしか思ってなかった男子が、同窓会や成人式で会ったらわりとシュッとしたいい感じに成長しているパターン。しかも幼い頃から容姿でチヤホヤされてきてない分、性格も落ち着いた感じで、学歴も良かったり。
もちろんキラッキラの生粋イケメンのような派手さはないけれど、地味に堅実イケメンという、絶対じわるタイプだコレ、と確信する。
メチャクチャ顔が熱かった。
しかも想像した半年後の顔が、何より自分の好みのタイプだったなんて、口が避けても言えない。
あと半年後には、多分、周りの女子の反応がガラリと変わる。彼がカッコ好いことに、気付き始めて競争率がぐんと上がる物件だ、とラシェルの女の勘が告げた。
私はその歴史的瞬間に立ち会えるのだろうかと、映画の予告でも観ているかのように妄想をめぐらせていたら、まだ眠いのかとディルクに怪訝な目を向けられた。
「うん、ちょっと……」
顔を上げてはにかむと、珍しいなとディルクは席を立ち、配膳が済んだテーブル前のソファーに腰を落ち着ける。ラシェルも気を取り直し、朝食を摂りつつ話を続けた。
「カイルラスからの物資が思ったより早く入って来ているのと、街道を敷くための用地確保がスムーズにいってるんだ。上手く行けば、夏休みまでに一部だが開通出来るかも知れない」
「すごい! あ、でも私、いくつか廃墟をピックアップしてみるって言ったきり、まだ手をつけてないわ……」
「ああ、それなら大丈夫だ。ルート近くの物件を既に俺の方で当たってみたから、今日の放課後、みんなの意見と擦り合わせてみようと思ってる」
「ごめんなさい……」
「たいした手間じゃなかったし、気にするな。そんな事より、驚きなのは街道の用地だ。さすが君のお父上というべきか……既に、九割方確保出来ていると言うのだから、頭が上がらない。封建制のロードであることも大きいとは思うが、何より民からの信が篤い。ルートの選別も的確で、なるべく住民の生活に影響がない範囲、しかも地域の流通も考えられた良い道を確保してくれている」
熱く父を褒め称えるディルクを見て、ふふ、と思わず笑みが零れた。
「何か変なこと言ったか、俺……?」
「ううん。以前、貴方の仕事ぶりを誉めていた父のことを思い出しちゃって」
「えっ……」
「すごいのよ。あの父が、貴方に少し妬いてたんだから」
そう言って微笑むと、ディルクは顔を耳まで真っ赤にさせて、たじろいだ表情を見せる。
「それは、ちょっと……いや、かなり。嬉しい、かも……」
動揺を隠しきれない様子で、ディルクが照れる。鼻の頭を利き手の人差し指で掻きながら、まあ、それはともかくと照れ隠しに彼は話題を戻した。
「イネス港からもアクセスが良くなる見込みだから、一応、新大陸側でも廃墟ツアーの参加者を募ってみようと思ってるんだ。初めての試みだから、セルゲイの知り合いに声をかけてみる程度に留めるつもりだが」
セルゲイとは、ランドルとディルク共通のギルド仲間で、カイルラスとの貿易協定でお世話になった協力者の名だ。
「素敵。最初はそういう形から入って、可能ならフィードバックも取れるとありがたいわ」
「分かった。それも頼んでおこう」
あと、と席を立ち、執務机の引き出しを開けて書類を取り出し、ラシェルに渡す。
「カイルラスから医師の派遣を依頼していた件については、数名確保できそうだ。そっちは王都からのワクチンと薬を融通してもらえる旨の文書だが、やはりラシェルが懸念していた通り、何種類か新大陸独特の疾患があるらしい」
「そう……」
「君の希望通り、医療系の専門学校で講師も務めた経験のある医師が含まれているから、こちらでも専門の学び舎を用意して、まずは医師や医療従事者への指導に当たってもらおうと思う。体制が整い次第、新しい人材を養成出来る機関も作ってはと、昨日ブリアック公に書簡で要請したところだ」
相変わらず仕事が早い上に交渉上手だ。
「何から何まで、本当にありがとう」
「いや、本来なら俺が気付くべきところを、君が指摘してくれたんだ。俺が言える立場ではないが、やはり君はブリアック公の娘……ロードとしての資質を持ち合わせていると思うよ」
「そう、かしら……」
ディルクの言葉に、瞬間、時が止まる。
珍しく……否、彼に仕事で褒められたのなんて、これが初めてな気がする。
生徒会の書記を安請け合いしてしまったことで、今までの生活が一変した。
ただでさえ様々な仕事をディルクに頼りきりだったというのに、食事すらまともに作れなくなって、夏休みにみんなで企画しているイベントも中途半端。勉強にしても劣等感を募らせる日々で、今まで少しずつ築き上げてきた自分というものが、こんなにも脆く、あっさり崩壊してしまうものだとは思ってもみなかった。
けれど、それらだって結局は、全て自分で決めたこと。
自己責任なのだ。
なのに。なのに……。
「もう、……こんな不意打ち、ズルいよ……」
泣きそうだった。
思わず赤面した顔を伏せ、両手で覆い隠す。こんなにダメな自分を、それでも良しとしてくれる目の前の彼に、心が震えた。嬉しさと、情けなさと、感謝の気持ちで全身総毛立つ。
「いや、俺は別に……何も」
特別なことなど口にしたつもりはないと、ラシェルの突然の反応に、ディルクが動揺する。
ラシェルの心は、本人が自覚しているよりずっと、疲弊していたようだ。
そこへニーナが、登校時間が迫っていることを告げに部屋へ入って来た。
感極まっているラシェルを、泣いていると思ったのだろう。ディルクに飛びかかろうとしたところを寸でのところで止め、何でもないと説得し、その場を収める。
が、時間がないことに変わりはなく、二人、慌てて身支度を整え、馬車に飛び乗った。
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情緒不安定…




