6.出逢い
「いやね、金に釣られてという訳では、決してないんだけどね。お父さん、彼はそんな悪い人ではないと思うんだ」
歳もラシェルと同じだって言うし。
いつになく弱腰に、おねだりしてくるような口調で父が言い放つ。
お父様、間違いなくそれは金に釣られた人間の言葉です。
眉尻を上げ、こめかみをピクピクさせながらも何とか口元だけは笑みを象りラシェルは取り繕って見せた。
領地に戻るやいなや、父に掛けられた最初の言葉が先の物だった。いや、挨拶くらいしようよ。テンパってるのは、その顔見れば分かるけどさ。
父の手には、見合い相手とされる男の釣書と写真が収められている。
ことの経緯は、こうだ。
始まりは、先月末のことだったらしい。どこの領地も多かれ少なかれそうだが、貧乏伯爵家たる我が家は当然のことながら、複数の債権者から借金して暮らしを維持している。ここ数年は特に、昔ながらの馴染みの債権者からは毎月、金利の返済のみで遣り繰りさせてもらっていたらしい。だが、何故か突然、その内の一つが月末までに元本を含め全額返金して欲しいと申し出て来た。とはいえ、ただでさえ我が家は火の車。加えてこの春からの進学に伴って出費も増えたため、とてもじゃないが返済は無理。少しでいいので待ってほしい旨を伝えたら、有無も言わさず債権を、どこの誰とも知らぬ相手に売り払われてしまった。
そこからが大変で、新しい債権者は直接フィリドール邸に押しかけ強引に取り立てようとしたり、それが無理と分かるや、今度は親戚縁者の元に乗り込んで行ったり、はてまた母の実家まで脅しにかかろうとしたりと、ありとあらゆる方法で攻めてきた。こうなると、他の債権者からも取りっぱぐれては困ると、ドミノのように返済を求める声が一気に噴出する恐れが出てくる。そんな噂が王都にまで漏れ伝われば、学院に通うラシェルに影響が及ぶのは勿論のこと、最悪、経営力不足が問われ、領地返上を言い渡される可能性も十分にあった。八方塞で頭を抱えていた折、以前、ラシェルへ婚姻話を持ちかけてきた隣国の商家からホワイトナイトのような申し入れが再びあった。
借金を全て肩代わりする代わりに、息子を婿に迎え入れてはいただけないだろうか、と。
娘のためとはいえ、一度断ったにも関わらず再び申し入れをしてきてくれたことに感謝こそすれ、断るだけの余力など今のフィリドール家には欠片もなかった。
ことのあらましを聞いたラシェルは、前世の記憶に目覚めて以来、もうこれで何度目だろう……深い深い溜息を吐いた。
要するに、お家存続のため、この身を捧げよという事だ。
政略結婚は正直嫌だったが、結局貴族の結婚とは詰まる所、純粋な恋愛結婚など存在しないと流石のラシェルでも分かっていた。
さらに学院で過ごしたこの数か月で、現実問題、自分に自由恋愛は無理だという事も身に染みて分かった。何の取り得もないデブスの自分が、この家の危機に役立てるなら、これ以上の親孝行はないように思う。
顔を上げ、父の目を真っ直ぐに見据えてラシェルは答えた。
「このお話、謹んでお受けいたします」
頭を下げるラシェルに、父が「おお」と顔を綻ばせ、隣に座る母と笑みを交わす。
そう。これで良いのだ。これで、この家は守られる。両親の笑顔も、デボラや、他の使用人たちの雇用も。
少し誇らしい気持ちで、そのまま父から釣書きと見合い写真を受け取り開いた瞬間、ラシェルは今しがた自分が下した決断を、すぐにでも撤回したい気分に急襲された。
は、早まった…………!
そこに写し出された男は、黒髪の散切り頭に半目の三白眼という、人相の悪い……否、ハッキリ言おう。どう見ても、指名手配犯の写真にしか見えない容姿だった。
「お……、お父様、コレ……」
正気ですかと聞きたいのに、心が追い付かず金魚のようにただ口をパクパクすることしかできない。
「ああ。ディルク・ウェーバー君と言ってな、そろそろここに着く頃なんだが……」
「へっ?! 今日、ここに来られるんですか……?」
「ああ。婚約が纏まらなければ借金の肩代わりはできないが、当面の資金は融通してくれることになっていてね。その契約と、どちらにしても領地経営の立て直しは協力してくれることになったから、その下見も兼ねて。どうだ、良い方々だろう? 今日、息子さんと訪ねて来る予定なんだが……いやぁ、ラシェル。お前が婚約を認めてくれたお陰で父さん、彼らにいい報告が出来るよ」
おいおいおいおい。何かそれ、私に話す順番違くない? 資金の融通って、そっち先に言おうよ。何かさっきの話し方じゃ、私が結婚しないとウチ完全に滅亡するって流れだったよ? 結婚しなくていいならいいって最初から言ってよ。早合点して釣書きも、お見合い写真すら見ない内にOKしちゃったじゃないか。いや、こんな人生を左右する重要な選択で、ちゃんと中身を確認しなかったのは完全に自分の落ち度だけれど……。
しかも、この急展開と甘い話。向こうが提示してるの、破格の条件じゃん。これ、詐欺じゃない? 確実に詐欺だよね。お父様、大丈夫か。こんな世の中舐め腐ってるような話を鵜呑みにするなんて、ついに借金で首が回らなくなってトチ狂ったか。
流石にフィリドール家の当主とあって、父はそのおっとりとした外見と裏腹に、しっかり者で抜け目ないところはあるのだけれど、如何せん、そうは言っても所詮は貴族だ。民間の、しかも手練れが狙いを定めたとなれば、流石の父といえどいいカモには違いない。
普段あまりしゃべらない父が、珍しく饒舌にウェーバー家のことや、見合い相手であるディルクを語る。彼が経営に携わるようになって、倒産寸前だったウェーバー商会を、たった一年で見事に復活させた手腕など、身振り手振りを交え嬉々として語る姿は、何だか前世の父がプ●ジェクトXとかガ●ヤの夜明けとか見た直後の状態にも酷似していて頭が痛い。
それにつけても、見合い相手の写真だ。
学院で、あまりにもキラキラした攻略キャラ達を目の当たりにしていた反動だろうか。それとも写真が余りにも凶悪犯顔だったからだろうか。同い年というから想像していた相手の、軽く限界を超えた容姿に思わず我が身を忘れて愕然とする。否、攻略キャラ程でなくとも、普段、顔をつき合わせている人間も貴族だ。やはり誰も彼もがそれなりの顔立ちをしているために、いつの間にか自分は目が肥えてしまったのか。
ひたすら沈む気持ちを、けれど頭を振ってラシェルは切り替えた。
そうだ。私は、転生者なんだ。
ふと、殆どの免許証写真が犯罪者顔で写っていると言われていた事を思い出す。学校で撮った集合写真を見る時など、私って写真映り悪いから、なんて会話は付き物だった。芸能人やクラスの一軍なら別かもしれないが、二軍以下の庶民が加工なしで撮った写真など、ことごとく惨敗で当然。大学に入ってすぐ免許を取ったけれど、センターで一律に撮られた自分の証明写真だって相当な出来だった。この人も、実際会ってみれば案外普通の人かもしれない。
自分には、前世の記憶がある。庶民に囲まれ、庶民に初恋し、いつかは庶民と結婚することを夢見ていた、立派な庶民だ。ちょっとこの世界が特殊なだけで、自分は他の貴族と違って庶民への偏見などない!
強く己に言い聞かせて、奮い立たせる。
半ば自棄っぱちのような自分への説得で、ちょっと頭がクラクラしたけど……酸欠状態か?
取り敢えず、気分転換に外気にでも当たりに行こうと席を立つ。
強引な自己暗示に胸焼けする思いで、ふらつく足取りのままラシェルは部屋を出た。
庭へ歩を向け、廊下を進む。しばらくすると、今度は頭の中で半鐘がガンガンに打ち鳴らされているような酷い頭痛に見舞われた。
さすがに、ちょっと無理ありすぎたかな……?
途中、立ち眩みに襲われたこともあって、ラシェルは階下から近づいてくる執事の声にも気付かず、そのまま階段を降りようと廊下の突き当たりを左に折れた。その矢先、人にぶつかる。
「ぅわっ……」
「ひゃっ……!」
間一髪、ぶつかった相手が階段の手摺を掴んだことで踊り場までの落下は免れたものの、その場に二人、勢いよく倒れ込む。そして、よろけたラシェルの巨体が覆い被さる形で、相手を圧し潰した。ぐぇ、とカエルが車に轢かれたような声がして、ラシェルは顔を蒼褪める。
「ご、ごめんなさい! 私、前をちゃんと見てなくて……」
がばっ、と顔を上げた瞬間、ラシェルは目と鼻の先に相手の顔を見て、瞳を瞬かせる。
鴉の濡れ羽色した髪に漆黒の、突き刺すような鋭い瞳。目の下にはくっきりと隈が縁どられ、頬はこけ、長身ながら痩せ細った体躯は、彼の胸に抱かれるようにして乗っているラシェルに、服越しでもアバラが浮いているのが分かるほどだ。腰に回された長い腕は、骨と皮で筋張っていた。
「ぎゃーっ! でっ、で、出た!! 死神――――!!!」
一目散に、先まで居た父と母のいる大広間へと飛んで逃げた。
「何事かね、ラシェル……」
つい今しがた部屋を出た娘がもう帰ってきたかと思うと、そのまま後ろ手にバタンと扉を乱暴に閉めるのだ。もっと驚かれると思ったが、肩で息をするこの姿を見ても、父は先程までと同じトーンでのほほんと尋ねるだけだった。
「おっ、お父様、……このお屋敷、いつから出るようになったのです……?」
「? いったい何のことだね?」
「お母様も、霊感はお強い方でしたわよね……?」
「わりと感じる方だと思うけど、……なぁに? ラシェルちゃん、霊でも見たの?」
「幽霊……というか、死神? いや、鎌持ってなかったし……鬼? にしては存在感薄いというか」
じゃ、悪魔か? 一人、ごにょごにょと今見た物を検証しながら呟いていると、突然、背後の扉が開かれた。と同時に、振り向いたラシェルの瞳も大きく見開かれる。
「おぉ! ウェーバーさん、ディルク君、お待ちしていましたよ!」
父の朗らかな声が高らかに広間に響き、そこで漸く、ラシェルは事態を把握した。
目の前には執事のロッテンマイヤーと、ウェーバーと呼ばれた年配の男性、そして先程ぶつかりラシェルが圧し潰してしまった死神――――ディルクが、表情も乏しく立っていた。