59.舞台➀
「時間が勿体無い。早速だが、これの使い方は分かるんだよな?」
クロードにこれと示されたのは、部屋の片隅に据え置かれた書記専用の机にある備品のタイプライターだった。傍らにはアンティークのデスクスタンドも備え付けられている。
椅子を引かれ、席に座るよう目で促された。おずおずとラシェルは着席すると、様式や品番を確認する。
「た、多分……」
「多分?」
ぼんやりした返事のラシェルに対し、頼りなく思ったのだろう。それまでもどこか不服といった表情をしていたクロードだったが、さらに顔を曇らせ眼鏡の端を光らせた。
「使えるんだよな?」
そばに寄り、ラシェルの顔を覗き込んでクロードがもう一度、ゆっくりハッキリ丁寧に、低音ボイスで尋ねてくる。
圧が強い。
期せずして間近で拝顔させていただくこととなったクロードだが、フチなし眼鏡に覆われる切れ長で群青色の瞳とサラサラの蒼いストレートヘアが特徴という美貌の持ち主。
前世、死ぬ間際まで自分が最も惚れ込んでいた推しキャラだが、ただでさえその端正な顔が、今は不機嫌を絵に描いたような仏頂面でさらに迫力を増している。
「いえっ、だっ、大丈夫です! ……型は少し古そうですが、うちで使っているメーカーと同じなので」
漂う不穏な空気に、ラシェルは慌てて取り繕った。
が、ふと、この余計な事など一切省いた事務的なクロードの物言いから、既視感のようなものを覚える。
これまで攻略キャラとの接点が殆どなく、その上、たまに見かける第二王子があんなで、今一つゲーム世界に生きている実感みたいなものが薄かった。
けれど、ここにきて不意に、それっぽいなと感じたのだ。
鬼畜眼鏡。
それはゲームファンたちが称賛の意を込めて口にしていた彼の愛称である。
たいていの女性向け作品がそうであるように、天虹の攻略キャラもほぼ全員フェミニスト気質だが、クロードだけはどちらかというと保守的で、確かリサと出会うまで幼馴染みのレイラ以外の女性とは会話を含め、私的な交流を殆どしてこなかったという設定だったはず。
作中で気に入っていた、クロードの『リサ至上主義』も、裏を返せばこういうことか、と妙に納得感をもって自分の中で腑に落ちた。
つまりリサ以外、全員蔑視。
これは襟を正さねばと、改めて自身の分を弁えると共に、推しの尊さに胸が熱くなった。
前世の自分は、この一途設定に痺れたのだ。
夏までの任務と言われホッとしたけど、やっぱりリサとクロードの触れ合いを実際に近くで見てみたかったかもと、ちょっぴり思う。リサが誰を選ぶかは分からないけれど。
つらつらとそんなことを考えていたところで、先の返答に満足したのかクロードがようやく眉間に寄せていた皺を戻す。
「だったら話が早い。会議が始まるまで、まだ時間があるからその間に、これの清書も頼む」
ドサッという音を立て、机の上に書類の束が置かれる。
その量に、思わずラシェルは目を剥いた。
いやいやいやいや。
合間で片付けるには、結構な量ではありませんか。しかも動作確認だって、まだしてないし。
あれっ? これもう、鬼畜眼鏡っていうか、普通にパワハラでは?
内心、涙目になりながらクロードの顔色を伺うと、さすがに量の多さは自覚しているのか「今日は出来るところまでで良い」と言われてホッとする。
時計に目を遣ると、二時十五分を過ぎたところだった。二時半から会議ということなので、取り敢えず清書は一旦置いて、先ずは動作確認から始めようとタイプライターに目を落とす。
キーの配列は自宅の物と全く同じ、タイプすればキレイに印字されることからインクも大丈夫。用紙は補充されたばかりのようで余裕もあり、……うん。大丈夫、すぐ使える。
渡された書類の束を手に取り、一枚目に目を通し始めた矢先、扉が開かれた。




